第1720回 外国ライス(3)



 謎に包まれたボルガライスですが、その原形となったのではといわれる洋食があります。その名は「ボストンライス」と呼ばれ、東京の浅草付近の洋食店で出されていたメニューであったとされ、内容はほぼボルガライスと同じ物となっています。

 もしボストンライスがボルガライスの原形であるのならば、カフェド伊万里のオープンの際、店主が東京で料理修行をした知人から教わったメニューの中にボルガライスが含まれていたという説が裏付けられる可能性が出てくるようにも思えてきます。

 ボストンが何故ボルガにという謎は残されるにしても、ボストンライスについて知る事ができれば、謎に包まれたボルガライスの起源についても知る事ができるように思えます。しかし、ボストンライスはボルガライス以上に謎に包まれています。

 一説には、ボストンライスは浅草のひさご通りにあった洋食とケーキの店、「クスノキ屋」で出されていたメニューが元になったとされ、クスノキ屋の美味しさを忘れられなかった客がクスノキ屋と似たような浅草の老舗洋食屋を訪れ、ボストンライスとして注文してみた事が始まりとされます。

 ボストンライスというメニューはないという答えに客は落胆し、その落胆ぶりが気になった店主が客から詳しい内容を聞き取り、再現したのがボストンライスの起源となったされ、それはどことなくボルガーナ地方の料理を懐かしがった客によって生まれたジャムハウスのエピソードを彷彿とさせます。

 クスノキ屋でのボストンライスは、「ボルガ」と呼ばれていたともいわれ、当時はさまざまな外国の都市名を付けた洋食が存在していたともいわれます。クスノキ屋で何故、ボルガの名前を使ったのかについては謎ではありますが、チキンドリアを使った「ワシントンライス」も存在したとされ、テーブルの上に繰り広げられる世界旅行が存在していたのかもしれないと思えてきます。

 また、ボルガライスを見た際、「黒いハントンライス」と表現される事があります。ハントンライスとは、金沢市のご当地グルメとして知られた存在で、ケチャップライスを薄焼き卵で包んだ上に白身魚のフライをのせてタルタルソースをかけた物となっていて、とんかつと白身魚のフライ、ドミグラスソースとタルタルソースという部分がボルガライスとの相違点で、ドミグラスソースの色合いがタルタルソースの白と比べて黒っぽいところから「黒い」と表現されてしまいます。

 ハントンライスの起源については、1960年代の金沢市における「ジャーマンベーカリーグリル」の出店に際し、洋食部門のシェフたちによって考案されたとされ、パプリカで赤く色付けされたバターライスに余ったマグロをフライにした物を添えたまかない料理を元に考案されたメニューとされます。

 メニュー化に伴い、パプリカライスは若者に人気のあるケチャップライスとなり、マグロのフライは白身魚のフライへと変更されています。名前の由来については、ハントンライスの元となった料理が、スクランブルエッグの上に魚のフライをのせてケチャップで味付けしたハンガリーの家庭料理とされる事から、ハンガリーの「ハン」とフランスでマグロを「トン」と呼ぶ事から「ハントン」となったといわれています。

 ハントンなる言葉が何処かの都市名でない事を少々残念に思いながら、スクランブルエッグに魚のフライをのせる料理はハンガリー料理には存在しない事や、ハンガリーでもマグロはトンと呼ばれている事から、わざわざフランス語を持ち出さなくてもと軽く突っ込みを入れたくなるものを感じつつ、ハントンライスが日本独自の洋食である事が嬉しく思えてきます。

 姿は酷似していながら、ハントンライスとボルガライスは別系統の起源と発展を遂げてきた物といえます。それぞれに関連性はないにしても同じ内容を持つ事は、ケチャップライスをふわとろの卵で包み、フライをのせて贅沢にソースをかけるという構成が、時を超えて普遍的に人々に愛されるものである事を証明してくれています。誰がどのようにして考案したのか、それはとても気になる事ではあるのですが、皆が求めていた、それも答えの一つになるのかもしれない、ご当地うグルメの枠を超えて全国へと広がっていく姿を見詰めながらそう思えてしまいます。


 
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第1719回 外国ライス(2)


