第1843回 褐色の誘惑



 好きな色はと聞かれて、「褐色」と答える人は少ないと思います。色について尋ねられた際、褐色が思い浮かぶ事自体少ないように思えるのですが、実は多くの人が大好きな色が褐色ではないかと思います。

 こんがりと焼けたクッキーやトースト、鉄板の上で音を立てて焼かれるステーキ、炭火で香ばしく焼かれたうなぎ、それらはすべて褐色に彩られ、私たちはその色合いだけでも食欲をそそられ、褐色を好んでしまう事が伺えます。

 元々褐色ではなかった食べ物が褐色を呈する事を「褐変反応」といい、褐変反応には大きく分けて「酵素的反応」と「非酵素的反応」があります。こんがりと焼かれた食べ物が褐色になるのは非酵素的反応によるもので、非酵素的反応はさらに細かく「メイラード反応」と「カラメル反応」に分けられ、メイラード反応によって美味しそうと思ってしまう褐色の多くは作り出されています。

 アミノカルボニル反応と呼ばれる事もあるメイラード反応は、食べ物に含まれる還元糖がアミノ酸やペプチド、タンパク質といったアミノ化合物と共に加熱された事で「メラノイジン」といった褐色物質を生み出す反応の事で、どことなく難しげな事のように思えますが、朝食の場面を思い浮かべるだけでもトーストの焼き色やコーヒー豆のローストされた色、卵焼きの焼き色など日常的に接している事が判ります。

 トーストに限らずパンを焼く際、小麦粉にバターや砂糖、イーストなどを加えて生地を作ります。焼く前のパン生地は真っ白なのに、窯に入れて焼き上げると表面に美味しそうな焼き色が付いているのは、小麦粉やバターに含まれるタンパク質と砂糖が窯の熱によってメイラード反応を起こし、日頃から見慣れたパンの色となっています。

 メイラード反応は褐色の色だけでなく、食べ物の風味にも関わっています。メイラード反応を起こすアミノ酸の種類と温度によって発生する風味は異なり、アミノ酸のバリンの場合、100度でライ麦パンのような香りを発生し、180度ではそれが刺激のあるチョコレートのような香りに変わってしまいます。同じ100度でもロイシンの場合、甘いチョコレートのような香りとなり、イソロイシンの場合、カビの臭いとなってしまいます。甘いカラメルのような香りを出してくれているのはアスパラギン酸で、パンの香りはリシンやプロリンが関係しています。

 メイラード反応によって生じる褐色成分、「メラノイジン」には強い抗酸化作用があり、その力はビタミンEよりも強力とされます。味噌には優れた抗酸化作用がある事が知られ、色合いが濃い味噌ほど抗酸化力が強い傾向があるとされますが、味噌の抗酸化作用の大半はメラノイジンが担っているとされ、メイラード反応が単に美味しさを作り出しているのではないという事ができます。

 メラノイジンはアミノ酸のグリシンと糖質が結合した物が多いほど活性酸素除去能力が高いとされ、アスパラギンとブドウ糖が反応するとアクリルアミドとなってしまいます。

 アクリルアミドには神経毒性や発ガン性が懸念され、人に対して神経毒として働く事が確認されています。アスパラギンやブドウ糖は一般的な食品に広く含まれていて、高温の調理が行われ、メイラード反応が見られる食品にはアクリルアミドが広く含まれている事が考えられます。

 今のところ一般的な食品に含まれるアクリルアミドの量では、神経毒として作用する事は考えられず、発ガン性についても食品に含まれ、ガンを防ぐ働きを持つメラノイジンと一緒に含まれている状態での危険性については評価ができていません。

 結局、味覚や風味について複雑な働きを持つだけでなく、健康という点に関しても難しい問題を残しているメイラード反応ですが、こんがりと焼けた色合いに抗しがたい魅力を感じつつ、昔からそういうものとして存在していた現象を細かく分析したメイラード博士の偉業を称えたいと思ってしまいます。


 
スポンサーサイト

第1842回 禁則の意味



 冷たく乾いた風が吹くようになると、インフルエンザの流行が心配になります。毎年、激しい症状と広範囲の流行が聞かれ、身の回りにも罹患する人が見られるのですが、幸いにも長い事、感染せずに済んでいます。

 何か特別な事をしていますかと聞かれる事もあるのですが、これといって特別な事をしている訳でもなく、せいぜい無駄な外出を控え、手洗いやうがいを行っている程度で、それでも無事に済んでいるのでありがたくも思えてきます。

 インフルエンザの予防というと、真っ先に思い付くのは「予防接種」ではないかと思います。インフルエンザの予防接種は、インフルエンザウィルスを分解して精製したタンパク質をワクチンとして体内に摂取するもので、事前にウィルスに対する抗体を体内に用意させておく事で感染を防いだり、発症しても軽症で済ませるとされます。

