第1941回 植物と動物



 とても身近な存在なのに一度も直接見た事がないもの、その一つに細菌があると思います。空気中から皮膚の表面、体内まで、日常的にさまざまな種類の膨大な数の細菌に囲まれながら、その小ささのために顕微鏡の力を借りなければ姿を見る事はできません。

 姿は見えないほど小さくても細菌たちが日常に及ぼす影響は大きく、健康を維持する事に貢献したり、食べ物を美味しくする、保存性を高めるといった良い働きもすれば、食べ物を食べられない状態にしたり、死に至る毒素を作り出す、生命には関わらなくても健康を害するなどの困った働きをするものもいます。

 そうした多彩な働きを持つ細菌たちの中で、最も良い働きを発揮してくれているものとして真っ先に思いつくのが「乳酸菌」ではないかと思います。乳酸菌はその名の通り代謝によって乳酸を作り出す細菌で、ヨーグルトや漬物の発酵に関わっているだけでなく、腸内細菌として健康を支えている事でも知られています。

 日頃から馴染んでいる乳酸菌という名称ですが、一言で乳酸菌といっても単一の種の細菌を指すものではなく、乳酸を作り出すという働きを持つもの全てを総称しているため、乳酸菌といっても性質が異なるものが多く存在しています。

 大きく乳酸菌を分ける場合、発酵の過程で乳酸のみしか作り出さないものを「ホモ乳酸菌」、アルコールや酢酸など乳酸以外の成分も生成するものを「ヘテロ乳酸菌」と分類します。また、形状が丸い球状のものを「乳酸球菌(にゅうさんきゅうきん)」、棒状の細長い形状のものを「乳酸桿菌(にゅうさんかんきん)」と呼んで分ける事もあります。

 その他の分け方として、「植物性乳酸菌」「動物性乳酸菌」という言葉を耳にする事があります。乳酸菌は細菌なので植物、動物といった分類とは無縁なのですが、発見される環境の違いからそのような呼び名が使われるようになっています。

 植物性乳酸菌は漬物などの植物系の食品から見付かる事が多く、野菜や穀物、果物などの植物素材を発酵させる事から「植物性」と呼ばれています。漬物の酸味は植物性乳酸菌が生成した乳酸によるものである事が多く、ザワークラフトやなれ寿司も発酵によって生じた乳酸の酸味を利用しています。

 動物性乳酸菌はヨーグルトなどの乳製品から見付けられ、乳糖から乳酸を作り出す働きを持っています。牛乳の中に含まれる乳糖を動物性乳酸菌が分解して乳酸を生成する事で牛乳のpHが下がり、酸性になる事で牛乳のタンパク質が凝固してヨーグルトは固まり、pHが下がった事で雑菌の繁殖を防いでいます。

 動物性乳酸菌が乳糖のみを分解する事に対し、植物性乳酸菌はブドウ糖や果糖、ショ糖、麦芽糖などさまざまな糖分を分解して乳酸を作り出します。漬物などのように他の細菌が棲息する事が不可能なほどの塩分濃度や、ザワークラフトやなれ寿司のような強い酸性の中でも植物性乳酸菌は生存が可能で、盛んに活動する事から生きて腸まで届くプロバイオティクス食品の素材として植物性乳酸菌は注目を集めています。

 乳酸菌やプロバイオティクスというとヨーグルトが思い浮かび、発酵バターやチーズといった東欧諸国の食文化を連想してしまいます。そんな乳酸菌の中で植物性の乳酸菌というと、新手の特殊な存在のように思えてくるのですが、日本では古くから漬物や味噌といった日常的な物を通して接してきています。日本に限らず植物性乳酸菌を使った伝統的な発酵食品は世界中に存在し、乳酸菌との関わりの古さとプロバイオティクスの歴史の長さを感じてしまいます。


 
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第1940回 質素なパン



 童話を読んでいるとライ麦で作られる「黒パン」は、質素な食べ物として登場してきます。黒っぽい色合いで硬く、ボソボソしたあまり美味しい物としては描かれない印象が強いライ麦のパンは、今日では普段接している食パンよりも高価で、童話の世界の物とは随分と異なった印象を持ってしまいます。

 童話の中で見掛ける質素な黒パンの食事は、楕円形で大き目の硬い黒パンをナイフで切り分け、少量の野菜が入ったスープと共にいただく場面として登場し、チーズやハム、ワインなどは高級品としてあまり食卓に上ぼらない物となっています。

 ライ麦を使って作られたパンは色合いが黒っぽい事から「黒パン」と呼ばれていますが、黒パンそのものはライ麦パンを指している言葉ではなく、黒砂糖を使ったり、穀物の精製度が低い粉などを使って黒っぽい色に焼き上げられた物全般を指しています。

 もともとライ麦は雑草であったとされます。小麦畑の近くに自生したライ麦が、小麦に似ていたために見落とされて除草を免れ、繁殖するという事を繰り返し、より小麦に近い個体が選択的に残された事や、栽培に向かない土地で小麦を栽培した際、ライ麦が小麦に代わって残された事から穀物として利用されるようになっています。