 長崎のトルコライスと良く似た存在に福井の「ボルガライス」があります。ボルガライスは武生市と今立町が合併して誕生した越前市の旧武生地区を中心に食べられてきた、40年近くの歴史を持つご当地グルメとなっています。

 ボルガライスの主な構成はオムライスの上にとんかつがのせられ、ドミグラスソースをかけて味付けがされていて、出される店によってはオムライスの中身が単なるケチャップライスではなくチキンライスであったり、ケチャップを使わない炒飯であったり、とんかつの厚さやかけられるソースにもバリエーションがあります。

 ボルガライスの起源や名前の由来については、トルコライス同様不明のまま諸説が存在し、どれもそれなりの説得力を備えていながら決め手に欠けている事から、いまだに定かにはされていません。

 諸説が語られる中、越前市内の「カフェド伊万里」、「ジャムハウス」、「カプチーノ」という三軒の老舗レストランのいずれかにおいて考案されたという説が有力視されています。

 カフェド伊万里でのボルガライスの考案は約30年ほど前とされ、店をオープンする際、店主が東京で料理修行をしていた知人から幾つかのメニューを教えてもらい、その中にボルガライスが含まれていたとされます。知人が修行をしていた店でまかないとして出されていた物との事ですが、名前の由来については知人が若くして病死してしまったために不明なままとなっています。

 ジャムハウスは前身を「ローマ」といい、40年ほど前、ローマにおいて店主が手元の材料を盛り込んでまかない料理を作っていたところ、そのまかない料理を見た客に同じ物をメニューとして出してほしいと頼まれ、店のメニューに取り入れられたとされ、その際、客が同じような料理をイタリアのボルガーナ地方で食べたと懐かしがった事から、「ボルガライス」と命名されたとされています。

 カプチーノでは店をオープンする際、シェフをはじめとした店のスタッフで何か店の目玉となるメニューを作ろうと話し合い、ボルガライスが開発されたとされます。ロシアのボルガ地方に似たような料理があるとして、「ボルガライス」と名付けられています。

 三軒の店の話はどれもそれらしく聞こえるのですが、三軒のうちのいずれかではなく三軒全てが開発に関わっていたとする説もあります。三軒を含む数名の店主が集まり、武生の名物となる食べ物を作ろうと話し合い、その中でボルガライスが考案されたとされ、ボルガライスが謎に包まれているのは、その際の話し合いで由来を謎のままにしておくとした取り決めがあるからといいます。

 また、すでに閉店した食堂、「いろは支店」において店主がサービスとしてオムライスにとんかつをのせて出していたところ、裏メニューにも関わらず評判となり、定番化したという説もありますが、これではボルガライスの名前の説明ができなくなり、実際、いろは支店において出されていた裏メニューは、「中年ライス」と呼ばれていたとされます。

 ボルガライスは大手コンビニエンスストアによって採用され、メニュー化されています。その際、ラベルにオムライスをボルガ河を渡る舟に、とんかつを荷物に見立てたという説明が記載されています。ボルガというとすぐにボルガ河が思い浮かぶのですが、ジャムハウスで誕生したとなるとボルガーナ地方が語源となります。

 同じボルガ河由来でも河そのものではなく、ボルガ河の漁師達が食べていたローカルメニューを真似たためとするものや、旧ソ連で作られていた高級車「ボルガ」に因んだ、浅草の洋食店、「ボルガ」で出されていた「洋風カツ丼」が原形となったと、今後も謎を残したまま美味しさだけが伝えられていくのかもしれません。


 

第1718回 外国ライス(1)


 卓袱料理やチャンポンほどではありませんが、隣県長崎には「トルコライス」なる食べ物があり、最近ではご当地グルメの一つとして広く知られるようになってきています。

 ずいぶんと前の事になりますが、小用で長崎を訪れた際、市役所の地下にある食堂で初めてトルコライスを見掛け、「せっかくだから名物をいただきましょう」と同行していた人に薦められて注文し、市役所の食堂のメニューになっているほど市民権を得ているのかと驚いた事があります。

 出てきたトルコライスは、楕円形の大き目の皿にカレーピラフとスパゲティ・ナポリタンが並んで盛り付けられ、その間にとんかつが載せてあります。カレーピラフがインドでスパゲティ・ナポリタンがイタリア、その中間のとんかつがトルコを表現していて、それが名前の由来と聞かされ、おかしな発想と思いながら納得していました。

