第3029回 傘の歴史(3)



 東洋における傘の歴史は、古代の中国において始まります。当初は高貴な人に差し掛ける魔除けとして使われ、朝鮮半島を経由して日本へも伝えられています。

 日本に伝えられた傘は、平安時代には発達した製紙技術や竹細工の技術を取り込みながら独自の発展を見せ、室町時代には和紙に油を塗布する事で防水性が高められ、骨を支える「ろくろ」と呼ばれる部品の発明によって開閉性も確立されています。

 傘を専門に制作する職人も登場し、江戸時代に入る頃には各作業の分業化が進み、大量生産が可能となっています。よく時代劇に傘を貼る内職をしている「傘貼り浪人」が登場しますが、実際に多くの浪人たちを養うほどに傘を貼る仕事は存在していたといいます。

 日本は雨が多い事や和傘が紙で作られていて、布製の傘に比べて耐久性に劣るという事もあるのですが、江戸時代の絵画にも傘は多く登場していて、その当時から日常的な生活必需品として普及していた事が高い需要となっていたと見る事ができます。

 そうした高い需要を支えていたのは、竹製の頑丈な骨の再利用で、早くから和傘はリサイクルのシステム化が確立されていました。

 破損した傘は下取りされて貼られた紙が剥がされ、骨の状態によって新しく綺麗な「上物」、平均的な使用感の「中物」、傷んできている「廉価物」に分けられて傘貼りの内職へと渡されていました。

 また、広げられた傘が多くの人の目に触れる事に着目し、店の屋号が描かれた傘を無料で貸し出す事で宣伝効果を得る事も行われていて、傘は安価に利用できる身近なものという意識が早くから定着していきます。

 その後、明治維新を迎えて鎖国が解かれると、洋傘が導入されて和傘は急速に廃れていきます。世界に類を見ない傘のリサイクルシステムも同時に失われてしまうのですが、合理的な分業による大量生産とリサイクルの伝統は日本人に傘を安価な日用品という意識を根付かせ、やがてビニール傘という独自の発展を見せる事となります。日本における傘は独特な文化を持ち、ヨーロッパとは明らかに異なる価値観を持つものと思えてしまいます。


 
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第3028回 傘の歴史(3)



 遺言状に誰に継がせるかが明記されるほど高価な贅沢品であり、資産というだけでなく富と権力の象徴でもあった傘。一部の限られた人にしか使えなかったものが一般の人にも使われるようになったのは、古代ギリシャのアテナイの事だったといわれます。

 一般の人とはいっても王族や神像ではないというだけで、貴族の婦人である貴婦人が従者に持たせて使う様子が絵画に残されていて、相変わらず高貴な人にしか使う事ができないものであった事が窺えます。

 傘が贅沢な存在であり続けた理由の一つは、傘が天蓋から派生したものであった事が考えられ、もう一つの理由は当時の傘は閉じるという機能がなく、携帯性が低い事から従者に持たせるという使い方にあったように思えます。

 ヨーロッパで今日のような開閉式の傘が作られるのは13世紀のイタリアの事で、骨にはクジラの骨を削ったものが使われていました。1533年にフランスのアンリ王子にメディチ家のカトリーヌが嫁いだ際、開閉式の傘も持参され、その後、ヨーロッパ中に広がっていきます。

 今日の傘に近い構造のものが開発されるのは18世紀のイギリスの事となるのですが、その当時でも傘の役割は陽射しから女性を守るためのもので、雨の日には成す術もなく濡れるという事が続いていました。

 ヨーロッパで雨傘が使われるようになったのは1750年、旅行家で著述家、商人でもあったジョナス・ハンウェイがペルシャを旅行した際、中国製の雨傘と出会い、衝撃を受けた事がきっかけとなっています。

 雨傘を持ち帰ったハンウェイはロンドンの街で雨傘を使う事となるのですが、その当時、傘は日除けのために女性だけが持つものと考えられていた事から、雨の日の男性の傘は非常に奇妙なものとして受け止められてしまいます。