 本来は雑草であった事から小麦よりも劣悪な環境に強く、小麦を栽培する事ができない寒冷気候の痩せた土地でも育てる事ができます。白くてふんわりと柔らかいパンを焼くためには良質な小麦粉が欠かせませんが、その小麦粉が得られない土地においてライ麦のパンが焼かれていました。

 ライ麦には充分なグルテンが含まれていない事から、小麦のようにイーストを使って膨らます事ができません。そのためライ麦のパンを焼く際は、「サワードウ」と呼ばれる酸味のある膨張材が利用されます。サワードウはライ麦や小麦の粉に水を混ぜて作った生地に、乳酸菌と酵母を主体とした複数の微生物を共培養させた物で、イーストほどには膨張力はないのですが、ライ麦のパンを膨らます事には良いものという事ができます。

 サワードウの中では穀物に含まれるデンプンが酵素のアミラーゼによって分解されて糖が作られ、それを乳酸菌が分解してグルコースを作り、それを酵母が栄養としてアルコールや二酸化炭素を作り出しています。アルコールはパンを焼く際に気化してなくなってしまいますが、生地に独自の風味を与え、二酸化炭素は生地を膨らませてくれます。

 サワードウに含まれる微生物はその土地の環境によって異なるため、地域ごとに微妙に味わいが異なるサワードウが作られています。微生物の構成比率によって作られる有機酸の量や内容が異なってしまいますが、そうした有機酸の存在や乳酸による酸性化、抗生物質の影響によってサワードウやサワードウを使って焼かれたパンは腐敗やカビに強い性質を持ち、保存性が高い物となっています。

 そうした特徴を利用してライ麦パンは、数日分から数か月分をまとめて焼いて保存しておく物となっていました。村の共同の窯を各家庭で順番を決めて交代で使い、必要な量のライ麦パンを焼き上げ、保存期間が長くなりそうな物は食べる頃には硬くなってナイフで切り分ける事も困難になるので、あらかじめ切り分けて保存されました。

 切り分けられたライ麦パンは乾燥が進む事から硬さが増し、そのままでは食べる事も困難になってしまいます。そうした作り置きの硬い黒ずんだパンよりも、食べる毎に焼かれる白くてふわふわと柔らかい小麦のパンの方が上等とされた事は当然の成り行きという事ができ、ライ麦粉よりも小麦粉の方が高価であった以上にライ麦パンが下等な物という意識はヨーロッパに長く根付いていました。

 小麦の品種改良や栽培技術の向上が進み、小麦の作付面積が拡大するとライ麦の栽培面積や栽培量は減少を続け、現在でも減少の一途を続けている事から価格的には上昇傾向にあります。小麦とライ麦の価値観が変化する中、健康志向の高まりから栄養価という点で比較してみると、ライ麦の方が小麦よりもビタミンB群や食物繊維が多くヘルシーという事ができます。

 また、ライ麦粉のパンは小麦粉のパンと比べて、血糖値を上げにくい事が知られています。ライ麦に含まれる食物繊維の働きと見られていましたが、最近の研究でライ麦と小麦では含まれるデンプンの形状が違う事が判り、それが血糖値の上昇に関係している事が示唆されています。

 意外な事にデンプンの構造に関する研究はそれほど進んでおらず、身近なようで知られていない事も多いとされます。今後、そうした研究が更に進むと、より付加価値が高いものとしてライ麦の評価も高まり、貧しく質素な食べ物というのは昔話の中の事となってしまうのかもしれません。


 

第1939回 とろみの有無



 ポタージュというと、ブイヨンなどで野菜を柔らかくなるまで煮込み、ピューレにして生クリームで仕上げるとろみのあるスープが思い浮かんできます。ピューレを使わない澄んだとろみのないスープはコンソメで、スープに関する2大スタイルという感じがします。

 本来、ポタージュとはフランス語でスープの総称であり、とろみのない澄んだコンソメもポタージュの一種となります。つい「ポタージュスープ」といってしまいますが、ポタージュがスープの意味である事から、「スープスープ」と同じ意味の言葉を重ねている事となり、「踊る」という意味の「フラ」にダンスを付けた「フラダンス」、大型のカップの意味を持つ「マグ」にカップを付けた「マグカップ」、砂漠の意味の「ゴビ」に砂漠を付けた「ゴビ砂漠」などと同じ使い方をしている事となります。

 ポタージュという言葉は鍋を意味する「Pot(ポ)」が元になっていて、鍋で素材を煮込んで作るという意味が込められています。鍋で素材を柔らかく煮て食べる料理は、村の共同の窯でまとめて焼き、時間が経って硬くなったパンを浸して柔らかくして食べる物として伝統的に食べられており、フランスにも「Soupe(スプ)」として伝えられています。