 その後、興味が湧いて調べてみたところ、トルコライスの由来については諸説があって定かではない事や、同じトルコライスといっても幾つかのスタイルがある事が判ります。

 私が聞かされたインドとイタリアの中間という由来が最も広く知られているようですが、カレーピラフの代わりに炒飯を使い、炒飯を中国としてイタリアとの中間であるトルコとする説も存在します。

 本家本元のトルコに由来するとする説もあり、ピラフは元来、ピラウというトルコ料理であった事やトルコライスは当初、ピラフがメインでとんかつやスパゲティは添え物であったとされる事から、トルコ風ライスがトルコライスとなったとされます。

 フランス語で三色旗を「トリコロール」と言いますが、ピラフ、とんかつ、スパゲティという三種の盛り合わせを三色旗に見立てて「トリコロールライス」としたものが変じてトルコライスとなったとする説もあり、トリコロールについてはその名前の喫茶店が存在し、そこで出されていたメニューだったとする説もあります。

 トルコライスが誕生した当時、風俗店のトルコ風呂が話題となっていた事から、単純にトルコと付けたというものや明治時代、すでに存在していた「土耳古飯(とるこめし)」が元になったとする説も存在します。

 土耳古飯については福沢諭吉が創刊した「時事新報」の料理コーナーにレシピが記載されており、鶏肉か牛肉で出汁を取り、塩で味を調えてご飯を炊き、鍋に溶かしたバターを絡めて仕上げるあたりはピラフに通じるものがあり、土耳古飯に付け合せとしてとんかつとスパゲティが添えられ、徐々に存在感を増した。そうなるとトルコライスの起源はピラフ(ピラウ)というトルコ料理に端を発するものとなり、トルコ風ライスが由来と思えてきます。

 長崎市内で出されるトルコライスにはオーソドックスなスタイルの物以外にタマネギ、ピーマン、牛肉、マッシュルーム、小エビなどを炒めてカレー味で仕上げ、皿に盛ったご飯の上に乗せた物やピラフの部分をオムライスにした物などが存在します。

 大阪にもトルコライスと呼ばれる料理があり、チキンライスの上に薄く焼いた卵焼きを敷き、その上にとんかつを載せてドミグラスソースをかけて仕上げられています。近い存在として神奈川県川崎市にもトルコライスは存在していて、チキンライスに刻んだとんかつを混ぜる、もしくはチキンライスの下にドミグラスソースで味付けされたとんかつが隠されたりした物となっています。

 神戸のトルコライスはケチャップを使わずに炒めて味付けしたご飯にカレーをかけ、生卵がトッピングされています。昭和30年代に神戸の米軍将校クラブで出されていたメニューとされ、長崎のトルコライスの元となったという意見もありますが、現在の長崎のトルコライスとの共通点の少なさから根拠に薄く思えてしまい、どちらかと言えば土耳古飯から独自の進化を遂げたという方がよりリアルに思えてしまいます。


 

第1717回 木灰の美味

 伯母が元気だった頃は、毎年5月に入ると手作りの粽が送られてきていて、初夏の訪れを感じさせてくれる物となっていました。それも途絶えて久しく、今頃になって素朴な味を懐かしく思い出しています。

 送られてきていた粽は、木灰に水を注いで上澄みを取り、それにもち米を漬けて竹の皮に包んで茹でてあるので、正確には「灰汁巻き(あくまき)」であった事や端午の節句に供えるために作られていた事、端午の節句に灰汁巻きを供えるのは鹿児島、宮崎、奄美大島の風習である事などを後になって知りました。

 もち米を灰汁に漬ける事で独自の風味が生まれ、保存性が高まる事から、灰汁巻きは保存食としても利用され、秀吉の朝鮮出兵や関が原の戦いなどの際、薩摩藩士が灰汁巻きを兵糧として持ち歩いたとされます。

 粽は平安時代に中国から伝えられたとされ、承平年間(931年~938年)に編纂された「倭名類聚抄」に「知萬木」として記され、もち米を植物の葉で包み、これを灰汁で煮込むと製法が記録されています。

