第2081回 恐怖の伝播



 生前、父親は大変な医者嫌いで、中でも特に歯科へ行く事を嫌がっていました。「そうなる前に早く行っておけば良いのに」といわれながら、時には頬まで腫れて見ている方が痛々しくなってくるという事も幾度かありました。

 父親ほどではないにしても歯科が苦手という人は多く、私も学生の頃、歯科の家の子の家庭教師をしていて、ビルの裏手から入って2階の玄関へと向かう階段まで聞こえてくる治療用のドリルの音には、どこか背筋が寒くなるものを感じていました。

 そんな歯科への苦手意識は虫歯を生じやすい子供の場合、特に治療の妨げとなりえるという事もあり問題視されているのですが、その根源は父親にあるという興味深いレポートが行われていて、自分に照らし合わせて変に納得するものを感じています。

 スペインのマドリッドに住んでいる183人の子供とその家族を対象とした調査によると、子供の歯科恐怖症には相関関係がある事が判ってきていて、子供が歯科に対し恐怖を抱くかどうかについては父親の影響、父親が歯科を怖がっているかどうかが大きいとされていました。

 子供は歯科へ行く事についてどの程度心配し、どの程度恐怖するのかを父親から最も多く感じ取っているとされ、父親が歯科へ行く事を怖れていると、その恐怖は子供に伝染して歯科恐怖症の子供になってしまうと結論付けられています。

 一家の中で最も強い存在で、家族を守るべき立場の父親が恐怖を感じるのであれば、庇護下にある自分も怖れるべき対象であるはずと感じるのは、生物としては当然の事と思えます。

 父親の恐怖心を効果的に抑える事ができれば歯科恐怖症の子供を減らす事ができ、治療が遅れてしまうという事も未然に防げるのではとレポートではいわれていましたが、その後に待ち構えている治療用ドリルの怖ろしさを思うと、それはとても難しい事のように思えてきます。


 
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第2080回 コンとコーン



 とても紛らわしい存在として「シリコン」と「シリコーン」があります。どちらかというとシリコンは日常的に目にしますが、シリコーンはあまり目にする機会はないように思え、シリコーンとはどのような物と思えてきます。しかし、日頃目にしている製品こそがシリコーンで、厳密にはシリコンとは別物という事には驚かされてしまいます。

 シリコンとは元素の一つであるケイ素の事で、半導体としても知られています。半導体として使われる際はシリコンを加工したシランが原料となり、同じくシリコンから加工されたシロキサンから作られる高分子化合物がシリコーンとなっています。

 シリコーンは耐熱性、耐候性、化学的安定性に優れ、非常に安定した物質である事から多くの工業製品に使われています。巷で見掛けるシリコンスチーマーや調理器具、洗剤やクッキングシートなどへの添加材は厳密にはシリコンではなくシリコーンとなっています。

 そんなシリコーンについて気になる存在となってきているのがシリコーンを含まない「ノンシリコンシャンプー」で、髪や地肌に優しいとして店頭で見掛ける数が増えてきています。

 ノンシリコンシャンプーの宣伝によると、シリコーンは地肌の毛穴に詰まって毛髪の正常な育成を妨げたり、浸透性が高く、髪や地肌に浸み込む事で有効成分の吸収を妨げるなどの弊害があり、ノンシリコンシャンプーは髪や地肌に優しいとしています。

 それに対しシリコーンを含むシャンプーを製造しているメーカーによると、シリコーンが地肌の毛穴に詰まるという事はなく、何らかの成分の吸収を妨げる事もなく、シリコーンの有無に関わらずシャンプーが適切に使用されていれば髪や地肌に影響を及ぼす事はないと主張しています。

 実際、シリコーンが髪や地肌に悪影響を及すとする学術的な根拠は存在せず、逆に髪のキューティクルが剥離してしまう事を防いで、髪の艶をまもるという論文は存在するといいます。