 それでも彼は変人扱いをものともせずに傘を使い続け、30年も経過する頃には雨を防いで濡れずに済む雨傘を使う男性が普通に見られるようになっています。

 一人の紳士の行動によって広まった雨傘という文化ですが、天蓋から派生した権力の象徴、高貴な女性が使う富の象徴、資産という歴史的背景や、一般化した後もお洒落アイテムn一つといった側面がヨーロッパにおける傘の高価な位置付けを決めているようにも思えます。


 

第3027回 傘の歴史(1)



 長年付き合ってきた愛用の傘が傷んできたので、思い切って買い替える事にしました。お気に入りという事もあって、まだ使えるという思いが使用期間を長引かせてしまっていたのですが、色褪せてダメになってしまって別れるというよりは、余力を残しての引退の方が傘も喜んでくれそうな気がします。

 新たに購入した傘は和傘をモチーフにしたデザインで、通常のものよりも3倍も傘を支える骨があり、しっかりとした作りになっています。骨に支えられた布の撥水性も向上しているらしく、表面に付いた水分はすぐに水滴となって落ちていきます。

 知らないうちに傘も進化しているのだと思いながら、木や竹から鉄、アルミニウム、グラスファイバー、カーボンへと素材が変化した骨や、撥水性が向上したり、濡れると色が変わって柄が浮き出る、紫外線を遮断してくれるといった布の進化について思いを巡らすのですが、傘自体は構造的にはずいぶんと長い間、変化がなく、普遍的な存在のように思えてきます。

 傘が人の歴史に登場するのは約4000年ほど前といわれ、古代エジプトやペルシャの壁画やレリーフにその存在が記されています。当時の傘は現在のような雨を避けるためのものではなく、高貴な人を強い陽射しから守るものとして従者がかざす形で描かれています。

 古代ギリシャでは神の威光を示すものとして、祭礼の際に神像の上にかざされ、古代アッシリアやインドでも高貴な人を酷暑の陽射しから守るものとして使われていました。

 当時の傘は開いた状態で作り上げられていて、今日のように閉じて持ちやすくするという機能はなく、誰かにかざしてもらう大変な贅沢品となっていました。遺言状に傘を継がせる後継者名が記されている事も珍しくなく、長らく富と権力の象徴となっていた事が窺えます。

 遺言状に傘というと、安価なビニール傘に慣れた身としては大いに違和感を覚えてしまうのですが、傘を安価なものと感じる感覚は日本固有のものではと傘の歴史を見ていると思えてきます。


 

第3024回 櫓と掘りと天板



 坊ちゃんは猫という事もあり、冬場はコタツがお気に入りとなっています。私がコタツに入ると、私の足にもたれかかってくるので、せっかく寝ている坊ちゃんを起こさないようにと極力動かないようにしていて、入る事で活動量が激減するという意味では、以前、インターネット上で見付けた「ダメ人間製造機」というコタツに関する解説を思い出してしまいます。

 コタツの誕生は室町時代にまで遡るとされ、当時の家は密閉率が低かった事から暖房の効率を高めるために囲炉裏の上に櫓を組み、布団を掛けた事がはじまりとされます。

 やがて櫓を組む事を前提に囲炉裏を床と同じ高さに下げる工夫が見られるようになり、掘りコタツが登場する事となるのですが、今日のような腰掛けて入る事を意図した本格的な掘りコタツが誕生するのは明治42年(1909年)の事となっています。

 東京の上野に住んでいたイギリス人のバーナード・リーチが日本人のように正座をする事を苦手としていて、自宅のコタツを腰掛けて入る事ができるように掘り下げた事が最初とされます。それを志賀直哉や里見弴が随筆の中で誉めた事がきっかけとなり、全国に知られる存在となって普及していきます。

 今日では冬場だけでなく、暖房が必要ない季節には布団を除いてテーブルとして年中活躍するコタツですが、櫓を覆う布団の上に天板を乗せてテーブルとしての機能を持たせるようになったのは、意外なほど歴史が浅い事となっています。