 日本各地で作られ、さまざまなバリエーションも生まれた事から、江戸時代、元禄10年(1697年)に発行された「本朝食鑑」には、蒸した米を突いて餅にし、マコモの葉で包んでイグサで縛り、お湯で茹でた物や、うるち米の団子を笹の葉で包んだ「御所粽」または「内裏粽」と呼ばれる物、もち米の餅を藁で包んだ「飴粽(あんちまき)」、サザンカの根を焼いて作った灰汁でもち米を湿らせ、餅を作って藁で包んだ「朝比奈粽」の4種類の粽が紹介されています。

 4種類の粽の中で朝比奈粽が最も原形に近いといえ、灰汁巻きや長崎の「唐灰汁粽」、新潟の「灰汁笹巻き」や台湾で作られる粽にも似通った製法という事がいえます。

 朝比奈粽において灰汁を得るための木がサザンカに限定されている理由は、灰にした際のアルカリ性の度合いにある事が考えられます。

 灰汁巻きは灰汁に浸したもち米を竹の皮で包み、お湯で茹でただけなのにまるで餅のようにもち米同士がくっつき合って、べっ甲のような透明感を持った色合いに仕上がります。

 そうした灰汁巻きの仕上がりには灰汁のアルカリ度が影響していて、アルカリ性が低いともち米の粒感が残り、薄茶色に仕上がります。灰汁巻きが作られてきた九州南部は照葉樹が多く、照葉樹を燃やして得られる灰からは落葉樹や針葉樹よりも強いアルカリを得る事ができるため、広く九州南部で灰汁巻きが作られ、照葉樹が少ない駿河の朝比奈ではサザンカと木を限定する事で朝比奈粽が作られていたと考えられます。

 pHの概念もなかった頃に灰を使ってアルカリ性の液体を得て、そのアルカリを使って独自の風味と食感、保存性を確保していた事となり、経験的に確立された手法とはいえ驚かされるものがあります。

 粽は中国から東南アジアにかけた広い地域で作られてきました。各地に伝わる粽の質感の違いは、具材や作り方に合わせ、素材の一つともいえるアルカリを得るための灰やアルカリ性の強度にもあるのかもしれないと、素朴な美味しさの粽に奥の深いものを感じています。


 

第1716回 無茶苦茶の由来



 以前、用があってとある方のお宅へお邪魔した際、「これでも忙しいんですよ」と言いながらヤカンに水を入れて火にかけ、お茶を用意しようとされていたので、「どうぞお構いなく」と声をかけたところ、「そうですか、それでは」とガスの火を止め、何も出してもらえなかった事があります。

 喉が渇いていてお茶が飲みたいとか、長々と世間話をしたいという訳でもなく、簡単な用を済ませてさっさと帰りたかったので、それで充分ではあるのですが、意外な展開にそれなりの違和感を感じた事が思い出されます。

 日本では来訪した客にお茶も出さない事や苦くて飲めないようなお茶を出す事は、極めて失礼で通常はありえない事とされ、そこから転じたとして「無茶苦茶」という言葉があります。

 いかにもという感じがしますが、実は無茶苦茶という言葉の由来を探ってみると、意外にもお茶とは関係なく、使われた漢字から関連付けられただけという事が判ります。

 無茶苦茶の「無茶」は仏教の用語で「無為」を意味する「無作(むさ)」が元になっていて、「作」に同じ「さ」の響きを持つ「茶」が当てられて「無茶」となったとされます。

 また、南インドで使われているタミル語で疱瘡、痘痕を意味する「ムトゥ」という言葉があり、天然痘に罹患した結果、顔中に残されるアバタの不規則で乱雑な状態を指す意味でも使われるようになっていました。ムトゥには「無茶」、「滅茶」の文字が当てられ、不規則、乱雑、でたらめな事を指す言葉となり、今日の「無茶」へと繋がったという説もあります。

 苦茶については、無茶を強調するための言葉とされ、苛立った状態を表現する「むしゃくしゃ」と元を同じくすると考えられています。律儀な日本人の気質を考えると、お茶を出さない、不味いお茶を出す事こそ無茶苦茶と思えるのですが、仏教用語やタミル語と言われると変に説得されてしまうものを感じてしまいます。


