第1962回 過剰の理由



 最古の調味料というと塩ではないかと思います。沿岸部にいれば海水を使って簡単に塩味を付けたり、海水を乾燥させれば少量ではありますが粉末の塩を手に入れる事ができます。

 内陸部となるとまとまった塩を手に入れるには岩塩を探すしかなく、塩は急に貴重な物となってきます。沿岸部でも単純に海水を乾燥させただけでは微量の塩しか手に入れる事ができないので、まとまった量の塩となるとやはり貴重品であったという事ができます。そのため古代ローマでは塩が兵士の給料として支給され、今日、給料の事を指す「サラリー」の語源ともなっています。

 中国やヨーロッパ諸国では塩税として塩に対する課税が行われ、塩を巡って一揆や暴動も発生しています。有名なところでは1930年にガンジーが行った「塩の行進」が知られ、イギリス植民地政府が行った塩の専売に対する抗議行動は、その後のインド独立へと向けた動きの大きな力に発展したとされます。

 今日、製塩技術は大いに発展を遂げて大量に安価な塩を作り出す事が可能となった事から、塩は貴重品という意識はなくなり、どちらかというと塩分の過剰摂取を意識しなければならないなど、どこか悪者のような感じもしてしまい、かつて給料の一環として支給された事や塩のために暴動が行われた事など考えられない事のように思えてきます。

 塩は体内ではナトリウムとして、浸透圧の調節や神経の伝達に深くかかわっています。体を維持していくために欠かせない成分である事から、食べ物の中に塩分が含まれている事を感知する事ができるように、基本的な味覚の中には塩味が含まれています。

 味覚の中に塩味が含まれ、ある程度の塩味を美味しいと感じる事は必要なナトリウムを確保して健康を維持しようとする機能だといえます、しかし、必要以上に過剰な塩分を求めてしまう事については幾つかの仮説が出されてはいるのですが、はっきりとした理由は判っていないとされます。

 肉食動物は獲物の血液などを通してナトリウムを摂取する事ができます。それに対し草食動物や一部の雑食動物は通常の食事ではナトリウムが不足する事から、別途、塩分を求める必要が生じます。希少なナトリウムは体内に摂り込んだほとんどが吸収される事に対し、体内でナトリウムと対になって働き、ナトリウムと同じくらい重要な成分でありながら、植物を通して容易に摂取する事ができるカリウムは体内に摂り込まれてもあまり吸収されない事を見ると、雑食動物である人が常に塩分を求める理由が判るようにも思えます。

 進化の過程で不足しがちな塩分を求める傾向が強まり、過剰に摂取しておく事で急な脱水症状に備えたり、腎臓の機能を発達させて余剰となる塩分を排出するようにして対処してきたと考える事ができます。

 また、新生児は塩分には関心を示さず、塩味の物を受け付けないのですが、生後4ヶ月を超えたあたりから生理食塩水程度の塩分濃度を受け付けるようになってきます。さまざまな受容体が発達するこの時期に多くの塩分と接しておくと、後々塩分を過剰に摂取する傾向が強くなる事が知られており、過剰に塩分を求めてしまうのは、後天的に得た嗜好とする仮説も存在します。

 環境による要因もいわれており、塩分が豊富な環境下では塩分を摂り過ぎる傾向が強まる事から、日頃から豊富な塩分に接している事で塩辛い味に慣らされていき、より塩分が強い味を求めるようになるとも考えられています。最近の研究では、塩味には依存性がある可能性も示唆されていました。最古の調味料でありながら、時代の変化で付き合い方が大きく変わってしまった塩分との上手な付き合い方を考えなければと思ってしまいます。


 
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第1961回 黄と白と黒



 日本の食文化に欠かせない微生物というと、真っ先にコウジカビが思い浮かんできます。コウジカビは味噌やしょうゆ、日本酒などの醸造に欠かせない麹を作る重要な存在であり、麹抜きに日本の食文化は成り立ち得ないという事ができます。

 コウジカビは増殖するための栄養を得るために菌糸の先端からさまざまな酵素を生成して放出し、培地となっている穀物などのデンプンやタンパク質などを分解してグルコースやアミノ酸を作り出して栄養源としています。

 コウジカビのそうした性質を利用し、日本酒を作る際は白米にコウジカビを繁殖させた「米麹」が使われ、米の中のデンプンを糖化させて糖分を作り出し、その糖分を酵母が分解してアルコールが作り出されています。

 味噌やしょうゆを作る際は間接的なコウジカビの活動が利用され、一旦、米や麦にコウジカビを繁殖させた物を用意し、それに大量の塩を加えます。塩が加わった段階でコウジカビは死滅してしまいますが、コウジカビが作り出していた酵素が残されているために、その酵素を使って茹でた大豆を発酵させて醸造を行っています。コウジカビを増殖させて麹を作る培地となる穀物を、米や麦、大豆などに変化させる事によってさまざまな味噌に違いが生まれ、その土地ならではの特産味噌が作られています。