 高校生の頃までは学校単位で一斉に行われていたので予防接種を受けていたのですが、大学生になると選択制になった事もあって以後は予防接種とは無縁の生活が続いています。

 長らく無縁だった事もあって、予防接種後の注意事項が変化している事も知らなかったのですが、昔、予防接種を受けた後、お決まりのようにいわれていた「今夜は入浴は控えて下さい」「注射したところはよく揉んで下さい」は、今では「今夜は入浴しても大丈夫ですよ」「注射したところは揉まないで下さい」に変わってしまっています。

 何故、予防接種後の注意事項が正反対に変化してしまったのか、そもそも予防接種後の注意事項とは何だったのかと思えてきます。ワクチンはウィルスを不活性化させているとはいえ、体内に抗体を作り出すほどの異物であり、体に負担となる入浴を行わない事で体力の損失を抑える事や、注入したワクチンの分散を行う事が予防接種後の注意事項の根拠と思っていたのですが、どうやら別の理由が注意事項にはあったらしく、それが正反対に変化してしまった原因となっているという事ができます。

 予防接種後の入浴の禁止は、入浴という体への負担による体力の損失を懸念したものではなく、かつて日本の家屋において風呂場の普及率が低く、共同浴場での入浴が中心となっていた頃の名残とされ、共同浴場という衛生上の問題が考えられる事から、摂取部位から雑菌が入り込む事が懸念され、予防接種後の入浴の禁止に繋がっていたとされます。

 摂取した部位の傷口が速やかに塞がる事を思うと、入浴によって雑菌が入り込む事は極めて考えにくく、今では「インフルエンザワクチンの接種後、1時間を経過すれば入浴は差し支えないと考えられる」とインフルエンザ予防接種ガイドラインには記載されています。

 ワクチンを摂取した箇所を揉む事については、軽く揉む事で摂取したワクチンの吸収が良くなると考えられていた事や、揉んだ方が摂取時の痛みを和らげられると考えられた事が元となっているとされますが、揉む事を推奨する事で、摂取者が必要以上に強く揉んでしまい、皮下出血を起こしてしまう事が懸念され、皮下出血が起こると破れた血管から急速にワクチンが広がり、腫れやしこりを生じたり、最悪の場合、全身のアレルギー反応であるアナフラキシーショックを起こす可能性もあるとされます。

 そのため揉まない事を推奨するようになったとされますが、摂取後の注意事項として変わらないものとしては、「運動をしないように」というものがあります。

 摂取後、運動をしてしまうと血流を促進してしまい、ワクチンが想定よりも早く体内を循環してしまう事や、運動によって体力が低下してしまう事が想定されますが、過度の運動は体調を崩しやすく、予防接種の後、体調を崩してもそれが予防接種によるものか、過度の運動によるものかという判断を難しくする事を避けた事が摂取後の運動の禁止に繋がっているらしく、それも根拠に薄いものとなっています。

 いつの間にか変わってしまった予防摂取後の行動ですが、できる事なら、今後とも予防接種とは無縁で元気に過ごしたいと思え、そのための努力を惜しまないようにしなければと思ってしまいます。


 

第1841回 好みの厚さ



 関東と関西の食文化の違いというと、とても興味深い事が多く、知る度に面白さを感じてしまいます。味付けに関する出汁の取り方やしょうゆの違い、料理の呼び名の違いや食材そのものの違いなどもありますが、視覚的にも一番の違いとなっているのは鰻の背開きや腹開き、蒸しといった扱いではないかと思っています。しかし、それ以上に視覚的な違いとなっているものがあります。それが食パンの厚さの違いではないかと思います。

 食パンとは日本の食卓ではお馴染みの四角い型に入れて発酵し、焼き上げたパンですが、切り分ける厚さには統一された規格があります。食パンは重量によって「斤(きん)」という単位で数えられます。尺貫法の斤から派生した「英斤」に由来し、350~400g程度(公正競争規約では340g以上)とされ、1斤の半分を均等に何枚に切り分けるかで食パンの厚さが決まります。

 関東から関西へと来た方が、食パンの「8枚切り」が売られていない事に驚くと聞かされた事があります。九州では「6枚切り」の食パンが主流であり、少し厚めの「5枚切り」、薄いものではサンドイッチ用の「12枚切り」が売られていますが、8枚切りを見かける事はあまりありません。

 また。大阪の下町のパン屋では3枚切りの食パンが売られていて、人気となっていると言います。十数年前、2枚切りの食パンの注文を受けた際、「少し厚いかな」と言われて3枚切りに落ち着き、それ以降、定番となっているそうで、関東の薄切り、関西の厚切りという食パンの厚さに対する好みの違いを伺う事ができます。