 コタツ板とも呼ばれる天板は、元々はコタツに入ったまま食事ができるようにと宿屋で始まったとされ、1950年代の終わり頃に一般家庭にも普及したとされます。

 大手家電メーカーの1957年のカタログにはコタツ板がなく、昭和の庶民の暮らしを描いた漫画の「サザエさん」にもコタツ板が登場するのは1959年以降の事となっています。

 私にとっては坊ちゃんと一緒に過ごせる大切な暖房器具ですが、同時に愛用のノートパソコンを使う事もでき、熱源の電化や天板の存在など、コタツの進化をありがたく思ってしまいます。


 

第3021回 巨匠のパスタ



 発想力が貧困なので、決定的に才能が欠如している事は自覚しているのですが、どのような職業にでもなれるとすると、思わず工業デザイナーと答えてしまいます。

 日々接する工業製品の中には機能的なだけでなく、その機能をより良く発揮できるように工夫されながら美しさも同時に表現された機能美に溢れるものがあり、思わずそんなデザインを手掛けた人を尊敬してしまいます。

 そんな工業デザイナーの頂点の一人がイタリアのジョルジェット・ジウジアーロ氏で、数々の名車を世に送り出したデザイナーとして世界的に広く知られています。

 ジウジアーロについて驚かされるのは、優れた感性から生み出されるデザインの素晴らしさもさる事ながら、その活動期間の長さで、最初に注目されたゴードンGTが発表されたのが1960年のジュネーブモーターショーとされる事から、実に57年もの長きに渡ってデザイナーとしての活動を続けています。

 彼の長いキャリアは特異なスタートに関係していて、画家を志して美術学校に在籍していた際、たまたま描いたフィアットの500のイラストが500を設計したダンテ・ジアコーザの目に止まり、高く評価された事で高校を中退し、17歳でフィアットのデザイン部門に入社しています。

 その後、多くの名車を手掛けて自動車デザインの第一人者として君臨し続けるのですが、1981年には自動車以外のデザインを手掛ける会社としてジウジアーロ・デザイン社を設立し、幅広い活動を開始しています。

 日本でも一眼レフのカメラやスキーブーツ、カセットテープや徳利、猪口なども手掛けたそうなのですが、変わったところではパスタのデザインも手掛けるという多才さを見せています。

 彼が手掛けたのはパスタのパッケージではなくパスタそのもので、世界的なパスタメーカーの傘下のブランド、ヴォイエッロ社から「マリッレ」の名で発売されています。

 ヴォイエッロ社は昔ながらのブロンズ製の金型にこだわったメーカーで、近代的なステンレスや樹脂コートを施した金型にはできないパスタ表面のザラつきによるソースの絡みやすさを大切にしています。

 ジウジアーロはそんなこだわりのザラつきを活かしながらパスタの断面を「β」の形に似せたものにして、単に美しいだけでなく茹で上がったときのしっかり感やソースの絡みやすさ、連続生産のしやすさといった事を高い次元で実現しています。

 現在ではマリッレは生産終了となってしまっているのですが、マリッレを手掛けた30年後、パスタプロジェクト30周年を記念し、そして彼と共に45年に渡って仕事を続けてくれた従業員に感謝して、第二作となるパスタ、「グスト」が製作され、従業員に配られています。

 グストの製作に当たったのはナポリにある老舗のメーカー、アフェルトラ社で、ヴォイエッロ社同様にブロンズの金型にこだわり、筒型のパスタを二つくっつけたような「∞」の断面を持つグストを生産しています。

 グストは関係者を中心に配られたそうですが、実際に茹でて食べてみると他のパスタとは少々異なる独自の弾力を感じるそうで、ソースの絡みもよく、茹でムラもほとんどないといわれます。

 ジウジアーロのデザインというと、世界的な高級品という感じがしてしまいますが、巨匠が手掛けたパスタ、一度食べてみたいと憧れてしまいます。


 
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にんにく卵黄本舗の健康コラムです。
食と健康をキーワードに最新の医療情報から科学技術、食文化や献立まで毎日更新で幅広くお届けします。是非ご覧ください。

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