 

第1715回 手順記載



 料理の種類や内容、それを供する順番などを書いたものといえばメニューの事ですが、和洋中に共通して使われるメニューという言葉も「献立」と言い換えると急に和食限定の事のように思えてきます。

 献立とは武家の習慣に由来する言葉で、酒を飲む事を「一献傾ける」と言いますが、その一献と由来を同じくする言葉となっています。

 室町時代、武家ではもてなしの酒宴を開く際、酒と料理は一対のものとして振舞う習慣がありました。膳に料理を乗せて出し、その料理を肴に酒を三杯飲むと膳は下げられ、次の膳でまた三杯の酒を飲むという事が行われていました。

 この膳に乗せられた料理と三杯の酒を一つの単位として「一献」と言い、通常は三献から五献、酒宴の規模や出席者が酒豪の場合などは二十献近くになる事もあったとされます。

 供される料理も単純に品数を揃えただけのものではなく、季節感や素材、味付けや調理法、盛り付けなどに変化を持たせ、酒宴を通じてもてなしの心を演出する必要があり、主催者のセンスが試されるものとなっていました。

 そのため事前の準備と打ち合わせが重要となり、どの料理をどの順番で出すのかを主催者と料理番が事前に書き留めておいて、滞りなく献を上手に仕立てるという事が行われ、それが献立であり、今日、物事の下準備をしておく「お膳立てする」という言葉で使われる「膳立」と同じ意味で使われるようになりました。

 また、日本では古くから慶弔時などに酒が振舞われ、列席者は儀式として酒を飲んでいました。主催が酒を飲んだ後、その杯を上座から下座へと回し、一つの杯で一同が酒を飲む事を一献として、「式三献」として三度杯を回す事が定例化されました。

 一献ごとに違った肴が振舞われ、その肴の内容と順番を書き留めたものが献立の起源とする考え方もあり、そうなると献立の起源は平安時代にまで遡る事となります。今では献立というと、毎日考える事に追われる印象がありますが、おもてなしの心が源流となっている事を思うと、日々の演出をしっかりしなければと思ってしまいます。


 

第1714回 日本生まれの定番メニュー



 挽肉とみじん切りにしたタマネギ、ピーマンを炒めておき、茹でたジャガイモを潰して混ぜ合わせ、小麦粉、卵、パン粉の衣を付けて油で揚げる。私の中ではコロッケは、結構手が込んだ料理となっています。

 そんなコロッケですが、最近では安売り惣菜の定番メニューとなっていて、中には4個入りの小袋で1袋が100円とその安さに驚いてしまう物まであります。家庭では1個25円で作る事など不可能なのですが、工業的に大量生産すると意外なほどコストダウンができて安売りが可能になるのかと、工場での生産工程を想像してしまいます。

 コロッケは日本で生まれ、独自の進化を遂げた洋食という事ができます。コロッケが初めて文献に登場するのは明治5年(1872年)の事で、現在とほぼ同じのジャガイモを使った作り方が記載されています。コロッケという名前はまだ使われておらず、コロッケの名前が登場するのはそれから15年後の明治20年(1887年)の事となっています。

 よくコロッケの起源としてフランス料理の「クロケット」が上げられますが、クロケットはホワイトソースを使ったクリームコロッケに近い物で、ジャガイモを使うポテトコロッケとは異なる物となっていて、明治28年(1895年)に出版された「女鑑」にもコロッケとクロケットは別の料理として紹介されています。

 同じクロケットという名前でオランダにも揚げ物料理があり、フランスのクロケットのようにホワイトソースで作られますが、幾つかのバリエーションの中にはジャガイモを使って作る物があり、コロッケの起源ではとも思えるのですが、オランダにフランスのクロケットが伝えられたのが1909年の事とされる事から、日本のコロッケとの関連性は低いように思われます。

 日本ではオランダにクロケットが伝えられる6年前の1903年に出版された「食道楽 秋の巻」によってレシピが紹介され、一般的な料理として普及しています。その後、大日本帝国軍のメニューとして採用され、人気の料理となった事からカレーや肉じゃがと同じような普及の歴史を辿ります。