 食パンの大手製造会社によると、食パンは4枚、5枚、6枚、8枚、12枚とさまざまな厚さで出荷されているそうですが、関東では8枚という薄い物、関西では4枚や5枚といった厚い物が人気となっているされ、銘柄にもよりますが概ね関東では6枚が全体の65%、8枚が20%、4枚が10%程度の売り上げを占め、関西では5枚が45%、6枚が35%、4枚が15%となっていて、関東の薄好み、関西の厚好みが明確に表されています。

 そうした好みの違いを検証すると、よく言われる理由として「忙しいから」というものがあり、関東では通勤圏が広い事から朝が忙しく、素早く焼いて食べる事ができる薄い食パンが好まれるようになったとされ、同じく商人が多く忙しい関西では、一度にまとめて焼いて食べられる厚切りの食パンが好まれるようになったと、忙しさと食パンの厚さに対する相反する事が言われています。

 食パンに何を塗って食べるかについての好みも別れ、関東ではジャムが好まれ、関西ではバターが好まれるという違いがあるとされ、関東では薄い食パンに何かを挟んでサンドイッチにし、関西では厚い食パンに具材を乗せて一緒にトーストにするといった食べ方の好みの違いもあります。

 基本的にジャムはパンに染み込まず、厚く塗ってしまうとそれだけ食べる際の高さが増して食べにくくなる事や、厚いパンでは味が均等にならない事、薄いパンでは焼き上がった際の熱で溶けたバターを充分に染み込ませる事ができない事などが厚さの好みを分ける理由として考える事もできますが、それだけで食パンの厚さの好みが確立されたとは思えません。

 関東では、同じ1斤でも枚数が多い方がお得感がある事から薄切りが浸透し、関西では枚数を少なく切った方が早く1斤が売れる事から厚切りが浸透したという、消費者としての関東、商人の関西といった文化的な違いに厚さの好みの違いを求める意見もあり、興味深く思えてきます。

 しかし、関西で厚切りが好まれる最大の理由は、関西の「粉物文化」にあるように思えます。関西の食に深く根差している粉物文化によって、お好み焼きやたこ焼きが一食として成立するという食習慣があり、それらは表面はカリっと、中はふわっとという食感が好まれます。食パンでそれを充分に味わうには6枚切り以上の厚さが必要となり、厚切りの食パンが好まれるようになったと考える事ができます。

 今日、6枚切りが標準となっている背景には、最初に輸入された食パンを切り分けるスライサーの設定が6枚となっていたからとされます。初期設定を受け入れながら食べやすさを考慮した関東と、初期設定を変更してまで好みの味を追及した関西。粉物を主食と見なすかどうかといった違いも食パンの厚さの違いに繋がっていると思えます。

 欧米では、食パンは8枚切り以上の薄さで販売されています。第二次世界大戦後、進駐軍の注文で8枚切りの食パンが多く流通していた名残りが関東の薄切り食パンとも言われ、関西ではいろいろなおかずを乗せて焼く「おかずのせトースト」が好まれている事から、おかずの美味しさを充分に受け止めるには食パンにも主食としてそれなりの存在感が求められ、必然的に厚切りとなったとも言えます。

 物心付いた頃から、朝は6枚切りの食パン2枚をトーストでと決めていて、8枚切りや12枚切りといった薄い食パンはサンドイッチのみでトーストとして食べるという発想がなかった事を振り返りながら、どうしても薄いトーストは味わいに欠けるように思える事に、関西の食文化に属している事を再認識してしまいます。


 

第1840回 青の効用



 「ブリリアントブルーFCF」というより「青色1号」といった方が馴染みがあるかもしれません。ごく普通に食品や化粧品などに使用されている青い色の合成着色料で、青い色に限らず黄色系の色素と合わせる事で緑色を発色する事にも使われています。

 どうしても合成着色料というと、あまり良い印象は得られないのですが、最近、そんな青色1号に新たな利用法が確立される可能性が出てきています。神経の炎症を引き起こしてしまう主要なプロセスを遮断するための研究の中で、実験室で合成された化合物の組成が驚くほど青色1号に酷似している事が判り、神経の治療に青色1号が使える事が明らかになってきています。

 自動車やバイク、自転車などの事故や落下事故などで不幸にして脊髄に損傷を負ってしまった際、脊髄周辺に生じる腫れによって血管が圧迫され、血液の供給が阻害されてしまう事でさらに神経細胞の死滅を招き、脊髄の損傷を悪化させてしまう事があります。

 これまでは損傷を受けた直後に炎症を抑える目的でステロイドを注入するという対処法が行われていましたが、効果が得られる個人差が大きく、充分な効果が得られる患者は少数で、大多数は二次的な炎症のせいで症状が悪化し続けていました。