 シャンプーに配合されるシリコーンは髪同士の摩擦を減らす役割があり、シャンプーの性能が向上して洗浄能力が高くなった事から、脂質を除いてしまい洗髪中の髪にきしつきが生じてしまう事を防いでいます。また髪にダメージがある場合、荒れたキューティクルを保護して髪をケアしてくれる事も期待できます。

 今後もノンシリコンシャンプーのシリコーン否定は続きそうですが、シリコンではなくシリコーンである事と否定される根拠はない事だけは頭に置いておこうと思ってしまいます。


 

第2079回 冷しあめ文化



 実家の近くには大きなお寺があり、年に一回、夜通し写経を行う会が催され、多くの夜店と参拝客で賑わいます。子供の頃はその夜店に連れて行ってもらうのが嬉しくて、夏の楽しみの一つとなっていました。

 当時は10日周期で夜市も開かれていたのですが、その日だけは通常の夜市の何倍もの夜店が出店していて、特別な夜という感じがしていました。そんな夜店の中に「冷しあめ」を売る店が来ていて、母親が懐かしがりながら買ってくれた事があります。

 初めての事にワクワクしながら手渡されたコップに口を付けると、清涼飲料水に慣らされた身にはあまり美味しいとは思えず、買ってくれた母親に申し訳ない思いで飲んでいました。店のカウンターには醤油注しが備えられていて、少量入れると美味しくなるという生姜の搾り汁が用意されています。

 少量加えてみたのですがあまり味は変わらず、美味しくならない事から入れ方が足りないと思って何度も注ぎ足し、その都度生姜の味が強くなっていって不味くなり、量的には増えていって辛かったという思い出があります。

 冷しあめは麦芽の水飴をお湯で溶き、生姜の搾り汁を加えた飲み物で、冷した物を「冷しあめ」、温かい物は「あめ湯」と温度によって名称が変わってきます。シナモンを使って香り着けしたバリエーションも存在し、主に縁日の屋台や駄菓子屋、お好み焼き屋などの軽食店などで供されてきたという歴史を持っています。

 水飴を使った優しい甘味とノスタルジックな雰囲気は、如何にも昭和といった懐かしさを感じさせてくれるのですが、不思議な事に関東ではほとんど見掛ける事がないとされます。

 幕末の大阪の庶民の暮らしを描いた「花の下影」には、心斎橋のたもとで商うあめ湯の屋台の姿が描かれており、江戸の末期にはあめ湯が甘酒と同じように暑気払いの滋養強壮飲料として飲まれていた事が判ります。

 温度差による分類を考えると、あめ湯が冷しあめに発展するには氷の普及が不可欠となる事から、冷しあめの成立は明治時代以降の事と考える事ができます。

 あめ湯から発展した冷たい飲料、冷しあめの普及は京都を中心とした関西圏とされる事から、京都の宮廷文化である甘蔓(あまづら)を煮詰めた甘味や氷室といった文化的下地の存在も冷しあめの成立と普及には関わっているように思えてきます。

 一説には、大正時代までは関東や近畿などの幅広い地域で飲まれていたとされますが、その後、急速に関西圏以外の地域では広島と高知を残し、姿が見られなくなっていってしまいます。

 関西のメーカーでは関東に対し積極的な販促を行わなかった事が、関東に冷しあめがない理由とする意見を聞かされる事がありますが、一度普及した物が急速に姿を消した理由として関東大震災による製造施設の壊滅を時期的に上げる事ができると思えます。

 同じように関東圏の壊滅的な破壊という事には、東京大空襲の存在もあり、そうした製造施設への破壊と戦後の欧米風の甘味の普及、空襲を逃れた関西の製造メーカーからの販促の不在が関東圏で冷しあめの再スタートの妨げとなり、関西独自の食文化となっていた事が考えられます。

 九州には冷しあめの普及はなかったようなのですが、母親は若い頃、大阪で過ごした事があるらしく、それが懐かしさに繋がったのかと納得しながら、いつか私も子供に夜店の冷しあめを懐かしがりながら買ってあげる日が来るのかと、微妙なものを感じながら考えてみています。