 スプは次第に料理として洗練され、パンを柔らかくする田舎料理から素材の旨味を充分に煮出した汁物へと変化し、汁と具が別々に供されるようになっていきます。柔らかく煮た具のみを供する料理は「火にかけた鍋」を意味する「ポトフ」と呼ばれるようになり、汁の方は伝統的なスプと区別する意味からポタージュと呼ばれるようになっています。スプにおいて主食となっていたパンは、ポタージュにおいてはクルトンとなり、硬いパンがふやけて粥状になった状態は、柔らかく煮た具材を裏ごしする事で全体にとろみを持たせて再現されています。

 ポタージュは大きく2つに分ける事ができます。ポタージュというと真っ先に思い浮かぶとろみのある物とコンソメのようなとろみのない澄んだ物ですが、とろみがある物を「ポタージュ・リエ」澄んだ物を「ポタージュ・クレール」と呼び、ポタージュ・クレールは温かい「ショー」、冷たい「フロア」、煮凝りなどのゼリー状の「ジュレ」に分けられます。

 ポタージュ・リエの方はさらにバリエーションが豊かで、馴染みのある野菜を裏ごししたりミキサーでピューレ状にして加えた「ピュレ」、小麦粉をバターで炒めたルウを使ってとろみを付けた「クレーム」、卵黄や生クリームを使ってこくととろみを加えた「ヴルーテ」、田舎風の素朴なごった煮のような「スプ」、エビやカニなどの甲殻類から取れる出汁を使う「ビスク」、野菜の形を整えて煮込み、そのまま供される「タイュ」などが存在します。

 イタリアのミネストローネやアメリカのクラムチャウダー、ロシアのボルシチ、日本の味噌汁などもポタージュの範疇に収められていて、「外国のスープ」という意味から「ポタージュ・エトランジェ」と呼ばれていて、日本の味噌汁のバリエーションの豊富さが加わるとなると、ポタージュの世界は無限に広がるように思えてきます。

 メニューの豊富さという点では本場のフランスに遠く及ばないように思えますが、小分けされたカップスープの粉末や缶詰、テトラパック入りやレトルト、自動販売機で缶入りの物が売られている事など、日本はポタージュの手軽さという点では世界でもトップクラスにあるといえます。それも一つの文化と思いながら、しっかりと日本の食に浸透している事を改めて実感してしまいます。


 

第1938回 緑の時刻(3)



 アブサンの本場となっていたフランス、最も多くの中毒者を出していたはずのフランスにおいてアブサンが禁制化されたのは1915年の事で、主要先進国の中ではかなり遅い方となっています。フランスで消費される多量のアブサンは膨大な酒税を生み出していて、単純に民意の高まりやワインの製造業界からの圧力だけでは動けない事情があった事が伺えます。

 禁制化直前のフランスのアブサン消費量は2億2千リットル以上という途方もない量となっており、禁止による影響の大きさは容易に想像する事ができます。

 アブサンの禁制化は流通を断ち切る目的が大きかったためか、販売を目的としない個人レベルの消費のための醸造は目こぼしされ、各地に小さな醸造施設が存在したとされます。禁制化されなかったスペインでもアブサンは作られ、密かに輸出もされていました。

 禁制化した事でかえって関心が高まる事や第一次世界大戦後の混沌とした世相もあり、アブサンを求める声が再燃し、闇ルートでの流通や店単位による隠し在庫で対応ができなくなってきた頃、アブサンの代替品が登場してきます。

 向精神作用が疑われたツヨンを含まないように主原料をニガヨモギではなく、ハーブの一種であるアニスを使ったリキュールは、アブサンに似せて作られた事から「似せる」という意味を持つ「パスティス」と呼ばれ、アブサンよりも洗練された爽やかな風味を持つ酒として受け入れられています。

 旧来のアニス酒もパスティスに含められてしまう事も多々あるのですが、EU(ヨーロッパ連合)が定めた規定によると、アニス酒はアニス、スターアニス、フェンネルなどを使い、アルコール40%以上で製造された物。パスティスはリコリス、アニス、ディルなどを使い、40%以上のアルコールで製造した物と、原料の面で厳しく分けられています。

 その後、アブサンはWHO(世界保健機構)によってツヨンの残存許容量が10ppm以下の製品であれば承認するとしたため、長く続いた禁制化は解禁され、フランスやスイスなどを中心に製造が再開されています。

 法的にアブサンを禁制化しなかった日本では、かつては大手酒造メーカーによってアブサンが造られており、完成度が高く、美味という評価を受けていました。68%という高いアルコール度数を誇っていましたが、強いアルコールに耐性のない日本人に合わせたのか、後に58%に変更され、幾度かリニューアルされてツヨンを全く含まないパスティスのような製品になっています。

 かつて私が出会ったアニスの強い香りがするアブサンは、そうした和製のパスティスだったのではないかと思っています。今日では製造自体が終了しているそうですが、禁止もされていないのにパスティスへと変化していった日本のアブサンにも、本家のアブサンのようなどこか数奇なものを感じてしまいます。


 

第1937回 緑の時刻(2)



 19世紀末、大人気となったアブサンは、当時の退廃した雰囲気を象徴する物の一つともいえ、多くの文化人たちによっても愛されていました。多くの製品が70%前後のアルコール度数で、低い物でも40%程度、中には90%近い製品も存在していたほどの強い酒であり、特異な香気もありましたが、一旦、気に入ると手放せなくなるともいわれ、ヨーロッパのみならずアメリカや植民地などでも広く飲まれていました。

 ピカソをはじめゴッホやゴーギャン、ドガ、モネ、ルソー、ボードレール、ゾラ、ヴェルレーヌ、ランボーといった著名人たちもアブサンの愛好家であったとされ、19世紀末のパリに集まった古いモラルやアカデミズムに反発を持つ若い芸術家や文学者たちは、自由な生き方に憧ればがら、カフェに集ってアブサンを酌み交わしながら語り合っていたとされます。

 アブサンは安価で強い酒であった事から多くの中毒者や犯罪者を出したとされ、ヴェルレーヌやロートレック、ゴッホなどはアブサン中毒で身を滅ぼした最も著名な人たちとされる事から、多くの人にさまざまな影響を与えた事を伺う事ができます。

 アブサンには、主要な原料となるニガヨモギの苦味成分として「ツヨン」が含まれます。ツヨンはマリファナの主成分である「テトラヒドロカンナビノール」に似た化学構造を持ち、大量に摂取すると麻酔作用や嘔吐、幻覚、錯乱、痙攣などを引き起こすとされ、習慣性もあるとされます。

 実際には、かなりの大量摂取をしない事にはそうした作用は発生しないとされますが、アブサンにはツヨンが含まれ、幻覚などの向精神作用を引き起こすとされ、アブサンを危険視する意見が出されるようになっていきます。

 そんな中で起こったランフレ事件は、後のアブサンの評価を決定付けるものとなり、アブサンは禁制化される方向へと進んでいきます。ランフレ事件は、日雇いの農夫だったジーン・ランフレが身重の妻と幼い子供二人を射殺した後、自らも自殺を図ったというもので、残されたアブサンのにおいがするグラスにすべての原因が求められ、凶行の直前にランフレが多量のワインを飲んでいた事やランフレを取り巻いていた社会的な事情は無視されてしまいます。

 アブサンと向精神作用の関連性を印象付けるランフレ事件はアブサン禁制化へ最大限に利用され、1898年にベルギーの植民地となっていたコンゴにおいて禁制化されたのを皮切りに、第一次世界大戦直前の政治的混乱もあって各国で相次いで禁制化されていきます。

 主要先進国でアブサンを禁制化しなかったのはイギリスとスペイン、ポルトガルだけで、世界的にアブサンの製造販売が禁止されてしまっています。そんな中、日本ではニガヨモギが食品添加物として認可されていた事もあり、アブサンは合法化されたままとなっていました。しかし、アブサンの供給を輸入に頼っていた事から、日本でもアブサンは姿を見かけない物となっていきます。

 アブサンの禁制化はツヨンによる向精神作用の危険性から国民を守るためのものとされていますが、ヨーロッパ中のブドウに大打撃を与えたフィロキセラの問題が一段落し、生産量を回復したワインの製造業会からの圧力も大きかったとされます。苦心の末、フィロキセラの問題を解決して従来の生産量を回復したワインでしたが、その間に市場の多くをアブサンに奪われてしまい、市場の奪還が急務となっていました。

 フィロキセラという最大の危機を乗り切ったように見えるワインの製造業界ですが、実はフィロキセラ以上の問題に直面していました。全ヨーロッパに急激に広がりつつあった反アルコール運動は、ワインに限らずビール、ウィスキーとさまざまな酒造業界に死活問題となってきていました。

 アルコールの摂取が身体や精神に悪影響を与えるという考えに基き、アルコール飲料の製造販売の禁止を法制化しようとする反アルコール運動の高まりに対し酒造業界はすでに危険視され、イメージの低下が著しかったアブサンだけに矛先を向かわせる事でアルコール飲料全体の生き残りを図ろうととし、麻薬のような成分を含むという理由からアブサンの包囲網が固められていきます。

 また、かつて経験した事のなかった世界大戦という大きな戦争を前に、近代化が進む兵器製造にアルコールが必要であった事もアブサンに対する規制強化に繋がったとも考える事ができ、混沌とした時代の象徴、それがアブサンのようにも思えてきます。


 

第1936回 緑の時刻(1)



 以前、観た邦画の中に「アブサン」という名の猫が登場し、擦れたハスキーな鳴き声が、まるでアブサンを飲み過ぎて喉を傷めた人みたいだからという名前の由来が語られていました。アブサンという酒を直接見た事はないのですが、強い酒の代名詞として語られる事があるのは知っていたので、何とも巧いネーミングだと思えた事が思い出されます。

 学生の頃、とあるバーで「これがアブサンですよ」と、一本のボトルを取り出して見せられた事があります。ほぼ無色透明な液体が入ったボトルには大手酒造メカーのリキュール系のブランドが書かれたラベルが貼られ、確かに大きく「Absinthe(アブサン)」と書かれています。

 カクテルを作るためのステアグラスに氷が入れられ、そのアブサンが注がれると室温の液体によって氷の表面が溶かされ、水分となって注がれた液体に混ざっていきます。「本物である証拠に、こうして水分が混ざると白濁するでしょう」という言葉通りに、それまで透明だった液体は白く濁っていきます。

 アブサンは非常にアルコール度数が高い酒で、原材料としてさまざまな薬草類を漬け込んで作られています。薬草類の中には非水溶成分も含まれますが、それが原酒の高いアルコール濃度の中に溶け出しており、水分が加わる事でアルコール度数が下がってしまうと非水溶成分は析出してアブサンを白く濁らせてしまいます。そんな白濁する様子を眺めながら、「でも、これはアブサンではない」と思えていました。

 当時、それほど酒について詳しくはなく、アブサンについても充分な知識を持っていた訳ではないのですが、19世紀末の退廃した雰囲気の中、多くの文化人に愛されながら後に禁止されたという断片的な知識だけは持ち合わせていたため、そのような酒が大手酒造メーカーの手によって生産されているとは思えなかった事が、その液体を本物のアブサンと思えない理由となっていました。

 アブサンの誕生はスイスのヴェルト・トラ・ヴェルで作られていたニガヨモギを原料とする薬用酒を元に、医師のピエール・オーディナーレが蒸留技術を応用して独自の処方を考案した事とされ、オーディナーレはその製法を1797年にアンリ・ルイ・ペルノーに売却し、ぺルノーが製品化して発売しています。

 ニガヨモギを使ったアブサンの原形ともいえる薬用酒は古くから存在し、古代エジプトやギリシャ、ケルトなどでも早くからニガヨモギの薬効は知られ、薬用酒の素材として使われていました。現存する最古の本草書として知られるローマ皇帝ネロの軍医だったディオスコリデスが記した、「マテリア・メディカ」でもニガヨモギの薬効について触れられています。

 古くから薬効が知られたニガヨモギの薬用酒と、錬金術が盛んに研究された事によって発達した蒸留技術の結び付きがアブサン誕生に繋がったという事もできます。ニガヨモギ由来の苦味や薬草の香りなどクセが強い一面はありますが、安価で強い酒であり、アブサンの人気は徐々に高まっていきます。

 そんなアブサンの人気が一気に高まるきっかけとなったのは、1864年にアメリカから試験的に移植されたブドウの苗に「フィロキセラ」というアブラムシが付着していた事で、非常に強い繁殖力を持つフィロキセラは、耐性のないヨーロッパ固有種のブドウを直撃し、壊滅的な大打撃を与えました。

 1870年代にはフィロキセラの大量発生が確認され、フランスをはじめとするヨーロッパ全土のブドウの台木が壊滅状態にまで追い込まれ、1880年代にはフランスのワイン生産量は半減してしまったほどの大被害が発生し、ワインの価格は一気に高騰してしまいます。良質なブドウが充分に確保できない事から、ワインの質は低下してしまい、ワイン離れが進んでしまい、安価で強い酒が求められた結果がアブサンの人気に繋がったとされています。

 また、社会の変化もアブサンの需要を高める基盤を作っていたと考える事ができます。18世紀から19世紀にかけて起こった工場制機械工業の導入、いわゆる産業革命は社会構造そのものへも変革をもたらし、都市部への人口の集中、農村部の過疎化と貧困の進行は確実に進んでいました。

 故郷の農村部では生活が成り立たず、だからといって当時、新天地と考えられていたアメリカを目指すほどの思い切りを持てない人達は都心部の下町に集まり、低賃金で働く労働者となっていました。過剰な人口から雇用や治安は安定せず、明日への希望が持てない人達にとって、安価で酔えるアブサンは日常を忘れる事のできるひと時の救いとなっていたという事もできます。

 産業革命による劇的な変化の陰の部分ともいえる格差が拡大した社会、それがアブサン普及の推進力となり、一日の仕事を終えて疲れ切った労働者たちがアブサンを求めてカフェに集う午後5時からの数時間は「緑の時刻」と呼ばれ、その緑とはニガヨモギから抽出されたアブサンの緑色だったという事ができ、当時の世相を反映する物、それがアブサンとなっていました。


 

第1935回 出汁?