 2004年に行われた研究で、脊髄周辺の腫れはATP(アデノシン三リン酸)の急速な放出によって引き起こされる事が突き止められています。ATPは通常、三つのリンのうちの一つを放してADP(アデノシン二リン酸)となる事で細胞にエネルギーを供給しているのですが、過剰になると神経細胞に過度の刺激を与えてしまい、代謝ストレスによって細胞を死に至らせてしまいます。

 その後の研究で「P2X7」と呼ばれるATP受容体を遮断する事で、脊髄を損傷した事によって起こる炎症を大きく抑えられる事が判っていましたが、P2X7を有効に遮断できる薬品については特定する事ができていませんでした。

 P2X7によく似た構造の化学物質を見付ける事ができれば、P2X7を有効に遮断できる可能性がある事から、さまざまな観点から化学物質の構造が研究され、その中で青色1号の構造がP2X7によく似ている事が発見されています。

 青色1号は毒性試験において短期毒性、長期毒性、発ガン性が確認されないとして安全性が確認されているだけでなく、脳や脊髄などの中枢神経系への化学物質の侵入を制限する「脳関門」を通過する事ができます。そのため、脊柱に直接薬剤を注入しなくても、血液を介して患部に青色1号を送り込む事ができるというメリットがあります。

 脊髄に損傷を受けてしまってから4時間以内に青色1号の投与を行えば、二次障害の炎症を抑える事ができ、後遺症として起こる永久的な麻痺を回避できるとされ、患者にとって計り知れないメリットがあるものといえます。

 今のところ確認されている副作用は、元々が着色料である事や血液を介して投与される事から、皮膚や目が青くなってしまう事で、それも時間の経過によって通常の色に戻るとされています。直接の作用部である脊髄には、その後も長く青い色が残ってしまうとされますが、人に見られる部分ではない事や麻痺と引き換えなら容易に受け入れる事ができます。

 脊髄に損傷を受けるような事故後の入院期間を思うと、退院する際は体の色が元に戻っている事は充分に考えられます。それ以外の副作用はなく、安全で非常に安価となると、とても優れた薬剤であるように思えてくるのですが、非常に安価という優れた特徴が青色1号の実用化へ向けた研究の足を引いてしまっています。

 青色1号は優れた効果を発揮する新顔の薬剤といえますが、新開発されて特許が取得できる新薬ではありません。しかも非常に安価である事から、販売利益も望む事ができない事が容易に想像できます。研究チームは高額な費用を要する臨床試験を支援する製薬メーカーを探していますが、興味を示す製薬メーカーを見付ける事は難しいと考えられます。医療は算術ではなく仁術というのであれば、青色1号の実用化を実現してほしいものだと思ってしまいます。


 

第1839回 鶏ご飯



 以前、奄美大島を訪れた際、到着時間が昼だった事もあり、現地の人と合流するなり食事となって、「奄美に来たからには、これを食べないと」といわれて「鶏飯(けいはん)」をご馳走になった事があります。

 鶏飯は奄美大島、特に笠利町周辺を中心に伝えられた郷土料理で、丼に盛られたご飯の上に細かく割いた鶏肉や甘辛く煮て細く切ったシイタケ、錦糸玉子、パパイアの漬物、小口切りのネギ、島みかんの皮などを好みに合わせて乗せ、鶏ガラの出汁をかけていただく奄美大島独自の料理で、素朴な味わいがとても美味しかった事が思い出されます。

 鶏飯と書いて「とりめし」と読む鶏肉を使った炊き込みご飯は日本各地に見られますが、「けいはん」と読む事やお茶漬けのような鶏料理は珍しいと思えます。奄美大島の鶏飯は江戸時代、薩摩藩の支配下にあった頃、藩の役人をもてなすために考案されたとされ、厳しい生活を強いられていた奄美大島に人達にとってとても贅沢な物で、「殿様料理」と呼ばれる事もあります。

 奄美大島では野鳥を使った炊き込みご飯が伝統的に作られていて、それを役人のために貴重な鶏に置き換えた事から、最初の鶏飯は炊き込みご飯のような物であったとされ、その後、今日のような料理に変更されたとされます。

 今日の鶏飯については、茹でた鶏肉を細かく割いてご飯に乗せ、出汁をかけるという料理が江戸時代の料理書、「名飯部類」や「料理綱目調味抄」に「鶏飯(とりめし)」として記載があり、室町時代の末期頃から食べられるようになった「芳飯(ほうはん)」はご飯に7種類の具材を乗せ、お焦げを加えた出汁をかけて食べるという物で、それらが元になった可能性があります。

 また、琉球王国の宮廷料理の中には、「菜飯(せーふぁん)」というご飯の上に卵焼き、ニンジンやシイタケなどの煮物、茹でた青野菜を盛り付けて豚肉や鰹節から取った出汁をかけて食べるという鶏飯に共通点を多く持つ料理があり、奄美大島が琉球王国の支配下にあった頃に鶏飯の原形として伝えられた可能性も考える事ができます。