 フランスやオランダのクロケットはどちらかといえばメインの料理というより付け合わせ的存在ですが、日本のコロッケはメインの料理として扱われています。フライという調理法が伝えられ、身近にあったジャガイモを使う事で生まれたと考えられるコロッケですが、世界に誇れるメニューではないかと思っています。


 

第1713回 大豆の防衛策(3)


 高付加価値大豆の研究によって誕生したリポキシゲナーゼ欠失大豆は、大豆から青臭さやえぐ味を取り除いた究極の美味しい大豆となる事が期待されていました。

 リポキシゲナーゼ欠失大豆の将来性を占う上で重要になってくるのが、大豆の最大の用途である豆腐作りとなる事から、完成したリポキシゲナーゼ欠失大豆を使って豆腐作りが試みられます。

 大豆の専門家が揃い、通常通りの豆腐作りが行われたのですが、試食した全員が同じ違和感を感じてしまいます。嫌な青臭さえぐ味がなく、すっきりとした美味しさを持つはずのリポキシゲナーゼ欠失大豆によって作られた豆腐ですが、豆腐らしい味に欠け、期待していたほど美味しくはないという判断しか出来ない物となっていました。

 豆腐本来の美味しさといわれると、素材となる大豆の風味と旨味が充分に活かされ、柔らかで口当たりのよい食感となるのですが、それを邪魔していた青臭さやえぐ味を取り除いてみると、意外なほど物足りなさを感じてしまいます。

 大豆の味にとって重要な役割を占める甘味に着目し、重要な甘味であるショ糖を添加したり、旨味成分であるグルタミン酸を添加しても豆腐としての美味しさは向上しません。逆に豆腐として美味しく仕上げられる大豆を調べてみると、リポキシゲナーゼが働きかける事ができるリノール酸やリノレン酸といった不飽和脂肪酸を多く含む大豆である事が判ります。

 リポキシゲナーゼによって作り出される過酸化脂質には香気成分が多く含まれていて、豆腐の味わいに脂質の存在が深く関わっていた事が考えられます。豆腐の美味しさである素材となっている大豆本来の味わいとなると、植物由来の青臭さやほんのりとしたえぐ味が思い起こされ、仕込みの際に水で戻していた間にリポキシゲナーゼが発動して作り出された青臭さやえぐ味も重要な要素であった事が感じられます。

 豆腐の起源は16世紀に書かれた「本草綱目」によると、「豆腐は前漢の淮南王、劉安に始まる」とされていて、紀元前2世紀の事とされています。しかし、豆腐に関する文献が唐の時代になるまで登場しない事から、実際には淮南王の劉安よりもずいぶんと後になる事も考えられます。

 日本へは奈良時代に中国へ渡った遣唐使の僧侶によって伝えられたとされ、大豆自体は紀元前の弥生時代に入ってきたともされます。それから2000年もの間、美味しく食べる工夫を重ねながらも大豆の食べられないための防御策であるリポキシゲナーゼによる青臭さえぐ味と付き合ってきたといえ、大豆が美味しい食材とされる中には、大豆が食べられる直前に作り出す青臭さやえぐ味も含まれていた事がリポキシゲナーゼを欠失させた事で明らかとなったといえます。

 失う事によって得られる事は多いという話を聞かされますが、大豆とリポキシゲナーゼの関係は美味しさが単純な構成では実現できないという奥深さを認識させてくれ、不味さも美味しさの一部である事を教えてくれているようにも思えます。


 

第1712回 大豆の防衛策(2)


 大豆の防御策であり、大豆を食べようという意欲をそぐものとして用意された酵素リポキシゲナーゼですが、私達は加熱調理する事で働きを止めるという知恵によって、栄養豊富な大豆を美味しくいただけるようにしています。

 大豆の細胞が傷付いた際に周りの酸素を使って、大豆に含まれる不飽和脂肪酸を酸化するリポキシゲナーゼですが、大豆の細胞が傷付いていない状態では完全に働きを止めているかというとそうでもなく、乾燥状態の大豆を水で戻す際にも若干ではありますが、不飽和脂肪酸から過酸化脂質とアルデヒド類を作り出しています。

 そのため品種改良などによってリポキシゲナーゼを含まない大豆を得る事ができれば、大豆は青臭さやえぐ味とは無縁となり、素直な味わいになる事が考えられます。

 昨今、国産大豆の需要が高まり、転作が進んで国内産の大豆の生産量は増加しつつあり、大豆生産農家の間からも差別化を図るために付加価値の高い品種が求められるようになっていました。

 そうした声に応える事ができるような高い付加価値を備えた大豆の研究が進められる中、偶然、一つの品種が発見されます。「すずさやか」と名付けられたその品種には、リポキシゲナーゼが先天的に全く含まれておらず、すっきりとした味わいの大豆となっていて、これまで豆乳や豆腐などの青臭さが苦手であった人にも受け入れられる大豆製品を作り出す事ができる品種として期待されています。

 平成2年に誕生したすずさやかはスズユタカを母に、九交を父に農業研究センターの豆類育種研究室において人工交配されています。その後、選抜と固定といった作業が行われ、10年以上の試験栽培の後に平成15年に「すずさやか」と命名されて品種登録されました。

 すずさやかの誕生以降、リポキシゲナーゼ全欠失大豆と呼ばれるリポキシゲナーゼを持たない大豆は、関東地方での栽培に適した「いちひめ」や九州地方での栽培に適した「エルスター」が登場し、豆乳や黄粉などの加工品に使われています。

 リポキシゲナーゼ全欠失大豆は、他の品種と自然交雑してしまうと、リポキシゲナーゼを持たないという特質が失われてしまう、背が高くて倒伐しやすいといったデメリットはあるのですが、豆乳の用途が広まってきている今日、大きな可能性を持っている品種として期待されているといえるのかもしれません。


 

第1711回 大豆の防衛策(1)


 植物は光合成をはじめとしたさまざまな働きで、動物には真似のできない栄養素を作り出しています。動物は植物を食べる事によってそれらの栄養素を得ているのですが、植物としては動物のために準備しているのではなく、自分自身や次の世代のために用意した栄養素を守る必要があります。

 そうした動物に食べられないための工夫の一つが食べられない味にするというもので、苦味や辛味、臭味、えぐ味といった動物が嫌がる味覚を用意して動物から食べられないようにしています。

 ワサビやカラシ、大根のアリルイソチオシアネート、ニンニクのアリシン、タマネギの硫化アリルなどはその代表格ともいえ、細胞が傷付けられた際に空気に触れて活性化した酵素によって、それまでは存在していなかった防御用の成分が合成されるという地雷のような仕掛けとなっています。

 畑の肉と呼ばれるほど栄養豊富な事で知られる大豆は、人間だけでなく多くの動物に狙われる事が容易に想像できます。そんな大豆も当然無防備という事はなく、食べられないための地雷的仕掛けがしっかりと用意されています。

 大豆というとリノール酸やリノレン酸といった不飽和脂肪酸を多く含む事でも知られています。大豆の細胞内にはリポキシゲナーゼという酵素が含まれていて、大豆の細胞が傷付けられると瞬時に周りの酸素を使い、不飽和脂肪酸を一気に酸化させて過酸化脂質を作り出し、それを分解してアルデヒド類を発生させます。

 過酸化脂質が動物の健康にさまざまな弊害を及ぼす事は、昨今の多くの研究によって裏付けられていますが、動物は本能的にもその弊害を知っていて、過酸化脂質のにおいを毛嫌いする傾向があり、アルデヒド類は体内では毒物である可能性がある成分として判断されます。

 大豆を生で食べた際の嫌な青臭さやえぐ味は、潰された大豆の細胞の中で不飽和脂肪酸がリポキシゲナーゼの働きによって過酸化脂質やアルデヒド類となる事で、動物が本能的に嫌がるように演出されたものという事ができます。

 大豆を生で食べたり調理する前に砕いたりしない事は、経験的にリポキシゲナーゼが活性化する前に加熱して失活させ、嫌な臭味やえぐ味を発生させないようにするという工夫が行われてきた事によるものといえます。せっかく罠を用意していた大豆には申し訳ないのですが、やはり食材は美味しくいただきたいものです。


 
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にんにく卵黄本舗の健康コラムです。
食と健康をキーワードに最新の医療情報から科学技術、食文化や献立まで毎日更新で幅広くお届けします。是非ご覧ください。

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