 洋食の煮込み料理などのレシピを見ていると、よく顆粒や固形のコンソメが登場します。旨味成分、いわゆる出汁が不足する事から、それを補う意味があるのだろうと思えてくるのですが、その際、ふと洋食系の出汁はブイヨンではと思えてきます。

 出汁の元となる旨味成分は、動物系のイノシン酸やキノコのグアニル酸、野菜などのグルタミン酸が三大旨味成分と呼ばれ、それぞれは単体よりも組み合わせる事で味覚強度が飛躍的に向上し、より旨味を強く感じる事ができます。

 ブイヨンは主にスープやポタージュなどに多く用いられる洋食の出汁にあたり、多くの場合、イノシン酸の素となる肉系の素材とグルタミン酸の素となる野菜を煮込んで作られます。鶏ガラを使った物は「鶏のブイヨン」、牛骨を使った物は「牛のブイヨン」などと呼ばれ、野菜だけで作った「野菜のブイヨン」も存在していて、通常、ブイヨンとだけの場合は「鶏のブイヨン」を指す事が多くなっています。

 ブイヨンと同じ洋食の出汁として「フォン」があり、日本ではカレーなどの宣伝によって仔牛のすね肉を使った「フォン・ド・ボー(仔牛のフォン)」がよく知られています。フォンはソースに使われる事が多く、同じ肉や野菜を煮込んだ出汁でありながらフォンはブイヨンよりも濃厚で、同じ洋風の出汁だからといってフォンの代わりにブイヨンを使うと風味が物足りず、ブイヨンの代わりにフォンを使うと素材の風味が消されてしまったりよいう事になってしまいます。

 ブイヨンと混同されがちなコンソメですが、ブイヨンが「煮込む」というフランス語を語源にしている事に対し、コンソメは「完成する」という言葉が語源となっており、コンソメはブイヨンよりも完成度が高い物という事が感じられてきます。

 コンソメは何を完成するのかというと、スープとして完成するという意味があり、出汁であるブイヨンを使って脂肪の少ない肉や野菜を加えて煮込み、やがて出てくるあくを卵白を加える事で吸着させ、固まった卵白と浮かび上がってきた脂分を取り除いて澄んだスープに仕上げます。一見単純に見えて非常に手の込んだスープ、それがコンソメとなっていて、素材から染み出した風味が豊かで、味わい深い割には満腹感が得られないため、コースのはじめに出して食欲を刺激するスープに最適な存在となっています。

 コンソメとブイヨンの実質的な違いは、コンソメの方が素材から出た旨味が濃く、ゼラチン質を多く含む事となります。また、スープとしての味が出来上がっている事から塩分が多目となっています。

 そのため味の濃さや塩分の多さを考慮して使えばコンソメをブイヨンの代わりとして使う事は可能なのですが、出汁を使う際にブイヨンではなくコンソメを使う事を和食に置き換えると、「切り分けた素材を鍋に入れ、ひたひたになるくらいの水をはって沸騰したら顆粒の『出汁の素』を入れ・・・」という部分が、「切り分けた素材を鍋に入れ、ひたひたになるくらいの水をはって沸騰したら顆粒の『お吸物の素』を入れ・・・」といわれているようで、落ち着いて考えると大きな違和感を感じてしまいます。


 

第1934回 生のまま



 新鮮な素材は生のまま持ち味を存分に楽しんで。四方を海に囲まれた日本は、「刺身」という生食の文化が発達した国でもあります。身近な海で獲られた新鮮な魚介類は季節ごとの美味しさを食卓に届けてくれ、四季を持つ風土ならではの食の愉しみを教えてくれます。

 そんな日本において肉食の定着や流通の発展によって新鮮な獣肉が入手できるようになった事から、獣肉の生食が見られるようになったのは当然の成り行きのようにも思えます。当地熊本の名物でもある馬刺しをはじめ牛刺しやレバ刺し、韓国料理のユッケや洋食のタルタルステーキなど生食のメニューは広く定着しているという事もできます。

 しかし、以前、このコラムでも取り上げた事があるのですが、流通している生肉の多くが生食用として使用する肉の出荷が認可されていない工場で生産されていて、生食用の肉の生産に関する認可を受けてはいても馬肉のみの認可であったり、生食用の内臓を出荷する認可を受けていない工場も多く、生肉に関する安全性が懸念されていました。

 獣肉とは切り離す事のできない物として、血液の存在を上げる事ができます。血液は体の隅々にまでさまざまな成分を運搬する物である事から、非常に栄養に富んでいて食中毒菌をはじめとする細菌達にとって繁殖に適した物という事ができます。

 生きている状態だと免疫機能によって守られている事から、血液中で細菌類が増殖するという事はないのですが、肉として加工されると免疫機能は働かず無防備な状態となってしまうので、生肉にはそうした潜在的なリスクが考えられていました。

 昨今、そうした懸念が具現化したように生肉による食中毒が見られ、生肉に対する法規制が強化されてきています。新たな基準では牛刺しや牛タタキ、ユッケなどに使用する生肉を出荷する工場には専用の加工設備を設置する事が義務付けられ、食中毒菌は外部から侵入してくる事から、表面を深さ1cm以上の部分を60度以上で2分間加熱殺菌する事も義務付けされています。

 馬刺しや牛刺し、牛タタキ、ユッケやタルタルステーキなどの場合、食中毒菌は表面で増殖していて内部にまで侵入する事がないため、表面の加熱殺菌を行って火が通った部分を除去すれば内部の生肉の安全性を確保する事ができるのですが、血管が多く内部にまで食中毒菌が入り込む事が可能な肝臓の場合、表面の殺菌だけでは充分ではないという事もできます。

 実際、肝臓の内部から重い食中毒を引き起こす「O157」などの腸管出血性大腸菌が検出されており、内部までの殺菌が困難とされる事から肝臓に関しては生で供する事を禁じるという法規制が行われる事となっています。

 法が施行されると飲食店でレバ刺しを食べる事は不可能となってしまうのですが、内部まで有効に殺菌する方法が見付かれば法規制は撤回されるとされています。

 現在、検討されているのは「次亜塩素酸ソーダ」などの塩素系消毒薬を使って殺菌するという方法で、熱を使わずに生の状態を保ちながら殺菌できるというメリットを持っています。実験の結果、表面の殺菌には成功しており、内部までの殺菌が可能か確認が進められています。

 塩素系消毒薬の利用は水道水などで馴染み深いものとなっていますが、実験で有効性が認められた塩素濃度は400ppmと通常用いられる濃度の約2.7倍となっており、殺菌できたとしても美味しく食べる事ができるのかという疑問は残っています。

 また、別な殺菌方法として貝殻カルシウムを使った殺菌も検討されています。貝殻カルシウムによる殺菌はO157や黄色ブドウ球菌に対して有効である事が確認されていて、塩素系消毒薬にような不快な臭いがない事から、有効な対策のように思えてきます。

 しかし、貝殻カルシウムはpH12を超えるアルカリ性を生じて殺菌を行っている事から、タンパク質の塊である肝臓を貝殻カルシウムの水溶液で処理する事は、タンパク質に対しアルカリ処理を行う事となり、食感が変化してしまう事が考えられます。

 なかなか良策が見付けられないように思えてきますが、「安全性を確保できる新たな知見が得られた場合、手続きの途中でも改めて審議を行う」という事が付記されている事から、何とか良い知恵が見付かればと思います。

 重篤な食中毒を引き起こす食中毒菌は、これまでは充分な加熱処理でしか殺菌する事ができないと考えられていただけに、生の食感と風味を残しながら充分に殺菌が可能な手法が見付かれば他の食品にも応用する事ができ、すべての食の安全性を考える上でも有効な技術となると考える事ができます。レバ刺しのためだけでなく、食の安心安全のためにも期待したいと思っています。


 

第1933回 バナナ事情



 世代的に「昔は高価で、病気でもしない事には食べられなかった」という話を年配の方から聞かされ、流通の発達で非常に安価になった物の一つという認識があったのですが、若い人たちが専用のホルダーに入れて持ち歩いている姿をみると、バナナとは多彩な文化を持つ物のように思えてきます。

 バナナは北緯30度から南緯30度あたりのバナナベルトと呼ばれる気温と湿度が高い地域で栽培されていて、日本へはフィリピンや台湾、南アメリカなどから輸入されています。日本でも温泉や焼却炉などの熱を利用した栽培が行われていますが、それほど大規模な栽培には至っておらず、店頭で見かけるバナナはほとんどが輸入物となっています。

 バナナの栽培に関する歴史は非常に古く、紀元前5千年とも1万年ともいわれます。野生種のバナナには硬くて大きな種がたくさんあるのですが、偶然にできた種のないバナナの苗を栽培化した事が今日のバナナのはじまりとされ、マレー半島が原産の「ムサ・アクミナータ」とフィリピン原産の「ムサ・バビルシアーナ」が元になり、二つの品種が出会った事でいろいろな品種が生まれています。

 東南アジアで栽培化されたバナナは、その後、東西の熱帯に栽培技術と共に伝播していくのですが、東側へのルートについては資料が残されていない事からはっきりしていません。西側へのルートについてはミャンマーを経由してインドへ伝わり、海を渡って東アフリカやマダガスカル島に上陸しています。アレキサンダー大王がインドへ遠征した際、はじめてバナナと出会ったとされる事から、バナナは中近東へは伝わっておらず、アフリカへは陸路ではなく海路で伝えられた事が判ります。

 東アフリカに上陸したバナナは大湖地帯からコンゴへ伝わり、西アフリカからカナリア諸島を経てハイチやキューバ、メキシコ、ブラジルといった南アメリカへと伝えられています。

 栽培種のバナナは種ができない事から、「吸芽」と呼ばれる子株を使って株分けして数を増やしています。そのため受粉という交配が行われないために遺伝的な多様性に乏しく、一旦、病気が発生すると致命的な打撃を受けてしまいます。

 20世紀の中頃まで世界的に広く栽培されていたグロスミッチェル種は、パナマ病の「Race1」と呼ばれる病原体によって壊滅してしまい、Race1に耐性があったキャベンディッシュ種が今日の栽培の主流となっています。

 2001年頃に発見されたRace1の変異体であるRace4は、Race1への耐性を持っていたキャベンディッシュ種にも感染する事から、マレーシアやフィリピン、台湾、アフリカ諸国など広範囲のバナナ栽培に損害を与えており、このまま感染が拡大すると10年以内にキャベンディッシュ種は全滅すると考えられている事からバナナは大変な危機を迎えており、やがてバナナは病気でもしない事には食べられないような貴重品となったり、バナナそのものを見掛けなくなる日が訪れる可能性もあります。

 日本に輸入されるバナナは、全て未成熟な青くて硬い状態で収穫された物が輸入されています。輸送コストを抑えるために船便で時間をかけて運ばれる事や、途中で傷んでしまうのを防ぐという事もあるのですが、それ以上にバナナが熟すと病害虫が寄生しやすくなる事から、植物の防疫法によって熟したバナナの輸入が禁止されています。

 そのため青い状態で輸入されたバナナは検疫を受けた後、シアン化水素などで消毒され、衛生検査をはじめとするさまざまな検査を受けた後、「室(むろ)」と呼ばれる熟成室に入れられて黄色く熟成されています。

 室の中で植物の熟成を促すエチレンガスを使って黄色く色付かせているのですが、その後も徐々に熟成は進む事から、店頭で購入した後、室温でしばらく置いておくと表面に「シュガースポット」と呼ばれる褐色の斑点が見られるようになります。全体にシュガースポットが見られるようになると食べ頃とされ、熟成が進んで甘くなったバナナを食べる事ができます。

 未成熟で青いバナナは硬いだけでなく渋い味がして食べられる物ではないそうですが、日本ではそんな青いバナナを食べる不思議な食文化があると、日本の厳しい植物防疫法を知らない原産地の栽培農家の方々は思っているのではないかとふと考えてしまいながら、バナナにいろんな事を思ってしまいます。


 

第1932回 おたまについて



 料理が趣味という事もあり、調理器具はそれなりに揃えてはいるのですが、その中でも「おたま」は何となく特別な存在のように思えています。イラストで描いただけでも料理に関する事と思え、実際に手にしてみても如何にも料理をしていると思えてきます。

 最近ではデザイン性を重視したおたまも増えてきている事から、おたまの基本的な機能の一つである一すくいで50ccという事が失われつつあるのですが、それまで金属製だけの物の中に樹脂製のカラフルな物が加わってきた事は、見ているだけでも楽しくなってきます。

 和食の調理の場合、おたまは汁物をすくったり、鍋の中を撹拌したり、あくをすくったりという機能を果たしますが、中華料理では食材を鍋に入れる事から鍋をかき回す、調味料を加える、器に盛り付けるといったほとんど全ての機能を果たして大活躍しています。

 おたまは正式には、「お玉杓子(おたまじゃくし)」といいます。カエルの幼生も「おたまじゃくし」と呼びますが、丸い頭から尾が伸びている姿が丸い頭に柄が付いたおたまに似ていたためにその名が付けられているので、あくまでも元となっているのはおたまといえます。

 お玉杓子という呼び名は、滋賀県の多賀町にある多賀大社にルーツがあるとされ、多賀大社の縁起物である「お多賀杓子」が語源となっています。お多賀杓子が丸い形状から「お多賀」の部分が「お玉」となってしまい、お玉杓子となり、短縮形でおたまとなっています。

 お多賀杓子は奈良時代、元正天皇の病の平癒を祈願して強飯(こわめし)を炊き、木製の杓子を添えて献上したところ病が全快した事から、霊験あらたかな無病長寿の縁起物として杓子が扱われるようになったとされます。

 当時は精米や炊飯に関する技術に未発達な部分があり、今日のようにご飯を充分にアルファ化して粘り気を出す事ができず、硬くパサ付いたものであったとされる事から、しゃもじのように平坦な形状の物ではなく、すくい取るような窪んだ丸い形状の方がご飯を扱いやすく、そのためにお多賀杓子は丸く窪んだ頭に湾曲した柄を持つ形状となっていました。

 それ以前から同様の形状の杓子は使われていましたが、縁起物という事もありお多賀杓子の呼び名が広がり、お玉杓子へと変化していっています。それに対し本家本元のお多賀杓子はご飯のアルファ化が充分にできるようになってきた事から、窪みを持つ形状では使いにくくなり、窪みのない形状へと変化しています。

 おたまは汁物をすくって調理したり器に盛り付ける際に必要な物であるので、当然、欧米にも同じ物が存在します。欧米では「レードル」と呼ばれ、小さなスープレードルや完全な円形ではなく片側を細くする事でスープやソースなどを器に注ぎやすいようにした物もあります。

 日本の汁物よりも粘度が高いスープをお椀や丼といった注ぎやすい器ではなく、皿などに注ぎやすくした事がそうした工夫に繋がった事とは思いますが、私の中では洋の東西を問わず丸い物はおたま、片側が細くなっている物はレードルとなっています。


 
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