 沖縄にも「鶏飯(けーふぁん)」という料理が存在し、炊き込みご飯である「ジューシー」の具材を鶏肉にした物に出汁かけて食べられています。鶏肉の代わりに豚肉を用いた物は「豚飯(とぅんふぁん)」と呼ばれ、鶏飯同様に親しまれています。

 菜飯のルーツは中国にあるともされ、中国、日本、琉球といったさまざまな食文化が今日の鶏飯の成立に関わっているように思えます。文化のクロスロードといえる奄美大島に花開いた独自の食文化、それが鶏飯のようにも思えてきます。


 

第1838回 和の夜食



 秋は日が傾くのが早く、過ごしやすい気候という事もあってつい夜更かししてしまい、秋の夜長という事を実感してしまいます。単に長い夜を楽しんでいるだけなら良いのですが、やはり遅くまで起きているとお腹が空いてしまい、夜食を考えてしまいます。

 夜食には温かくて手軽に食べられ、消化がよさそうな物が良いと思えてきて、そんな時、真っ先に思い付く物の一つが「お茶漬け」ではないかと思います。

 お茶漬けというとその名の通り、ご飯に熱いお茶や白湯をかけた物で、冷めて固くなったご飯を食べやすくし、手早く食事を終える工夫という事もできますが、世代によってお茶漬けに対するイメージが異なるとされ、一定以上の年代にはご飯にお茶をかけただけの物や、佃煮や漬物などの具材を乗せたご飯にお茶をかけた物というイメージが、若い世代では市販の粉末を使う物となり、お茶だけをご飯にかけた物はお茶漬けではないという意識も存在します。

 米は「炊く」という調理の後に食べる事ができる状態になります。炊くとは、通常の調理で行われる「煮る」「蒸す」「焼く」といった加熱方法がすべて含まれ、炊く事によって米の中に含まれるデンプンの状態に変化が生じ、糖がたくさん繋がった高分子の固い状態から、単分子化して間に水分が入り込み、ふっくらとした柔らかい状態にする事で美味しいご飯として食べる事ができるようになります。

 いわゆるβ化していたデンプンをα化した事によって、固い米から柔らかく消化吸収に適したご飯が炊き上がっていたのですが、その状態は永続的なものではなく、温度が下がる事で単分子間に入り込んでいた水分が抜け、α化していたデンプンはまたβ化していき、ご飯は固いパサパサした食感へと変化していってしまいます。

 今日のように電気の力を使ってご飯を保温したり、冷めてしまったご飯を電子レンジで温めるといった事がない時代、冷めて固くなってしまったご飯を食べやすい状態に戻すには、水分を加えるという事がもっとも手軽であり、稲作文化と共にはじまったと見る事ができます。

 お茶漬けのルーツについてはさまざまな考え方が存在しますが、ご飯に水分を加えて食べやすくするという部分は非常に古くから行われていたと考える事ができ、乙巳の変の際、蘇我入鹿の暗殺に向かう者が水をかけたご飯を食べてから出掛けたという逸話が残され、平安時代には、冷ご飯に水をかけた物は「水飯(すいはん)」と呼ばれ、「源氏物語」の中で光源氏が食べるという場面も出てきます。

 β化したデンプンを再びα化させるには温度を上げる事も効果的で、水よりもお湯をかけた方がより冷ご飯は食べやすくなり、お湯をかけたご飯は「湯漬け」と呼ばれて、同じく「源氏物語」や「枕草子」にも登場しています。「今昔物語」や「宇治拾遺物語」には、肥満に悩んだ三条中納言が医師に相談したところ、湯漬けや水飯でカロリーを制限するように薦められるのですが、あまりの美味しさに食べ過ぎが続き、かえって肥ってしまうという場面も登場し、足利義政や織田信長も湯漬けを好んだと伝えられる事からも、湯漬けが保温できない冷ご飯を食べる有効な手段であった事が伺えます。

 お茶漬けの要件として「お茶」の存在が不可欠とした場合、お茶漬けのはじまりは煎茶や番茶が庶民の嗜好品として普及する江戸時代中期以降を待つ事になります。煎茶には旨味成分のグルタミン酸が含まれる事や、お茶特有の風味や色合いが加わる事で、湯漬けよりも数段美味しくなるのですが、お茶漬けのはじまりは商家の奉公人が仕事の合間に迅速に食事を済ませるために、ご飯にお茶をかけてかき込んだ事とされ、意外と味気ないものとなっています。

 その後、元禄時代には、お茶漬けを専門的に食べさせる「茶漬屋」も登場し、庶民のファーストフードとして親しまれるようになり、一つの料理として成立したという事ができます。1952年には、具やお茶、出汁を粉末化したインスタントのお茶漬けの素が発売され、今日のお茶漬け事情を迎える事となります。