 

第2078回 白い謎(2)



 シチューの語源は英語にあり、最初は弱火で時間を掛けて煮込んだ料理を指す名詞として使われ、1400年頃からは食材を弱火で煮込む事を指す動詞としても使われるようになり、「シチューイング」といった使い方も見られるようになっています。

 英語のシチューの語源はフランスの古語で「煮込む」「蒸す」といった意味を持つ「エステュベール」にあるとされます。フランスでは今日でもその名残として、煮たり蒸したりする調理器具の名前に「エテュベ」があります。しかし、フランスにおけるエテュベは「水分をほとんど加えずにふたをして蒸し煮にする」という意味がある事や、フランスでシチューに当たる物としては「ラグー」の存在がある事からも、シチューの歴史の複雑さが感じられてきます。

 日本のクリームシチューを定義してみると、使われる肉類は鶏肉か豚肉の事が多く、タマネギやジャガイモ、ニンジンといった3種の根菜類が定番の具材となっています。小麦粉に由来した濃厚なとろみがあり、牛乳か生クリームなどの乳製品を使って煮込まれています。

 そうした観点から見てみると、明治5年(1872年)に仮名垣魯文によって書かれた「西洋料理通」にはビーフシチューをはじめ豚肉を使ったシチューやトマトのシチューなども登場しますが、クリームシチューの要件を満たすような料理は登場していません。

 クリームシチューによく似た具材を使う物としてカレーの存在を上げる事ができますが、カレーにおいて3種の根菜類が使われるようになったのは明治時代の後期とされる事から、クリームシチューの成立もそれ以降の事ではないかと考える事ができます。

 明治39年(1906年)の「家庭西洋料理と支那料理」には「鶏肉のスチユー」、明治40年(1907年)の「和陽惣菜見立」には「シチウチキン」として鶏肉を使ったシチューが登場し、特に「鶏肉のスチユー」は鶏肉やジャガイモ、ニンジン、香味野菜をバターで炒め、小麦粉でとろみを付けて煮込んではいますが、牛乳や生クリームなどの乳製品が登場しない事からクリームシチューとは別な料理であると思えてきます。

 明治36年(1903年)の村井玄斎の「食道楽」にはいくつかの牛乳を使った料理が登場する事から、料理に牛乳を使うという発想がなかった訳ではない事が伺えるのですが、シチューと牛乳が結び付く様子はその当時の日本には見出す事ができません。

 時代が大正に移り、大正14年(1924年)の「滋味に富める家庭向西洋料理」には「鶏肉のスチウ ダンプリング」なる料理が登場し、鶏肉をバター炒めて小麦粉とタマネギを加えてさらに炒め、お湯を入れて煮込み、牛乳を加えて最後にダンプリングと呼ばれる小麦粉に牛乳や卵を加えて練った物を入れて仕上げるという作り方はクリームシチューの原型と見る事ができます。

 大正時代はミルクホールやカフェの流行によって庶民の間に牛乳が広がり、それまで日本人の中にあった牛乳への抵抗が失われた時期と見る事もできます。そうした時代背景が牛乳とシチューを結び付け、クリームシチューが成立していったようにも思えてきます。

 クリームシチューが本格的に登場するのは第二次世界大戦後、食糧不足の時代だったとされ、昭和22年(1947年)に開始された学校給食が元になっているとされます。食糧難の当時、給食は重要な栄養補給の機会であり、米国から支援物資として届けられる小麦粉と脱脂粉乳を使って、美味しくて栄養のあるメニューを開発する事が求められていました。小麦粉と脱脂粉乳を使った「白シチュー」は、そうした要請に応えるものであり、給食だけでなく料理書や料理番組でも取り上げられて広まっていきました。

 給食で出される白シチューは生徒たちの間では人気となっていましたが、広く家庭で作られる料理とはなっていませんでした。クリームシチューが一般家庭でも作られる料理となるのは、昭和41年(1966年)、大手食品メーカーから粉末のルウである「クリームシチューミックス」が発売された事がきっかけとなっています。

 発売から約1年でクリームシチューミックスは大ヒット商品となり、クリームシチューという名前と共に一気に家庭に浸透していく事となります。給食のメニュー開発の際、アイリッシュシチューや鶏肉のスチウが原型とされたのかについては謎となっていますが、日本発の温かい煮込み料理、それがクリームシチューであり、日本の代表的なシチューとなっている。そのように思えてきて、またシチューを作ろうかと思ってしまいます。


 

第2077回 白い謎(1)



 日中の気温が下がってくると、夕食の献立を考える際に温かな煮込み料理を思い浮かべる頻度が高まってきます。さまざまな煮込み料理がある中でいろんな具材を使う事ができ、栄養のバランスも取りやすい事からシチューを作る事がよくあります。

 本来、シチューは大きめの一口大に切った具材を出汁やソースで煮込んだ煮込み料理全般を指すとされ、スープとの違いは切り分けられた具材の大きさ、煮込み時間の長さや全体の濃厚さ、前菜となるかメインディッシュとなるかという扱いの差とされますが、日本でシチューというと多くの場合、白いクリームシチューの事を指し、それ以外のシチューはビーフシチューなどのように違いが明確化されているように思えます。

 西洋料理であるシチューが日本へ伝えられた時期については定かではないとされますが、明治4年(1871年)、東京の洋食店「南海亭」のメニューに「シチウ(牛・鶏うまに)」という記載があったとされる頃から、維新の頃には入ってきていた事が考えられ、明治37年(1904年)には日本帝国海軍の昼食や夕食のメニューに「煮込み」としてシチューが採り入れられていた事からも急速に広まった事と思われます。

 しかし、日本におけるシチューの歴史として語られる西洋風の煮込み料理は、ほとんどの場合において赤ワインやトマトを使い、小麦粉の色が変わるまでバターで炒めたブラウンソースやドミグラスソースを使ったビーフシチューがほとんどとなっていて、黎明期においては白いクリームシチューの存在を示すものには出会う事ができません。

 日本のクリームシチューに良く似た物としてアイリッシュシチューの存在がいわれる事があります。アイリッシュシチューはその名の通りアイルランドの伝統料理で、角切りにした羊肉と輪切りにしたタマネギ、ジャガイモを交互に重ね、タイムやパセリなどの香辛料を加えてスープストックで丹念に煮込んで仕上げられます。家庭によってレシピが違い、最後に牛乳を入れて白く仕上げる家庭も多く、クリームシチューとの類似点を多く見出す事ができます。

 アイリッシュシチューがクリームシチューの原点となり、日本に伝えられて独自のアレンジが行われたと考える事も出来そうに思えるのですが、スープストックで具材を煮込んで仕上げに風味付けの牛乳を加えるアイリッシュシチューと小麦粉をバターで炒め、牛乳で伸ばして作るホワイトソースで具材を煮込むクリームシチューでは「似て非なる物」とも思えてきます。

 そうなると日本の食文化に突然登場し、それまでに普及していたビーフシチューを追い越してシチューの代表の座を得ているクリームシチューとは、どこか謎めいた存在のようにも思えてきます。


 

第2076回 下り坂の知性



 人類が食料を安定的に得る手段として農耕を始めるのは、人類の歴史からみると随分と後の事で、それまでの食料確保の手段といえば狩猟が中心となっていました。しかし、人類は狩人としては優れた存在とはいえず、その事が道具をはじめとするさまざまなものを発展させる原動力となったと考える事ができます。

 獲物を追い詰める速い足も風景に紛れてしまう擬態、油断させた獲物を一瞬のうちに獲り押さえる俊敏性も強力な力もなく、とどめとなる一撃を加える牙も爪も毒も持たない人類にとって、狩猟を行うには道具の存在は不可欠なものとなっていました。

 大きな獲物を狩るには集団が必要となり、集団を養うにはより大きな獲物、大きな集団を狙う必要が生じます。集団で確実に狩りを行うにはコミュニケーションが不可欠となり、コミュニケーションの手段として言語が生まれました。

 獲物を探しに出掛け、獲物を見付けて仲間を集めて狩りに行く際、見付けた時はそこにいた。多分、今はこの辺りにいるだろうと言語に過去形、未来形、仮定形が使われるようになり、捕獲した獲物を仲間とその家族に行き渡るように分配するという数学も発生しています。

 人類は狩猟によって単に食料を得たというだけでなく、その後の繁栄に繋がる多くのものを得ていたという事ができます。道具や言語、集団性によって捕食者としての立場を確立していた人類ですが、本来の姿は捕食する側よりも捕食される側の方に近く、大自然の中では食物連鎖の頂点に君臨するライオンのようには悠々としていられなかった事が考えられます。

 常に獲物を探し、獲物とならないように細心の注意を払い、家族の安全を気遣いながら時には強大な捕食動物やマンモスにも挑んでいく。全ての感覚を研ぎ澄ませ、持てる能力を使い切って日々を生きていく、当時の人類は今よりもはるかに鋭敏な感性の下、日々の生活を送っていたように思えます。

 そんな当時をピークに人類の知性は低下しているという、少々ショッキングな学説が発表されていました。スタンフォード大学のクラブトリー博士によると、人類の知性には2千から5千という多数の遺伝子が関わっており、ランダムに起きる遺伝子の変異によりその働きが低下している可能性があるとされています。

 確かに日々最新のデジタル機器に囲まれて生活してはいますが、一瞬の判断によって自分自身や家族の生命や生活が危険にさらされるという事は遠い昔のものとなり、穏やかな生活が続く中では当然の成り行きかなと思いつつ、自分を高め続ける努力をしなければと反省したりもしています。


 

第2075回 褒めも咎めも



 子供の頃はうどんが好きで、ほとんどそばを選ぶという事はなかったのですが、いつの頃からかメニューにあるとどちらにしようかと迷うようになっていました。そばを選ぶ際は、丼に出汁がはられた物にするかざるにするかで迷ってしまうのですが、そば湯がいただける事を考えるとざるの方に目が行ってしまいます。

 以前、読んだエッセイの中で「そば湯とは出したからといって褒められるものではなく、出さなかったからといって咎められる事はない、実に不思議な存在だ」というものがありました。確かにそば湯は何もいわずに出される店もあれば、いわなければ出てこない店、いっても出してもらえない店もあり、そば屋におけるそば湯とはとも思えてきます。

 そば湯に関する最も古い記載は江戸時代、寛永四年(1751年)に書かれた「蕎麦全書」とされ、著者自らが信州諏訪を訪れた際、名物のそばを食べてみて、食後にそば湯を出されて驚いた事が書かれており、同時に当時の江戸ではそばの後には豆腐の味噌汁を食べる事が一般的であった事が記載されていて、その頃の江戸ではそばは消化が悪く、傷みやすい食材とされていた事から、麺の毒を消す意味で豆腐の味噌汁が欠かせない物となっていた事や、そば湯を飲むのは信州の一部の限られた地域の風習だった事が伺えます。

 その後、そば湯は信州風と称して江戸でも出されるようになり、評判となって広まっていったとされ、今日のようなそばを食べた後に出される定番のスタイルへと繋がっていきます。

 蕎麦全書において著者である日新舎友蕎子(にっしんしゃゆうきょうし)は店の主人にそば湯を出す意味を尋ね、店の主人はそれに「そばを食べた後にそば湯を飲むと、食べたそばはすぐに下腹に落ち着き、食べ過ぎたからといって腹が張る事がない」と答えています。

 今日ではそば湯を飲む理由として、「そばは栄養が豊富な穀物で、中でも健康に良いタンパク質が多く含まれていますが、それらは水溶性であるため、茹でているうちに多くがお湯の中に溶け出してしまうので、そば湯をいただく事でそばの栄養を無駄にする事なく摂取できる」とされます。