 麹は培地となる穀物以外にもコウジカビによる分類も行われており、最も馴染み深い麹としては「黄麹」が知られています。黄麹は味噌やしょうゆ、日本酒、みりんなどを醸造する際に使われるコウジカビで、最も利用されてきた歴史が古く、穀物に含まれる栄養素を分解する酵素、アミラーゼやプロテアーゼ、リパーゼを生成するバランスによって分類を行い、用途による使い分けも進んでいます。

 突然変異したコウジカビを培養して用いられるようになった「白麹」は、焼酎の普及に貢献したコウジカビとして知られています。河内源一郎に発見された事から「河内白麹菌」とも呼ばれる白麹は、黒麹の研究で顕微鏡による観察を行っている最中に白みがかったコウジカビが発見され、培養して使ってみると焼酎の醸造が安定的に行え、焼酎自体の高品も向上した事から普及が進み、今日、日本ばかりでなく韓国でもほとんどの焼酎が白麹を用いて作られるようになっています。

 焼酎のブームによって焼酎の愛好者が増えるとより本格的な物が求められるようになり、徐々に用いられる場面が増えてきているコウジカビとして「黒麹」があります。本来、黒麹は泡盛の醸造に使われてきた事から「泡盛黒麹」とも呼ばれ、クエン酸発酵を盛んに行う事からもろみのpHを強い酸性に保ち、沖縄のような気温が高い地域でも発酵途中の雑菌の繁殖を防いで醸造を円滑に行う事ができます。

 かつて焼酎作りには日本酒と同じ黄麹が使われていましたが、安定的に醸造する事が難しく、歩留まりが悪い事から、代わりに黒麹を使う事で生産性が大きく向上しています。しかし、黒麹は温度管理が難しい事や黒い色素で作業服や作業現場が非常に汚れてしまうといった難点があり、白麹が登場すると醸造の容易さや色素を作り出さないなどの利点から徐々に焼酎作りの主流となっていきました。

 本物志向の高まりから再び使われるようになった黒麹ですが、今日使われている黒麹はかつての焼酎作りで用いられていた泡盛黒麹とは別な種のコウジカビとなっています。白麹が広く用いられるようになっていく中、白麹の研究中に突然変異株が発見され、新種の黒麹として培養されています。

 泡盛黒麹と最近の焼酎作りに用いられる「焼酎黒麹」は同じ属ではありますが種は別に分けられ、遺伝的には泡盛黒麹が祖父、白麹が父、焼酎黒麹が子供という関係に当たります。黒から白が生じ、白から黒が生じるのはオセロゲームのような感じがしてしまうのですが、生命の神秘を色で表現してくれているようでもあります。そうした微生物の働きを食をはじめとする文化の中に上手に取り入れてきた日本は、発酵という事に関して先進的な立場にあります。発酵がもたらす健康効果に注目が集まる昨今、伝統文化として培われてきたものを大いに発展させる事ができればと思っています。


 

第1960回 独眼竜の一面(2)



 独眼竜と怖れられた武将、伊達政宗の一番の意外な一面、それは「料理が趣味」という事ではないかと思っています。戦国時代、より戦を円滑に進め、兵士たちの士気を高めるために兵糧の研究が盛んに行われ、味噌をはじめとするさまざまな食品が戦国武将によって考案され、今日まで残されています。

 政宗もはじめは兵糧の研究を行っていたのですが、食に関する研究熱が高じて料理が趣味となっています。特に江戸幕府が成立して泰平の世となり、もはや戦の世ではないと自覚してからは兵糧の研究よりも美食を極める事に情熱が注がれています。

 政宗が残した「馳走とは旬の品をさり気なく出し、主人自ら調理して、もてなす事である」という言葉は今日、多くの料理専門学校の校訓に引用されているほどで、後の多くの料理人に感銘を与えたとされます。

 岩出山名物となっている凍り豆腐や納豆は兵糧の研究を通して政宗が考案したとされ、ずんだ餅や笹かまぼこなど仙台名物の多くは政宗が考案したともいわれます。

 仙台城下に「御塩噌蔵(おえんそぐら)」と呼ばれる本格的な味噌倉を建てさせ、大規模な味噌の生産体制も確立していますが、これが味噌を大規模に生産する最初の事となっています。味噌自体の研究にも余念がなく、専門家を仙台に呼び寄せて「仙台味噌」を開発しています。

 味噌は日本各地で特色のある地域特産の味噌が作られていますが、朝鮮出兵の際に持参した諸藩の味噌が夏場の暑さによって腐敗してしまう中、唯一、政宗が持参していた仙台味噌だけが腐敗しなかった事から、他の武将に乞われて分け与えた事で仙台味噌の美味しさと質の高さが知られるようになったと伝えられています。

 実際は仙台の街に政宗が移り住むのは朝鮮出兵の後の事でなので、仙台味噌が生まれるのは朝鮮出兵以後の事となり、言い伝えは正しくない事が判るのですが、かなりリアルな話のように思えるほど仙台味噌はよく研究された末に完成され、充分な手間隙を掛けて作られる完成度の高い味噌となっています。

 政宗は非常に凝り性であった事がさまざまなエピソードから伺う事ができ、食に関する探究もかなり貪欲であった事が判ります。食材が豊富な東北地方であらゆる食材を口にしたとされ、イノシシやシカ、タヌキなどに限らずハクチョウやツル、ネズミまでも試食して食材としての可能性を研究したともいわれます。

 戦場を自在に駆け巡った政宗らしく料理に関する発想も自由奔放で、西洋文化に対して寛容であった事もあり、伝統的な和食にとらわれず西洋料理の技法も取り入れた料理も多く残され、仙台を訪れた宣教師たちを欧風料理でもてなしたという記録も残されています。

 そんな政宗の料理は、どれも旬の食材の美味しさを最大限に引き出すものとなっています。遅く生まれてしまったために天下取りに加われなかったといわれる事の多い政宗ですが、自由な視点で美味しさを追求した食の世界では天下を取っていたのかもしれません。


 

第1959回 独眼竜の一面(1)



 伊達政宗というと出羽国と陸奥国の戦国大名で、陸奥仙台藩を形作った初代藩主というより、幼少期に疱瘡を患い、片目を失って隻眼となっていた事や戦上手として知られた事から「独眼竜」と呼ばれて怖れられた武将という方がお馴染みかもしれません。

 数々の戦や危機を乗り越え、国内だけでなく朝鮮へも出陣し、太閤秀吉や徳川家康にも一目置かれる存在となり、三代将軍の家光の後見人となって徳川幕府を支えた事や、粋で洗練されている「伊達男」の語源となったという俗説もあるほど立ち居振る舞いが洗練されていた事。当代随一の教養人として千利休から直接茶の湯の指導を受けていた事や、多くの詩歌や書を残し、能を好んで自らも舞ったという事からもある程度の人物像が想像できます。

 多くの武将がそうであるように伊達政宗にも意外と思えるエピソードが多く残されていて、独眼竜と怖れられた武将の意外な一面が微笑ましく思える事もあります。私の中で伊達政宗というと、「正宗の脇差」に関する一件が最も印象深く残されていて、真っ先にそれが思い浮かんでしまいます。

 ある日、江戸城の控えの間で諸藩の大名達が談笑していたところ、ふとした事で政宗の指料に注目が集まり、「伊達殿は政宗といわれるだけあって、御腰の物も正宗にございましょうな」と話し掛けられ、つい「いかにも政宗の正宗にござる」と話に乗ってしまいます。

 「政宗は名前だけで充分」と話に乗らないか、江戸城内では刀を抜く事ができないため、確認しようがないのを良い事に嘘を付き通せば何事もなかったのですが、急いで藩邸に戻るなり家臣に「家中に正宗はあるか」と尋ね、「太刀ならば一振りございます」と家臣が答えるので、「急ぎそれを脇差にしてまいれ」と命じ、次に登城する際には太刀を切り詰めて仕立てた脇差を差してご機嫌で登城したといいます。太刀と脇差では、随分と価値が違う事を考えると、かなり律儀な人だったのかもしれないと思えてきます。

 そんな政宗の律儀さと意外な一面を伺わせる資料として、浅野長政に助けられ、感謝している事を綴った手紙が残されています。天正19年(1591年)に葛西大崎一揆を平定した際、政宗自身が一揆を煽動していたという疑いがかけられ、長政の勧めに従って京都へ上洛し、秀吉に直接面会して何とか疑いを晴らす事に成功しています。

 その際、政宗は長政のお陰で状況が好転した事を大変感謝し、長政に感謝しているという内容の書状を送っているのですが、その書状の中で、「さて約束していた煎餅はもう届いたでしょうか。気に入っていただけたか、とても気になっています」と記された一文があり、独眼竜と怖れられた武将の細やかな気遣いを見る事ができます。

 おそらく長政が政宗に上洛する事を勧めた際、「京都へ行ったらついでに煎餅を送ってくれ」と連絡していたか、「ついでで何だがそちらの名物の煎餅を送ってくれ」と記した事が元になっていると予想されるのですが、二人の大名の間でやり取りされる煎餅とはどのような物であったのか、とても気になってしまいます。

 煎餅というとうるち米を搗いて延ばした物を焼き、しょうゆや塩で味付けした物が思い浮かびますが、今日、煎餅として思い浮かぶスタイルは日光街道の宿場町、草加宿発祥の「草加煎餅」が原型になっているとされ、政宗よりは少し後の時代の事となります。

 煎餅の歴史は非常に古く、中国で紀元前200年頃、小麦粉を水で練って鉄板で焼いた物が作られるようになり、それが日本に伝えられたとされます。縄文時代の遺跡から穀物を粉に挽いて水で練り、焼き上げた物も発見される事から、中国から伝えられる以前から作られていた事も考えられます。

 日本において文献上、最も古い煎餅に関する記述は正倉院所蔵の文書内に書かれた「煎餅(いりもち)」が最古のものとされ、737年頃の事となっています。今日のようなうるち米を使う物ではなく、小麦粉を使い、油で煎り焼きにして仕上げた物となっています。

 政宗が活躍していた時代、小麦粉を使った煎餅は食べられていて、茶の湯の席で茶菓子としてもよく使われていたとされます。千利休から直接指導を受けたほどの政宗であれば、そうした茶席で出される煎餅にも詳しかった事が考えられ、長政が煎餅を頼んだ事も理解できます。

 また、政宗と煎餅というと、政宗は日頃から兵糧の研究を行っており、兵糧に使う事ができる保存食として「南部煎餅」を作らせたとされる事から、南部煎餅の事を長政に紹介した際、それを送ってくれるように依頼されたとも考える事ができます。

 いずれにせよ小麦粉で作られている事から、小麦粉を水で練って焼き上げた素朴な美味しさの物ではなかったのかと想像が膨らんでしまいます。


 

第1958回 繊維の価値



 世の中には変な事が研究されていて、意外な事の役に立つものだと思ったのは、戦争中、敵の砦を占領すると設置されていたトイレを調査し、その規模や残されていた排泄物を元にその砦では日常的にどれくらいの人数が生活していたのかを判別すると聞かされた際で、敵の規模を正確に判断するためには重要な研究と考える事ができます。

 そうした研究はすでに第二次世界大戦中には行われていて、アメリカ軍が日本軍の規模を把握するために行っていました。細かな研究を基にした分析法を用いて調査を行っていたのですが、実際に砦にいたよりも遥かに多い人数を算出してしまっていたとされます。

 アメリカ軍が日本兵の数を誤認してしまい、正確な測定ができなかった最大の理由は残されていた排泄物の量にあるとされ、それだけ当時の日本人は多くの食物繊維を摂っていたという事が判り、食の欧米化によって食物繊維の摂取量が不足しているといわれる今日の日本の食事情を予見させるものという事もできます。

 かつて食物繊維は消化吸収される事なく排泄される事から、栄養的にはほとんど価値のない物、必要な栄養素の排出を促してしまう物などと考えられていました。食物繊維に何らかの働きがある事を意識する歴史は古く、古代ギリシャでは小麦の表皮である「ふすま」に便秘を予防する働きがある事がすでに知られていました。

 食品に食物繊維が多く含まれると食感が悪くなる事から、便秘の予防以外には大した価値を見出されていなかった食物繊維を除く事に努力が注がれ、柔らかな白いパンを得た事が欧米の食における食物繊維の摂取量の少なさに繋がっています。

 そんな食物繊維が着目されるのは1930年代という極めて近代の事で、アメリカの大手シリアル食品メーカーが小麦ふすまに関心を持ち、大腸炎患者への影響を確認した事がきっかけとなっています。

 その後、アフリカの原住民と欧米の先進国の国民に関する疫学調査が行われ、心臓疾患や動脈硬化の発症が低い理由が低脂肪、高繊維食にあるという結論が出され、1953年になってイギリスのヒップスレー医師によって初めて「ダイエタリーファイバー(食物繊維)」という名称が与えられています。

 食物繊維の評価を一変させるのは1971年、イギリスのバーキット博士による仮説の発表が元となっています。食物繊維の少ない食事を摂っていると、大腸ガン発生の危険度が高まるとした仮説は、10年後の1981年に4カ国で国民の食物繊維摂取量と大腸ガンの発生率を調べたデータによって裏付けられ、食物繊維が健康に有効に作用する物である事が知られるようになっています。

 それ以降、食物繊維と健康に関する研究は進み、食物繊維を多く含む食べ物を摂取する際、通常の食品よりも多くの回数の咀嚼が必要となる事から、脳へ刺激を与えて活性化させる事や満腹感が得られやすく、ダイエットに繋がる事、唾液の分泌を促すので虫歯予防に繋がる事など、体の入り口からすでに多くの健康効果を発揮する事がいわれるようになり、胃壁の保護作用やコレステロールなどの脂質の再吸収の防止作用、腸の蠕動運動の促進、便秘の予防や改善、大腸ガンの予防、痔の予防など多くが知られるようになってきています。

 中でも腸内細菌に関する働きは重要という事ができ、大腸の中に100兆個も棲息しているとされる腸内細菌のバランスを善玉優勢に導く働きが食物繊維にはあるとされます。

 大腸に食物繊維が到着すると腸内細菌によって分解され、有機酸の生成が行われます。有機酸によって大腸内のpHが酸性に傾くとウェルシュ菌などの悪玉菌の繁殖が阻害され、悪玉菌が作り出していたさまざまな毒素の生成を抑える事ができます。また、腸内細菌は免疫に深く関わっていて、胸腺の働きによって作り出されていた免疫が年齢と共に胸腺の働きが低下し、それに伴って低下してしまうのを補う働きを担っているとされ、腸管免疫が高まる事でさまざまな疾患から体を守るだけでなく、アレルギー体質の改善という点にも有効とされています。

 かつて栄養的に何の価値もないとされ、近代になるまで正式な名前すら持っていなかった食物繊維ですが、詳細な研究が進むにつれてその価値の高さが判ってくるようになり、「価値がないとされるものにこそ価値がある」というどこか禅問答のようなものを感じてしまいます。


 

第1957回 兜のような鍋


 我家の登場する事がほとんどない調理器具の一つにジンギスカン鍋があります。中央が兜のように盛り上がり、その表面に肉汁を流す幾筋もの線条があるかなり肉厚で重々しい鉄製の本格的な物なのですが、肉を焼くグリルパン自体ほとんど使わない家でもあるので、すき焼き鍋同様、棚の一角を占有するのみの存在となっています。

 料理としてのジンギスカンは中央が盛り上がった特異な鍋を使い、羊の肉を調理する焼肉の一種であり、北海道の郷土料理となっています。以前、本場の北海道では使い捨てにできる薄いアルミ製の簡易式ジンギスカン鍋が普通に売られていると聞かされた事があり、縦に長い日本の食文化の多様さを感じさせられた事があります。

 ジンギスカンには羊の肉が使われますが、羊の肉には生後1年以上を経過した成羊の肉である「マトン」と1年未満の幼羊の肉である「ラム」があります。マトンには特有のくせがある事から、最近ではラムが使われる事が多く、中でもラムのロース肉が主流となっています。

 ジンギスカンはモンゴル帝国を率いたジンギスカンが遠征の途中、兵士達を労うために陣中で作らせたものが元となったとか、食料として随行させていた羊を潰して、その肉を兵士達が鉄兜を使って焚き火で焼いたものが元となったという俗説がありますが、ジンギスカンの遠征よりも遥か後の時代、大正7年(1918年)に軍隊や警察、鉄道員などの制服を作るための羊毛の国内自給を目指し、「緬羊百万頭計画」が立案された際、羊肉の消費方法の一環として考案されたとされます。

 当初の目的が大量の良質な羊毛を得る事にあるので、羊は充分な期間に渡って飼育されている事が考えられ、正式なジンギスカンにいはマトンが使われるのが適切なように思えます。

 マトンは脂肪分が多い傾向にあるのですが、マトンの脂肪は獣脂の中では融点が高い方に分類され、冷めるとすぐに白く固まってしまう性質を持っています。そのため体内で吸収されにくく、脂がのってこくがあるマトンですが、意外と肥満や血中コレステロール値の上昇を意識しないで済むという特徴があります。

 また、マトンには必須アミノ酸が多く、体内でエネルギー燃焼を助けるカルニチンを豊富に含む事から、エネルギー効率に優れていて体を温める働きがあり、その点でも肥満に繋がりにくいという事ができます。

 ジンギスカン鍋はそんなマトンを中央の盛り上がった部分で焼き、溢れ出た肉汁を線条を使って鍋縁の平坦な部分へ流す構造になっています。鍋縁に溜められた肉汁は冷めにくい造りにもなっているので、肉汁の溜まった鍋縁を使ってたくさんの野菜を調理する事ができ、栄養のバランスが取りやすく、マトンの美味しさを引き出すように考えられた調理器具といえます。

 脂がのってこくがあるマトンは慣れるとくせになる美味しさといわれますが、脂の中に含まれる脂肪酸のカプリル酸に独特な臭味があり、そのために好き嫌いがはっきりと分かれる食材となっています。子供の頃、父親が好きだったという事もあり、普通にマトンと接していて、そういう味の食べ物と思っていたものが、その臭味のために食べられない人も多いという事を大人になってから知り、マトンを美味しく食べられるというのは幸せな事と思うようになりました。せっかくのジンギスカン鍋、たまには使ってやらなければと思っています。


 

第1956回 防御の助け



 「天寿を全うする」というと、とても大変な事のように思えるのですが、この世に生まれて、ある程度定められた寿命を生き切るという事は自然な事のようにも思えます。しかし、現実には「大往生」という言葉があるように、一つの大きな偉業のようにもいわれてしまいます。

 天寿を全うする事を難しくしてしまう要因は幾つか考える事ができ、不慮の事故や命に関わる疾患などもあるのですが、身近なところではストレスや不適切な生活習慣の継続、さまざまな化学物質の存在などを上げる事ができます。事故や病と違い、ストレスや不適切な生活習慣、化学物質の摂取は目に見えて生命や健康に関わるものではない事から、日常的に気付いてはいながら見過ごしてしまうものでもあります。

 日々の生活を通して徐々に天寿を全うする事を邪魔してくるそうした要因に対し、食の中から健康を確保していくもの、それが「フィトケミカル(Phytochemical)」という事ができます。フィトケミカルは食品に含まれる栄養素の一種で、その食品が持つとされる効果効能の素ともなっています。

 食品を摂取する事で食品中に含まれる栄養を得る事ができます。そうした栄養の摂取が食品の一次効果と呼ばれ、最も直接的に意識される食の姿となっています。それに対し、薬味などのように栄養の摂取よりも食欲の増進といった働きを、食品の二次効果と呼びます。

 近年、健康食品などの普及に伴って食品が持つ効果効能が知られるようになってきましたが、食品の三次効果と呼ばれる健康増進作用の源がフィトケミカルとなっていて、基本的なタンパク質や脂質、炭水化物、ビタミン、ミネラルといった五大栄養素に加え、その働きの重要さがいわれるようになり、第六の栄養素といわれるようになった食物繊維に続く第七の栄養素として注目が集まってきているのがフィトケミカルとなっています。

 フィトケミカルは特定の食品だけが持つ特別な成分という訳ではなく、植物が外敵から身を守るために備えている物などが中心となっていて、古くは「医食同源」という概念を支える物であったという事ができます。

 フィトケミカルとして最もよく知られた物としてポリフェノール類があります。ポリフェノール類は植物が紫外線によるダメージや害虫、病原菌などから身を守るために作り出す成分で、紫外線が当たる植物の外皮に近い部分に多く含まれています。

 ポリフェノール類は大きく分けると3つに分ける事ができ、ブルーベリーなどで知られたアントシアニン類や大豆のイソフラボン、お茶のカテキン、柑橘類のフラバノンなどはポリフェノール類の一種、フラボノイド類に含まれます。コーヒーで知られたカフェ酸や赤ワインで有名になったレスベラトロール、ゴマのリグナンなどはフェニルプロパノイド類に含まれ、漢方薬の素材に多いアントラキノン類を加えた3種がポリフェノール類の大まかな構成となっています。

 緑黄色野菜の色素として知られたカロチノイド類も代表的なフィトケミカルの一つであり、酸化ストレスの軽減や免疫の活性化、ガン細胞の増殖の抑制、活性酸素の除去など、さまざまな働きが注目される成分ともなっています。

 ニンジンやモロヘイヤなどでお馴染みのβーカロテンや、バジルや小松菜のαーカロテン、ミカンのβークリプトキサンチン、赤ピーマンのカプサンチン、ホウレン草や小松菜のルテイン、トマトのリコピン、金柑のゼアキサンチンに動物性カロチノイドと呼ばれる事もあるエビやカニ、サケのアスタキサンチンなどはカロチノイド類に含まれ、高い健康増進効果が知られています。

 健康増進効果が高いフィトケミカルとしては含硫化合物類が上げられ、ニンニクのアホエンやアリシン、タマネギの硫化アリル、ワサビに含まれるワサビスルフィニル、ケールやブロッコリースプラウトで知られるようになったスルフォラフォン、大根や芥子の辛味の素、イソチオシアネートなども含硫化合物類に含まれています。

 ハーブ類に多く含まれ、香料や香辛料、香油などとして民間療法にも使われてきたテルペン類もガンの予防効果やガン細胞を自然死に導くアポトーシス誘導作用があるとして注目されるフィトケミカルとなっており、楠の精油成分のカンファーやハッカのメントール、柑橘類のリモネンなどのモノテルペン、薬草として使われるナツシロギクのパルテノライド、秋ウコンのターメロンなどのセスキテルペン、銀杏のギンコライドやミョウガのガラナールなどのジテルペン、オリーブやイチジクで知られたルペオールなどのトリテルペン、ブナシメジのポリテルペンはテルペン類の代表的な存在という事ができます。

 効能効果を意識し過ぎて一気にまとめて摂取しようとすると無理が生じてしまいますが、食品には旬があり、旬の時期に合わせてポリフェノール類やカロチノイド類、含硫化合物類、テルペン類のいずれかが多く含まれるという傾向があるので、旬の食べ物を意識しながら摂取するフィトケミカルを決め、一年を通して健康作りのリズムを決めると効果的なのかもしれないと思っています。


 

第1955回 肥満と脂肪酸


 フッ素樹脂加工の調理器具は、フッ素樹脂の他の物質と反応しにくいという性質から、調理に油を使わなくても表面に焼き付いてしまう事がなく、油を使わずに調理を行う事ができる事から、ヘルシーな調理器具というキャッチコピーをよく見かけます。

 また、本来は油分を含んでいるはずの食品に油分を使わずに作られた「ノンオイル」タイプの食品も存在し、油分は不健康な物というイメージが定着していて、油分や脂肪分を摂らない事が健康的とする風潮があります。

 油分や脂肪分といった脂質は、体内で1gあたり9kcalのエネルギーを発生させ、糖質の1gあたり4kcalと比較しても倍以上のエネルギーを発生させている事になり、三大栄養素の中では最大のカロリー源でありダイエットの大敵のようにも思えます。

 脂質はエネルギー源としてよりもホルモンの材料や神経の構成成分、細胞膜の主成分として体内では非常に重要な栄養素となっています。油分や脂肪分として体内に摂り込まれた脂質は、脂肪酸とグリセリンに分解されて体内で利用されています。

 脂肪酸の中で体内で合成する事ができない事から食を通して摂取するするしかなく、健康を維持する上で欠かせない物を「必須脂肪酸」と呼び、脂質を摂取が必要な理由の一つとなっています。

 必須脂肪酸に限らず脂肪酸にはさまざまな働きがあるのですが、個々の働きや過不足が生じた際の弊害などについてはそれほど知られていない状態となっています。

 よく働きが知られている脂肪酸として「DHA(ドコサヘキサエン酸)」や「EPA(エイコサペンタエン酸)」があります。DHAはは学習能力を向上させる物、EPAは血液をサラサラにして生活習慣病を予防する物として広く認識され、健康食品の素材としても使われています。

 どちらも魚油から得られる健康的な脂肪酸という事で「DHAプラスEPA」という形で製品化される例をよく見掛けますが、DHAとEPAには可逆的な関係があり、体内では必要に応じてDHAからEPAが、EPAからDHAが作られる事はあまり知られていません。

 一時期、アレルギーや炎症を酷くするとして悪玉扱いされていた「アラキドン酸」も最近では、細胞膜の柔軟性を確保するために欠かせない脂肪酸であり、不足するとさまざまな意欲が低下する事が知られるようになってきていて、健康食品の素材ともなってきています。

 脂肪というと肥満に繋がる物という感じで、どうしても否定的なイメージで捉えがちになってしまうのですが、ビタミンやアミノ酸と同じように体内で重要な働きを持つ物として評価され、研究が進められる事を願っています。


 

第1954回 粒の行方


 よく味噌汁を作るので、お気に入りの味噌を欠かさないようにしています。購入し立てよりも少し寝かせた方が味が良くなるので、いつも多めに購入してしばらく寝かせた物を使うようにしていたのですが、一時期、購入していたデパートの売り場から姿を消し、入手が困難になってしまった事があります。

 店員さんに事情を聞いてみると蔵元が倒産したとの事で、それから長い時間、多くの銘柄を試しながら満足のいく物を探す事となってしまったのですが、その際、味噌やしょうゆは日本の食の基本であり、家庭の味を形作るものであるという事を実感しました。

 今日でこそ味噌は調味料の一環となっていますが、かつては日本の食生活における主要なタンパク源となっていて、江戸時代の中期以前は直接食べるおかず的な存在という色合いの方が濃い物となっていました。

 大豆に麹と塩を加えて発酵させる事で作られる味噌は、大豆由来のタンパク質が分解されて消化吸収されやすい状態になっており、旨味の素となる遊離アミノ酸も多く含む物となっています。タンパク質を多く含む大豆を多くすると旨味が増し、デンプンが多い麹を多くすると甘味が増すとされ、それぞれの比率や麹の原料を米や麦、豆などにする事によって独自の味が作り出されます。

 味噌の原形は穀物に塩を加えて保存する「醤(ひしお)」であり、醤作りは製塩を行うようになった縄文時代から行われています。弥生時代にも醤作りは行われていて、大豆に塩を加えて作られた醤から味噌という独自の存在が分化した事が確認できるのは奈良時代の事となっています。当時の文献にまだ完全に発酵が進んでおらずに豆の粒が残されていて、完全な醤となっていない物という意味から「未醤(みさう、みしょう)」と記されているのが、最初に登場する味噌という事ができます。

 未醤は「末醤」と記される事もあり、「大宝律令」の中には末醤として登場しています。その後、味が良い事から「味醤」や「美蘇」の記述も見られるようになり、「味曽」を経て今日のような「味噌」と呼ばれるようになっています。

 完全に発酵させずに大豆の粒を残した味噌は、ペースト状の醤とは違って調味料としてよりもそのまま食べる物として扱われ、「畑の肉」ともいわれるほど栄養豊富な大豆の保存性を高め、味や消化吸収に優れた物として全国に広まっていきます。

 そんな味噌作りがより盛んに行われ、各地で独自の発展を遂げる事となるのが室町時代から戦国時代にかけての事で、戦乱が多くなってくると兵糧として重宝され、優れたタンパク源でもあった事から兵士の貴重な栄養源とされた事が日本の食文化と味噌との関わりを深めたと考える事ができます。また、良質な味噌を生産する事は単に兵糧の確保というだけでなく、経済政策としても有効であり、そのために戦国武将によって考案されたという味噌は各地に多く残されています。

 現地で入手した野菜などを具材として使い、大鍋でまとめて作る事ができる味噌汁は、大変便利な陣中食であった事から各地の戦場で盛んに作られ、徴用されていた領民がその作り方を学んで自宅に戻ってからも日常の食として食べるようになって定着した事が、味噌を直接食べる物から調味料へと変えていく事に繋がり、味噌自体の姿も変へていく事となります。

 当初は大豆の粒が残されたままというのが味噌の姿で、それをすり鉢で潰して使われていましたが、最初に大豆を潰しておいてペースト状に仕上げる味噌が作られるようになって一般化し、語源の「未醤」にあるような未発酵の粒を持つという姿は見られなくなっています。

 そうして江戸時代の中期頃には調味料としての味噌が定着し、各地の気候や風土に合った味噌作りが行われていきます。明治時代の末期になると麹の働きを温度管理で調整する製法が考案され、それまで1~3年ほどかけて作られていた味噌は数ヶ月で作る事ができる物となり、さらに第二次世界大戦中には温度管理の適正化が進められ、20日ほどの醸造期間で作り出す事が可能となって工業化への足掛かりを得る事となります。

 第二次世界大戦後、ライフスタイルの変化や安価に大量生産された物が流通するようになった事で、かつてのように各家庭で手作りされるという事は見られなくなってしまいましたが、日本の食に深く根差した物であり、我家の味を作る大切な存在である事に変わりはない物、それが味噌だと思えてきます。


 

第1953回 牛と方角



 我家の北側は阿蘇山へ向かって緩やかな斜面となっていて、その斜面に沿って田畑が作られています。田畑では作物が栽培されていない間に自生した雑草を使って、数頭の牛が放牧されている場面をよく見掛けます。

 斜面を有効に利用しているために付近の田畑は東西に長く、南北には短い長方形が基本的な形となっていて、その中で牛達はゆっくりと草を食べたり休んだりしているのですが、その牛達が特定の方角を向く傾向がある事は、結構な時間、牛達を見ていても気付かずにいました。

 ドイツのデュースブルク・エッセン大学の研究者がグーグルアースを使って世界中の牛が放牧されている様子が写された画像をダウンロードし、半年に渡って牧草地に自由に放たれた牛達がどちらを向いているかについて分析を行ったところ、世界中の牛が特定の方向を向いている事を発見したと報告しています。

 牛達が向いていたのは「北」の方角で、太陽の位置から知る事ができる「真北」ではなく、地磁気が示す真北である「磁北極」を向いていたとされます。地図上の真北となる北極と地磁気が示す真北の磁北極とは位置的に大きく異なり、現在の磁北極はカナダの北部に位置しています。

 牛達が正確に磁北極を向いていたという事は、牛達が地磁気を敏感に感じ取っていた事を示し、その磁気感覚が想像以上に高性能である事の表れという事ができます。さまざまな研究で予想を超えた多くの生物が磁気感覚を持っている事が知られるようになってきていますが、生体内の磁気センサーの解明に関する研究は困難を極めているとされています。

 生体内の磁気センサーについては、磁性細菌の細胞内での存在と働きが解明されたのが最初で、1970年代の事と比較的歴史も浅いものとなっています。

 磁性細菌は細胞内に強い磁気を帯びた酸化鉄の微粒子を持っており、微粒子を連ねた磁鉄鉱の糸を細胞内に複数持つ事で磁場に対する細胞の向きを感じ取り、生育しやすい環境を目指して泳いでいるとされています。

 磁性細菌の磁気センサーの解明がきっかけとなって、同じように動物達も体内に磁鉄鉱の微粒子を持つ事で磁気センサーとして機能する細胞を持っているのではないかという仮説が出され、生体内の磁気センサー解明に関する研究が活発化しています。

 サケやマスが地磁気を感じ取り、遡上する故郷の川を正確に見付ける事が知られていますが、最近の研究でニジマスは鼻に磁気センサーを持っていて、それを使って地磁気を感じ、自分の向きを察知していた事が判ってきています。

 ニジマスの鼻には磁鉄鉱の微細な塊が細胞膜の内側に細胞へのイオンの入り口を塞ぐように配置されていて、磁鉄鉱の塊がニジマスが正確に磁北極を向いている場合は細胞の入り口を塞ぎ、ニジマスが磁北極を向いていない場合は磁鉄鉱の塊だけが磁北極を向く事から細胞の入り口が開く構造になっています。細胞内にイオンが入り込んできたという情報が脳に伝えられる事で、ニジマスは自分がどちらの方角を向いているかを感じ取り、正確に遡上すべき川の位置を目指す事ができる仕組になっているとされます。

 そのようにして動物達が地磁気を感じ取り、自分の向いている方角を知るという不思議な力の存在と仕組に関する解明が進められているので、やがては牛のh体内の磁気センサーについても解明される事とは思いますが、遡上する川を探すサケやマス、生存に適した環境を目指す渡り鳥などに対し、牛が何故地磁気を感じ取って自分の方角を把握しなければならないのか、そちらの方が気になってしまいます。


 
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