 歴史上、最も奇異なお茶漬けを食べた人は、医師であり作家でもあった森鴎外ではないかと思います。ドイツに留学中、顕微鏡で直接細菌を見てしまった森鴎外は、それ以来、かなりの潔癖症になってしまい、大好きな饅頭を食べる際も、四つに割った饅頭をご飯に乗せ、煮えたぎったお茶をかけて食べていたとされます。

 さすがに饅頭は辛いものがありますが、お茶漬けはさまざまな地域で、その地の特性を活かした具材が使われ、非常に多くのバリエーションが存在します。不思議な事に日本と同じく米を主食とし、お茶を好む中国ではお茶漬けという食習慣は見られず、はじめてお茶漬けを見ると驚かれてしまうといいます。お茶漬けも日本固有の食文化と思うと、またお茶漬けに愛着が湧いてきます。


 

第1837回 食と色



 食品添加物というといかにも悪い物、不要な物と思えてきて、その中でも着色料は特に不要な物のように思えます。着色料とは文字通り食品に色を着けるための物で、よく言えばその食品をより美味しくいただけるように演出してくれる物、悪く言えば安直にきれいな色合いを作り出す物という事ができます。

 現代の工業的食品製造の申し子のようにも思える着色料ですが、その歴史は非常に古く、古代インカ帝国ではカイガラ虫から赤や黄色の色素を取り出す今日の「コチニール色素」の存在がすでに知られており、古代エジプトやローマでも食品に色を着ける例は見られています。

 日本では、古い時代にはあまり食品に色を着けるという例は見られず、奈良時代の小豆を使って赤く色付かせた「赤小豆餅」や、平安時代の宮中儀式の中で小豆などの穀類やゴマ、栗といった物を使って色付けした米や餅、粥などが登場する程度に留まっています。

 室町時代の後期、南蛮貿易によって海外の文化が流入し、また、茶の湯の発展に伴い和菓子の加工技術が急速に発達するようになると、食品を色付けする例も多く見られるようになり、庶民の生活が向上した事による加工食品の需要の増加も、それまでの儀式的な意味合いの着色から色合いを楽しむための着色へと変わり、ベニバナ、クチナシ、シソ、大豆、小豆、ウコン、米粉、ヨモギ、ブドウ、黒ゴマなどが着色料として用いられています。

 そうした天然の着色料に対し、化学的に合成された合成着色料は1856年、イギリスのウィリアム・バーキンによって発明され、アニリンを使った実験中に濃い紫色を発色するものとして発見されています。

 その後、1869年にカール・グレーベとカール・リーバーマンによって、古くから使われてきたアカネ色素のアリザリンが合成され、1880年にはアドルフ・フォン・バイヤーによって藍の色素であるインディゴが合成されて、安価な合成着色料が天然色素に取って代わる時代が本格化したといえます。

 以来、多くの合成着色料が登場し、多くの着色料が食品にも使われるようになっています。そうした中には安価にきれいな色合いが得られる半面、安全性が不確かなようにいわれる物や原料が石油系である物もあり、着色料という言葉をどこか危険なものとして感じさせてくれるようになっています。

 食品添加物は今日のような美味しい物が安く、手軽に手に入り、それほど保管にも気を使わなくて済むというライフスタイルを維持するには欠かせない存在となっています。過去にはわずかな危険性を懸念して使用を禁じたために、より危険度の高い物が代わりに使われてしまうという例もあり、単純に否定だけしておけば良いという物でもないといえます。

 そんな中、着色料は食品に色を付けて美味しそうに見せ、購買意欲をそそるためだけの物だからと否定的な意見がいわれそうですが、かつて店頭販売される弁当で、購入者のニーズを考え、着色料を一切使用しなかったところ大幅に売り上げを落としてしまったという事例があり、消費者が着色料の添加を支持しているという奇妙な事実も存在します。

 着色料一つにしてもかなりの数があり、個別に危険性や効用を理解する事は難しい上に、他の成分と合わさった際の相乗効果となると途方もない事になっていまいます。天然だから安全、合成だから危険と単純に判断するのではなく、何故それを使っているのか、本当に必要なのかという点から考えてみないといけないのかもしれません。


 

第1836回 外来?同一?