 しかし、店によっては別な鍋に沸かしたお湯にそば粉を溶いたものをそば湯として出していたり、茹でたお湯を出したとしても全てをいただく訳ではないので、どことなくその説明には無理があるようにも思えてきます。

 そば通の間ではそば湯一つでそば屋の腕が判るといわれ、そば猪口に残ったそばつゆをそば湯で薄めて飲むと、そばつゆに使われている出汁やしょうゆ、みりんや酒といった調味料の良し悪しが浮き彫りとなり、微妙なそば湯の香りでそば粉の質やつなぎに使われた小麦粉の事が判るといいます。

 小麦粉の香りが強いとつなぎの比率が高い事が判り、そば湯の色合いによっては釜の火力調整の上手下手まで判るとされますが、別鍋に沸かしたお湯でそば粉を煮たそば湯では、そうした違いを感じにくいともいわれます。

 別鍋で作るそば湯は「作りそば湯」とも呼ばれ、そば屋の力量や雰囲気を感じにくいとして敬遠する意見がある半面、店の混雑状況にそば湯の濃淡が変化するといった事がなく、いつでも最適のそば湯が出せるように気を付けているとして評価する意見もあり、どちらが良いとすぐにはいえない状態となっています。

 そうした状況を踏まえてみると、そば湯をいただくのは豊富な栄養やポリフェノールといった健康面よりも美味しいからという事が一番の理由のように思えます。以前、こだわりの職人と評判の店へ行った事があるのですが、まるでポタージュスープのような粘度のそば湯を出された事があり、よほどそば粉に自信があったのかと振り返ってしまいます。実に奥深い世界なのかもしれません。


 

第2074回 博士の受賞



 「いろいろな賞をいただいた事は、もちろん嬉しい事です。しかし、受賞した事が私の研究人生における一番の喜びという訳ではないと感じます。実験室で自分の仮説が正しいという証明が、実験によって得られた瞬間、この時以上に喜ばしい事なんて絶対にあり得ません」というのは、ノーベル賞を受賞した際のファーチゴット博士の言葉です。ファーチゴット博士というと有名な医薬品、バイアグラの開発者として知られています。

 バイアグラが世に出て大きな話題となり、その後、あまり時を置かずにファーチゴット博士のノーベル賞生理学・医学賞受賞となったため、多くの人がバイアグラの効果に対して賞が贈られたと勘違いしていましたが、実際は一酸化窒素の生理的作用を世界で初めて解明した事に対しての受賞となっていて、バイアグラはその応用の一環に過ぎないという事ができます。

 一酸化窒素には血管を弛緩させ、拡張する働きがあります。その発見はこれまで多くの人の命を守り、特に心臓病の患者に大きな恩恵を与えてきましたが、その詳細なメカニズムは解明されておらず、結果のみが人を助け続けているという状態が続いていました。ファーチゴット博士はそのメカニズムを解明し、心臓病の薬や発毛剤、そしてバイアグラが開発される道筋を作った偉大な研究者となっています。

 ニトログリセリンは狭心症の発作を抑える薬剤としても使われ、多くの命を救ってきました。爆薬として作られていたニトログリセリンにそのような働きがある事が発見されたのは、研究者がニトログリセリンの味を見てみようと一滴、舌の上に乗せてみたところ、その後、血管の拡張による頭痛を経験した事や、ニトログリセリンの製造工場に勤務する狭心症患者が、自宅では激しい発作に悩まされるのに勤務中は一切発作が起こらない事に気付いた事がきっかけになったともいわれます。

 ニトログリセリンが体内に入ると、加水分解されて硝酸が生じます。硝酸はさらに分解されて一酸化窒素となり、血液中の一酸化窒素は細胞内のカルシウム濃度を下げさせて血管を包んでいる筋肉を弛緩させ、血管が拡張する事となります。その事を解明したのがファーチゴット博士で、1986年に実証する事に成功しています。

 ノーベル賞の大本はニトログリセリンの安全な利用法を考案し、財を築いたノーベルによってはじめられています。ファーチゴット博士はニトログリセリンの医薬品としての利用のメカニズムを解明した人で、どことなく縁が深いようにも思えます。

 ファーチゴット博士の研究の応用から毛細血管を拡張して血流を促進し、発毛を促す育毛剤やバイアグラ、血圧の降下剤などが開発されていて、これからも多くの人に恩恵を与え続ける事が考えられます。残念な事に2009年にファーチゴット博士は92歳で他界されてしまいましたが、これからも偉大な発見をした研究者としてその名は長く歴史に残される事と思っています。


 

第2073回 不都合な真実?



 日頃からテレビは料理番組か時代劇しか見ないのですが、たまに番組をチェックしていて部分的に映画を見てしまう事もあります。そのまま終わりまで見てしまうという事はないので、見た場面がどのような前後の繋がりを持つものなのかを理解できない事も多いのですが、中には後々まで印象に残るものもあり、それなりに楽しんでいるとは思います。

 そんなつい見てしまう映画の一シーンの中に、主にカーアクション物の一場面だと思うのですが、運転席に据え付けられた怪しげな気体が入ったボンベのノズルを開けると、瞬時に車が異常な加速をはじめるというものがあり、運転している人がシートにすごい勢いで押し付けられるような描写に、圧倒的なパワーアップが行われた事を伺う事ができるものがあります。

 そうした映画に登場する怪しげな装置は日本では「ニトロ」、本場のアメリカでは「ナイトラス」もしくは「ナイトラス・オキサイド・システム」と呼ばれるもので、比較的簡単に高出力が得られる改造法として一部のマニアの間では強力な支持を得ているといいます。

 確かにニトロが使われる場面は、如何にも「奥の手」という感じで登場し、暴力的なまでの加速力が得られている事から見ている側も盛り上がるものがあるのですが、そんな盛上りに水を注してしまいそうな不都合な真実が隠されている事はあまり知られていません。

 ニトロはその言葉の響きや圧倒的なパワーという演出から、強力な爆発力と燃焼力を持つニトログリセリンや高出力燃料であるニトロメタンなどが使われているような印象を与えるのですが、ニトロで使われているボンベ内の気体はそのような怖ろしげな物ではなく、笑気ガスとして知られた「亜酸化窒素」となっています。

 亜酸化窒素は1772年にイギリスのプリーストリーによって発見され、吸引すると軽い酩酊作用がある事からパーティーグッズとして使われていました。笑気ガスの名前が示すようにパーティーの途中で吸引すると笑いが止まらなくなる事から、パーティーを盛り上げてくれる物として使われていたのですが、酩酊して千鳥足となった人が家具に足をぶつけても大して痛がらなかった事が亜酸化窒素を麻酔として使用するという発想に繋がったともいわれます。

 亜酸化窒素が正式に麻酔として使用可能である事は1796年にイギリスの化学者、ハンフリー・デービーによって証明されています。その後、亜酸化窒素を用いた麻酔は笑気麻酔と呼ばれ、手術や抜歯の痛みを和らげるものとして使用されますが、鎮痛効果が大きい割には完全に麻酔する事ができないため、他の麻酔薬と併用する形で使われるようになっています。

 そんな麻酔薬が何故パワーアップに使われるのだろうと思えてくるのですが、亜酸化窒素は高温にさらされると窒素と酸素に分解し、その酸素はガソリンの燃焼を助けて出力の向上に繋がるとされます。

 また高圧でボンベに封入されていた亜酸化窒素が気化する際、周囲の熱を強力に奪うためにエンジンに贈られる空気の密度が高まり、燃焼効率を高める働きもあるといわれ、理論上、ニトロはエンジンのパワーを2.5倍に高める事が可能で、実際の車両でも1.5倍くらいには高められるといいます。

 ニトロは第二次世界大戦中、ドイツで高空を飛ぶ戦闘機の出力の低下を補い、エンジンを冷却するための装置として開発されています。戦闘機由来の技術で、瞬時に強力な加速力を得られるシステム。その中心となるのは笑気ガスと、どこかアンバランスなものを感じるニトロですが、かつてはパーティーを盛り上げたものが今では映画を盛り上げていると考えると、それなりに納得がいくものを感じてしまいます。笑気ガスの単価を考えると10秒ほどのフル加速で千数百円が掛かるとの事なので、やはり映画の中の物なのかもしれないとも思えてきます。


 

第2072回 過剰?不足?



 自他共に認めるパン好き、ご飯好き、その上麺好きという事もあり、日々摂取する栄養について考えると、かなり炭水化物の摂取量が多くなってしまっているように思えます。

 炭水化物は糖質とも呼ばれ、最近、「糖質ゼロ」と表記された商品が増えてきた事や、炭水化物の摂取量を低く抑える低炭水化物ダイエットの存在などを見ると、炭水化物の比率が非常に高い私の食生活はとても悪いもののように思えてきます。

 人類の歴史を振り返ってみると、狩猟による動物の捕獲や偶然発見した木の実や果実などが食料の中心となっていて、計画的、安定的に大量の穀物が手に入り穀物由来の炭水化物を心おきなく摂取できるのは極めて近代の事で、人類の体は炭水化物が中心となった食事に慣れていないという考え方にも納得させられるものがあります。

 人における三大栄養素といえばタンパク質、脂質、炭水化物ですが、炭水化物は主食との関連が深い栄養素で、主食を多めに摂り、カロリーが高めの主菜や副菜は少なめにする食事内容がヘルシーなようにいわれる事もあり、炭水化物が多い食事内容が悪いようには思えないようにも感じられます。

 現代人の食は肉や魚、しかも脂がのった霜降りの肉や運動量が乏しく、エサを獲る努力の要らない養殖の肥満気味の魚が多い事や、油分を含む食べ物が多い事からタンパク質や脂質が多く、炭水化物が少ないとされ、炭水化物が少ない食生活を続けている事が糖質(炭水化物)をコントロールするホルモンであるインシュリンへの反応が鈍くなり、それが糖尿病へと繋がるという意見もあります。

 逆に日常的に血糖値を上げやすい炭水化物が多く摂られている事が、食事ごとの血糖値の急な乱高下を引き起こし、結果的にインシュリンへの反応の低下や、急に多量のインシュリンを分泌する事を強要され続けた腎臓のランゲルハンス島の疲弊による糖尿病発症へと繋がるという意見もあり、炭水化物との関わりについて難しいものを感じてしまいます。

 1986年から20年以上に渡って追跡が行われた調査では、4年ごとにアンケートを実施し、3つに分けた炭水化物の摂り方の違うグループに関する研究が行われています。

 3つのグループとも炭水化物の摂取は控えるようにして、一つ目のグループは動物性、植物性、全てのタンパク質を多めに摂取する。二つ目のグループは植物性のタンパク質を少なくして、動物性のタンパク質を多く摂る。三つめのグループでは動物性のタンパク質を少なくして、植物性のタンパク質を多く摂取するという分け方を行いその後の経過を調査しています。

 追跡期間中、対象となった4万1212人の中から2761人の糖尿病患者が確認され、さまざまな要因について分析を行った結果、低炭水化物、高動物性タンパク質のグループで糖尿病発症のリスクが高まっている事が確認されています。

 主食を摂らないようにして炭水化物を減らす事で、血糖値を有効にコントロールできるようになったという情報もありますが、ダイエットの場合と同じように何かを極端に減らす食生活は長期的には何らかの弊害を生じてしまう。今回の調査結果はそれを裏付けているようにも思えます。食に求められるのはバランスではないのかと、改めて考えさせられてしまいます。


 
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にんにく卵黄本舗の健康コラムです。
食と健康をキーワードに最新の医療情報から科学技術、食文化や献立まで毎日更新で幅広くお届けします。是非ご覧ください。

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