 日が暮れて肌寒さを感じるようになると、温かくて消化の良い料理がありがたく思えてきます。米を具材と一緒に多めの水で柔らかく煮込んだ「おじや」は、そんな温かい料理の代表の一つではないかと思えます。

 おじやというと、いかにも和の食べ物という感じがします。しかし、一説にはおじやの語源はスペイン語で深型の鍋を意味する「オジャ」に由来するとされ、16世紀末から17世紀初頭にかけての南蛮貿易やキリスト教布教の際に、関西のイエズス会や関東のフランシスコ会の修道士によってもたらされた深鍋を使って作るスペイン風の米料理が元になったとされます。

 調理器具である鍋がそのまま料理名となっている事については、少々不思議な感じがしますが、本来はフライパンを指す言葉であった「パエリア」がそのまま料理名になっている事や、スペインやポルトガル、チュニジアなどにおいて「オジャ」や「オジャ デ ○○」といった料理名が存在する事を考えると、それほど違和感のあるものではなくなってきます。

 おじやのオジャ由来説に対し、おじやは雑炊の女房言葉である事から、外来語に由来する事はありえないとする考え方もあります。おじやの「お」は接頭語であり、「じや」という言葉は鍋の中で米が煮えている様子を表しているとされ、古い表現の「ジャジャと煮る」にその由来を求める事ができます。

 雑炊の女房言葉がおじやという事で、多くの場合、両者は同じ物として認識され、江戸時代の文献に「江戸では専ら男女共におじやと言い、上方では男は雑炊、女はおじやと言う」という記載がある事からもおじやと雑炊は同一の物でる事が伺えるのですが、別物とする意見も根強く、幾つかの分類法が存在します。

 代表的な例としては、調理する際、ご飯を一旦、水で洗って表面の粘りを取り、出汁に入れてからもあまり煮込まずにさっと仕上げて、さらっとした食感と米の形を残すのが雑炊で、おじやは水洗いで粘りを取る事はせず、出汁に入れてからもしっかりと煮込んで水分を飛ばし、米の形をあまり残さないように仕上げるという調理法と出来上がりによって区別するというものがあります。

 味付けによる分類法も存在していて、味噌で味を付けたのがおじやで、塩やしょうゆなどで味を付け、出汁が澄んでいるのが雑炊とされています。おじやに関する古い記述には、しばしば「いれみそ」などの記載が見られる事から、味噌味の物がおじやであり、それ以外は雑炊と呼ばれていた可能性も考えられます。

 また、料理としての独立性に関する分類法もあり、鍋物をいただいた際、具材を食べてしまった後の出汁にご飯を入れて調理する残り物の再利用がおじやであり、水洗いしたご飯を鍋に入れ、具材と出汁を加えて調理する一品の料理が雑炊とする意見もあります。

 以前、メニュー開発に関わった物に、川カニから取った出汁でご飯を煮込み、仕上げに茹でた川カニをトッピングした物がありました。少しでも温かい雰囲気と優しい印象を与えたかった事から、「かにおじや」と名付けていたのですが、調理法に味付け、仕上がり、料理としての独立性、どれを採っても雑炊そのものであったと思えてきます。違いを検証するのも楽しいのですが、やはり自己申告で良いように思ってしまいます。


 

第1835回 薬の味?



 子供の頃、カップ麺を食べようとして、かなり真剣に説明書きを読んでいた事があります。今から思うと、何もそこまで真剣に読まなくても、蓋を開けて粉末スープの素を入れ、お湯を注げばよいだけの事なのですが、説明書きの中にあった「かやくを入れる」という一文がどこか奇妙な感じがしていた事が思い出されます。

 その頃、かやくというときれいな花火の中身が知りたくて、全体を包んでいる紙を解していって、中から出てきた「火薬」しか連想できず、粉末のスープの素が火薬に似ているためだろうかなどと勝手な解釈をしていました。

 かやくとは正式には「加薬」と書き、ラーメンやうどんなどに加える香辛料や具の事を指し、一般的にはひらがなで記載される事が多いとされます。カップ麺に添付された粉末スープの素も香辛料やフリーズドライの具材を含む事から、かやくである事が判ります。

 加薬とは薬味を加えるという意味から来ていて、薬味とは本来漢方医学の用語となっています。漢方では、薬には酸味、塩味、甘味、苦味、辛味という五味が存在するという考え方があり、そうした考え方は中国最古の薬に関する書物である「神農本草経」にも記されています。

 すでに1世紀頃には、薬の味である薬味をうまく利用するという考え方が定着し、宋代に入って医療が庶民の生活に密着したものとなってくると、薬草などの一般家庭で調達可能な素材は医者や薬屋から購入するのではなく、自ら調達したり、配合したりという事が行われるようになります。

 宋の医学が日本へ伝えられると、日本の一般的な家庭にある漢方素材として生姜が使われるようになり、薬味の代表格となります。その後、生姜の事を指して「薬味」「加薬味」や「加薬味」の略語である「加薬」という言葉が使われるようになり、江戸時代に入ると生姜以外にもネギや山椒といった香辛料が加薬と呼ばれる物に加わっていきます。

 江戸時代に書かれた料理書「素人包丁」には、かやくの事を「加益(かやく)」とする記載が見られ、薬という分野から離れた料理に美味しさという益をもたらす物という考え方が生じていた事を伺う事ができ、鯛めしに関して記した項に「加益はおろした大根、ネギ、海苔、唐辛子」と書かれている事から、香辛料全般が加薬となっていたと考える事ができます。

 また、江戸時代には秋に収穫された米に、同じく秋に旬を迎える多くの食材を炊き込んで作る「加薬ご飯」が作られるようになり、加薬は香辛料だけでなく、さまざまな具材を指す言葉としても使われるようになっています。

 今日、かやくという言葉の利用例を見ていると、香辛料や具材が合わさった物に使われているように思えます。香辛料だけの場合は「添付の香辛料」、具材の場合は「別袋の具」、ネギや唐辛子、生姜などの場合は「薬味」と記されている事が多く、単体をかやくと呼ぶ例はあまり見られません。

 香辛料とあまり存在感がない具材という明確ではない範囲に使われるかやくですが、中国には同じような言葉の発展は見られていない事から、日本独自のものとなっています。これも一つの日本の文化なのかもしれません。


 

第1834回 変わりうどん



 うどん好きでいろんなうどんに関する情報を収集したりもしているのですが、中には驚かされてしまうものもあり、うどんといってもずいぶんと奥深い世界を持っているものだと思わされてしまいます。

 以前、お気に入りの時代劇を見ていた際、登場人物の一人が久々に再会した知り合いと連れ立って「一本うどん」と書かれた看板が掲げられた店へと入って行き、文字通り一本だけ麺が入れられたうどんを食べていました。

 麺が一本だけといってもその太さが半端ではなく、通常のうどんの麺を4、5本束ねたくらいの太さがあります。具材は何も入ってなく、ただ極太の麺がとぐろを巻いたようにつゆが張られた丼に入れられていて、それを「若い頃には三日に開かせず食べに来たものだ」と語りながら、普段はクールな悪役や重厚な役所を演じている役者さんが食べていて、その姿が何ともユーモラスに思えました。

 気になって調べてみると一本うどんなる食べ物は存在していて、江戸時代、浄心寺近くにあったうどん屋「やほき」にて出されていて、基本的には普通のうどんと同じ物とされながらも、その太さは大人の親指ほどもあり、非常に長くて丼に一本のみ盛り付けられていて、具材はなく、薬味はおろし生姜であったとされます。

 口当たりが非常に柔らかく、切り口は鮮やかな四角形で芯までしっかりと火が通っていたとされ、麺の打ち方や茹で方に特別な技量が求められました。前日の夕方に麺を打ち、ある程度まで時間をかけて茹でた後、火を止めて蓋をし、一晩置いて余熱でゆっくりと煮込んだとされます。そうした特異性のために模倣する者がなく、やほきの閉店と共に姿を消したとされますが、現代では復刻している店があり、食べる事ができるようになっています。

 うどんと名が付きながら、とてもうどんとは思えない姿で驚かせてくれる物の一つには、群馬県の桐生市で食べられている桐生うどんの一つ、「ひもかわ」の存在を上げる事ができます。

 ひもかわは幅の広い平麺で、「帯うどん」とも呼ばれる事もあり、幅は10cm程度で長さは30cmほど、一人前には6枚程が供される事が多く、うどんというより長いワンタンや白いラザニアのような印象を受けます。

 ひもかわの由来は、江戸時代に書かれた「東海道名所記」や井原西鶴の「好色一代男」の中に書かれた三河の国の芋川の名物となっていた「平うどん」が元となっており、「いもかわうどん」が平たい形状が紐に喩えられるようになり、「ひもかわうどん」となりながら幅広さが強調されて行った結果と考える事ができます。

 桐生のひもかわ以上にうどんとは思えない形状の物に、栃木県佐野市の仙波町を中心とした地域で食べられてきた「耳うどん」があります。耳うどんは、その名の通り耳の形をしたうどんで、うどんの生地を作り、しばらく寝かせた後、平たく延ばして長方形に切り分け、耳の形に整えて作られます。

 耳うどんは正月に食べるという習慣があり、悪運をもたらす神様の耳を食べてしまえば、家の内情を聞かれる事がなく、一年間、悪い事が起こらないという厄除けの意味や、耳を食べてしまえば悪口が聞こえない事から、近所との交際が円満に運べるといった言い伝えが元となっていて、うどんの生地の固さを表現する際の「耳たぶの固さ」という表現に連動しているようにも思えて、興味深いものを感じてしまいます。

 高度な技を要求されながら、極端なデフォルメを施された姿を具現化した「一本うどん」、平打ちという特徴を特化させた「ひもかわ」、小麦粉の造形性を活かしながら無病息災を願った「耳うどん」、日本におけるうどんという食文化の奥の深さを教えてくれる存在となっています。


 
プロフィール

kcolumnist

Author:kcolumnist
にんにく卵黄本舗の健康コラムです。
食と健康をキーワードに最新の医療情報から科学技術、食文化や献立まで毎日更新で幅広くお届けします。是非ご覧ください。

リンク
最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR