第2259回 包丁を眺めながら(2)



 最近はステンレス製の物が主流となっていて、場合によってはセラミックスという事もあるせいか一時期ほどは見掛けなくなったのですが、以前はたまに日本刀と同じ作りという宣伝文句で包丁が売られている事がありました。

 日本刀の鋭利な切れ味と美しさは世界的に認知されている事から、同じように切れ味が求められる包丁にも日本刀のイメージを持たせる事で高級感と高性能をアピールする狙いと思われるのですが、基本的に日本刀と包丁は全くの別物である事からどこか胡散臭さを感じていました。

 日本刀は製法によって違いがあるのですが、刃の部分の「刃金(はがね)」、側面の「側金(がわかね)」、刃の反対側になる「棟金(むねがね)」、中心部に当たる「心金(しんがね)」によって構成され、切るための固さや地鉄としての美しさを演出する鋼と、折れないための柔らかい鉄が一緒になったハイブリッド構造を持っています。

 基本的に日本刀は、固く美しい鋼で柔らかい鉄を包み込んだ構造になるのですが、包丁は鋭利な刃を作るための鋼に柔らかい鉄を貼り付ける、もしくは鋼を鉄が包む構造になっていて、日本刀と包丁は鋼の刃を持ってはいますが逆の構造となっている事が判ります。

 大規模な鉄鉱石の産出やコークスによる高温の溶鉱炉といったものではなく、砂鉄を集めてたたらで製鉄していた日本では鉄は貴重であり、その鉄を精錬して得られる鋼は高価なものであった事から、刃を作るために欠かせない鋼の比率を低くして扱いやすい厚みと重量を出すには包丁の構造が必要だったと考える事ができます。

 今日、製鉄法の発達によって鋼も貴重ではなくなってしまいましたが、できる事なら日本刀と包丁は別物であってほしいと思えます。日本刀の美しさは刀匠によって打ち上げられただけでなく、研ぎ師によるいくつもの細かな工程による仕上げも関わっているとされ、入念な研ぎが施される背景には精神面だけでなく、軽い気持ちで使わないようにするという抑制的な意味もあったとする説もあります。

 気軽に使わないような工夫が施された日本刀、日常の道具である包丁、そこにも大きな違いがあるように思えてきます。


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第2258回 包丁を眺めながら(1)



 元フランス料理のシェフと話をしていて、包丁の語源は中国に刃物作りの名人がいて、彼が作った刃物はとても評判が良く、特に日常的に使う物となっていた調理用の刃物に彼の名前が代名詞のように使われるうちに、台所で使われる刃物は包丁と呼ばれるようになったと聞かされていました。

 実際はもう少し複雑で、調理場を表す「庖」とそこで働く人を意味する「丁」が元になっていて、調理場で働く料理人やスタッフの事を指す言葉がそこで使われる調理器具である包丁の語源となっています。

 「荘子」の「養生主篇」によると、魏の恵王の御前である料理人が一頭の牛を見事な包丁さばきであっという間に解体してしまい、その包丁さばきの見事さに恵王はいたく感銘を受け、後にその料理人が手にしていた調理刀が包丁と呼ばれるようになったとされるので、しきりに料理人や彼の包丁さばき、手にしていた包丁の切れ味などを褒めているうちに混同されていった様子が伺えます。

 「庖」の字が「包」に変わった事については、かつて「庖」が当用漢字ではない扱いであったため、同じ音を持つ「包」が当てられ、今日の馴染み深い包丁という名称になっています。

 今日、包丁というと標準的なスタイルとして広く定着している文化包丁が思い浮かんできます。さまざまな用途に対応できるようにデザインされている事もあり、ほとんどの料理に不自由なく使う事ができます。私自身、日常的に使っていて、大きな魚の頭を落とす際に頼りなさを感じる以外は不自由を感じる事はありません。

 非常に便利な文化包丁なのですが、プロの現場ではあまり使われている場面を見た事がありません。特にたくさんの種類の包丁を使い分けている和食の調理場では、包丁を持ち替える手間や研ぎなどのメンテナンス、保管場所などを考えると文化包丁一本で済ませるようにした方が省力化できて良いようにも思えます。

 一本で済ませられる文化包丁を使わずに、素材に応じて細かく使う包丁を変える理由について聞いたところ、食感を大切にするためという理由を聞かされた事があります。

 代表的な例として上げられるのが刺身で、刺身は切り分ける際に断面の細胞を傷付けない事が大切とされ、そのためには鋭利な刃物で一気に引き切る事が必要といわれます。文化包丁では刃の長さが足りず、途中で刃を往復させる必要が生じます。その往復が折り返し点にざら付きを生じさせ、舌触りを悪くさせるだけでなく破損した細胞から流出した細胞質が空気に触れて、微妙な生臭さを感じさせる事になります。

 出刃包丁で魚をさばいた後、刺身を切り分ける際に柳葉包丁に持ち変えるのはそのためで、刃渡りが長く、身幅が狭い柳葉包丁の根元から先端まで全てを使って切る事で刺身の美味しさが守られています。

 魚をおろすために使われる出刃包丁も用途に分けて大出刃、中出刃、小出刃と大きさの異なる物があり、野菜を切る薄刃包丁、刺身を切る柳葉包丁を中心に用途別に分けた和包丁は20種を超えるともいわれます。

 また、同じ包丁でも関東と関西では形状が若干異なる物があり、薄刃包丁や柳葉包丁などは関東では切っ先が尖っておらず、平坦になっている物が使われていました。真偽のほどは定かではありませんが、喧嘩早い江戸っ子が喧嘩に使わないようにという配慮から先端が平坦になったといわれ、興味深く思えてきます。

 以前、素材の切断面を見た際、一度に引き切ってしまわずにわざと数回往復させ、それでできるざら付きで素材表面に調味料が乗りやすいように工夫されている事に気付き、職人の技と細かな気配りを感じた事があります。そうした感性の細かさが道具としての包丁を発展させ、独自の文化を持つ物へと昇華させていったのだと改めてさまざまな包丁を眺めてしまいます。


 

第2257回 幸せと長寿



 料理が趣味という事もあり、家でゆっくりした気分で料理を作っていると幸せを感じます。人の幸せは大きく分けると、大切な人のために美味しい料理を用意する事に幸せを感じる幸せと、大好きな料理をお腹いっぱいに食べている時に感じる幸せの二種類に分ける事ができるとされます。

 前者は目的意識を持ち、その達成のために努力を重ねるという生きがいに幸せを感じる事から「追求型」の幸せと呼ばれ、後者は自らの欲求が満たされる事による幸せなので「快楽型」の幸せと飛ばれています。

 どちらも人にとって幸せな事であり、幸せを感じながら生きる事は大切なのですが、どちらを強く感じて生きるかによって後の人生に影響が及ぶ可能性がある事が判ってきています。

 以前の研究で「CTRA遺伝子群」と呼ばれるストレスに関連した遺伝子の集まりが発見されていて、炎症に関する働きや免疫力を下げてしまう働きに関連している事が突き止められていたのですが、今回、逆の状態で活性化する遺伝子群について研究を行ったところ、幸せのタイプによって活性化する遺伝子の内容が異なる事が確認されていました。

 被験者の血液を採取して人種や飲酒、喫煙などの影響を除外した状態で検討を行ったところ、追求型と快楽型のどちらの幸せを強く感じているかでCTRA遺伝子の発現の仕方に違いがあり、快楽型の幸せをより強く感じている人では、ストレス下におけるCTRA遺伝子の発現のし方に似通ったものが観察され、幸せを感じて生きるにしても追求型の幸せを感じている方が、より健康長寿に繋がる事が示唆されています。

 そのため目的意識を持ち、生きがいを追求する幸せを感じる事がより良い人生を送る秘訣となるのですが、食べる事よりも作る事の方が好きという私の幸せは単に嗜好の問題であり、作る事についても美味しいと褒められるという欲求を満たしているだけなので、どちらの幸せに分類すれば良いのかと、自分の未来を含めて頭を抱えてしまいます。


 

第2256回 広告の意味



 昔から乗り物が好きで、乗用タイプの農機具から飛行機まで、いろんな乗り物に興味があり、移動手段とする事が楽しく思えて自動車の運転も好きなのですが、その中にあって自動車レースの最高峰、F-1(フォーミュラーワン)で使用されているレースカーは特別な思いで眺めてしまいます。

 特定のチームや選手を応援したり、レースを観戦したりという事はないのですが、レースカーに使われている最新の技術には驚かされるものがあり、しかもそれがシーズン中にも進化を続けるという事には、誰がどのような経緯で開発しているのだろうと、その方が不思議に思えてきます。

 世界のトップクラスのエンジニアが叡智を結集し、莫大な開発費の下に研究開発が行われているのだろうと想像するのですが、そうしたF-1の運営が大丈夫なのかと心配になった事があります。

 かつてF-1の資金面にはタバコのメーカーが大きく関わっていました。レースカーの車体には大きくタバコの銘柄のロゴが描かれ、レースの派手な一面を演出してくれているようにも見えていました。

 それがヨーロッパ諸国でタバコ関連の宣伝が禁止されると、禁止された国でレースが開催される際は、名称を記載してはいなくても銘柄を想起させるようなイメージが貼られ、禁止されていない国では従来のロゴが使用されるという運用が行われていました。

 傍目にも宣伝効果が薄れている事が感じられ、このままではスポンサーとしてのタバコメーカーは撤退し、資金面の確保ができなくなるのではと心配になった事もあるのですが、最近見たところではIT関連の会社が代わりになっているらしく、相変わらずの派手なロゴに安心したりもしています。

 未成年の喫煙者増加を懸念して禁止されたタバコの広告ですが、実際に禁止ついては科学的な根拠があるとされ、ドイツの健康治療研究所によると10代でタバコの広告を目にする回数が10回増えるごとに、その後、喫煙者となって日常的な喫煙を行うようになるリスクは30%ほど上昇するとされています。

 ドイツの公立学校に通う10~15歳の喫煙習慣がない生徒1320人を2年半に渡って追跡調査し、その後の喫煙行動について検討を行った結果として得られたもので、衣類や自動車などの他の製品よりも広告を目にする回数は少なかったにも拘らず、特定の銘柄の広告はほとんどの生徒が一度は目にした事があると答え、影響力の大きさが伺えます。

 F-1に限らず多くのレースの資金面を支えていたタバコの広告ですが、子供たちへの影響の大きさを考えると姿を消してしまって良かったのかもと思えてきます。


第2255回 牛乳保護?



 子供の頃、お気に入りだった絵本に農夫と悪魔が契約し、悪魔が損をしてしまい、その報復を行うというものがありました。最初、畑にできる作物は均等に二分するという約束で、農夫は畑を提供する代わりに悪魔は農作業を行い、畑の上にできた物は全て悪魔の物とし、農夫は地下にできた全ての物という契約を交わします。

 ずる賢い農夫はカブを栽培して悪魔が葉しか手に入れられなかったのに対し、農夫は地下にできるカブ本体を手に入れ、悪魔は辛い農作業の割には価値のない物しか手に入れられなかった事になります。

 翌年、前年の事を非難する悪魔に対し、農夫はそれでは契約を前年とは逆にしようと提案して悪魔と同意し、今度は悪魔が地下にできた全ての物、農夫が地上にできる物という契約の下に麦を栽培します。

 契約が逆になった事で、昨年の農夫のように儲ける事ができると考えた悪魔は農作業に精を出し、収穫に時期には大豊作となっています。農夫は早々に麦を刈り取り、後に残された食べる事さえできない麦の根を眺めながら悪魔は怒りに身を震わせますが、どうしようもありません。

 見かねた別な悪魔が人に化けて農夫の下を訪れ、麦の加工法を伝授します。辛い農作業もせずに豊作を迎えた農夫は浮かれて近所の人たちを家に招き、悪魔が化けた人に教わった麦を使った飲み物を振舞います。

 しばらくすると人々は陽気に騒ぎだし、うるさいくらいに宴会は盛り上がります。しかし、ふとした事で口論が始まり、喧嘩に発展すると人々は激しく罵り合い、殴り合って散々な状態で宴会はお開きとなってしまいます。

 フラフラと歩きながら家を出た人々は農夫の家の前の溝にはまり、泥だらけになりながら口々にぶつぶつと文句を言い続けていました。その様子を見て「あれは何を調合したのだ?最初の賑やかさは鶏の血、次の争いは狼の血、最後の様子は豚の血を混ぜたのだろう?」と尋ねる悪魔にもう一人の悪魔は、「麦を発酵させて酒を造ったのだよ」と答えました。

 百薬の長とされながら体を蝕む物ともいわれ、健康、不健康という相反する両面を持つとされる酒に関する事に触れるたびにその話を思い出してしまいます。

 学生の頃、学食のテーブルに置かれた週替わりのメニューを記載した紙製の三角柱の一面に、「コンパが増える時期です。急性アルコール中毒にならないように、出掛ける際にサラダ油などを飲んで胃に膜を張っておきましょう」という一文が書かれていて、何というアドバイスだろうと思った事があります。

 サラダ油はかなり極端な意見だと思えるのですが、牛乳で膜を張ってアルコールの吸収を抑えるという話は広く聞かされます。実際に牛乳を飲んだ後に胃カメラで観察すると、胃の内側には粘膜の表面に牛乳のタンパク質による膜が形成されているとされます。

 酒に含まれるアルコールは胃や小腸から吸収される事から、事前に張った膜はアルコールの吸収を阻害し、悪酔いを防いでくれるという感じがするのですが、アルコールの分子は非常に小さく、牛乳の大きな乳タンパクの隙間を簡単にすり抜けてしまうために、牛乳による膜の形成と飲酒後の血中アルコール濃度の上昇は関係がない事が確認されています。

 アルコールの吸収を阻害はしてくれない牛乳ですが、酒を飲む前に飲んでおく事で含まれているタンパク質やさまざまな栄養素が肝機能を向上させてくれるらしく、アルコールの分解を早めてくれるとされます。

 肝機能の向上による血中アルコールの速やかな低下や、アルコールの分解後に発生し、頭痛の原因となるアセトアルデヒドの分解も良好に行われる事から吸収を阻害して二日酔いを防ぐと誤解された牛乳ですが、「飲む前に飲んでおく」価値は充分にあるのかもしれません。


 

第2254回 売り場の危機?



 少し前の事となるのですが、漁業に従事する人たちの会合にお邪魔させていただいた際、年配の漁師さんに聞かされた「魚食栄えて漁業廃る」という一言は、今も強い印象と共に記憶に残されています。グルメブーム以降、特定の高級魚にだけ消費が集中し、それ以外の魚を獲ってきても消費には繋がらず、漁業自体が成り立たなくなってきているという実情が、その簡潔な一言によって見事に表現されていました。

 また、その会合では漁業人口や漁船の数は減っているのに、漁獲高はそれほど変わっていない、その背景にあるのは漁業の高性能化で、精度の高い魚群探知機や高出力の漁船の登場が漁獲高を支えているとの事が話されていました。高性能の魚群探知機は高価で、漁師に経済的な負担を強い、高出力な漁船はそれだけ多くの燃料を消費する事から、経費負担を大きくして漁によって得られる利益を減らしているという窮状も話題となっていました。

 そのような事が頭の片隅にあるせいで、日本人の魚離れという話題には敏感に反応してしまうのですが、あの日から時は流れ、魚離れは進む一方である事には落胆するのみとなっています。

 和食は健康面において世界的に評価が高く、和食を語る際には決まって「魚食を中心とした」という言葉が使われていたように思います。しかし、世界一だった日本の魚の消費量はポルトガルや韓国に抜かれ、今や日本の魚介類の消費量は3位となってしまっています。

 世界で魚介類の消費量が多いトップ10の国のうち、消費量が減少している国は日本だけとされる事からも、日本人の魚離れを伺う事ができます。

 子供の頃、魚屋やスーパーの魚売り場に並ぶ魚介類を眺めるのが、とても楽しく思えていました。その頃は冷気で満たされたカウンターに魚介類が形良く並べられ、カウンターの手前の部分には溝があり、常に水が流れていて魚に触れた手を洗う事ができるようになっていました。それがいつしか魚介類は発泡スチロールのトレ―に乗せられ、ラップで包まれて、触れても臭いすら着かないようになっています。

 スーパーにおける魚売り場も採算性が悪い「お荷物コーナー」となっていると聞かされて久しく、生鮮食料品を扱う上で品揃えの一環としては必要とされているが、このままでは魚売り場そのものががなくなってしまうという声もあり、魚離れは加速していくようにも思えます。

 魚離れの理由の一つとして、魚を調理する事の難しさや手が掛かるという面倒さが上げられ、その対応策として調理が簡単な魚種の提案が先行してしまった事も、一定の魚種に消費が集中する事に繋がり、会合での一言を助長したようにも思えます。

 スーパーで魚を買おうと思ったら総菜売り場か缶詰、刺身が欲しい時はカット野菜の売り場でサラダの一環として売られているパックを購入という寂しい事にはならないでほしいと、いまだに売り場で魚を眺めるのが大好きな私としては思ってしまいます。


第2253回 麺の筋



 自分専用として作る事から、我家の味噌汁の具材はかなり多彩なものとなっています。基本的に旬の食材を使いながら具沢山にして、和洋中といった食材のジャンルにもこだわらずに作るようにしているのですが、そんな味噌汁の具材の中で「麩」は高いランクを誇る好きな具材となっています。

 麩は小麦粉に含まれるタンパク質を利用した食品で、大豆のタンパク質を固めた豆腐、牛乳のタンパク質を固めたチーズと同じ世界に属する食材という感じがします。豆腐とチーズは、よく似た物という言い方をされるので、そこに麩が加わっても良いのではとも思えてきます。

 豆腐やチーズと麩の間には、素材の中に含まれるタンパク質を固まらせた食品であっても製法には大きな違いがあり、豆腐には「にがり」、チーズには「レンネット」といったタンパク質の凝固剤が必要な事に対して、麩は自ら固まる力を持っています。

 小麦粉の用途を分類する際に、強力粉や中力粉、薄力粉といった区別を行います。この「力」で表現されているのが小麦に含まれるタンパク質の量で、麩の素となるタンパク質の一種、グルテンの存在を示しています。

 グルテンは強力な粘りを持ったタンパク質で、小麦の中に含まれるグリアジンとグルテニンが水分や塩分を介して出会う事で形成され、含有量が多い方が強い粘りを持つ「強力な小麦粉」と呼ばれるようになります。

 小麦粉に塩水を加えてしっかりと練り、充分に粘りが出たところで生地を水洗いします。小麦粉の塊を水で洗うという事で全てが流失してしまいそうなのですが、形成されたグルテンは水に流される事もなく、麩作りには不要なデンプンなどが流されてグルテンの塊が残ります。

 そうして得られたグルテンを蒸した物が「生麩(もち麩)」となり、生麩を油で揚げた物が「揚げ麩」、煮て成型した後に乾燥させた物が、私のお気に入りの味噌汁の具材、「乾燥麩」となります。グルテンに小麦粉やベーキングパウダー、もち米粉を練り込んで焼いた物は「焼き麩」となり、洗った際に流出したデンプンを集めて乾燥させた物は「正麩(しょうふ)」としてお菓子作りの材料とされています。

 麩の原料となる小麦粉は中国から伝えられたのですが、中国でも麩は「麺筋(めんきん)」と呼ばれて古くから造られていて、その存在は宋代に書かれた書物、「夢渓筆談」にも登場し、小麦粉を練って麺にした際のこしの強さを左右するグルテンを「麺の筋」と表現するところが如何にもと思えてきます。

 日本へ伝えられた麩は、タンパク質の塊という栄養面から精進料理や懐石料理に採用され、禅宗の広まりと共に普及し、今日のような馴染みのある食材となっています。

 子供の頃は乾燥麩ばかりだった事もあり、麩というと乾燥麩の事で味噌汁の具としか思えず、生麩は京都の食材で乾燥麩とは別な食べ物という思い込みがあったのですが、秋田県や北海道の一部、最近では滋賀県の一部でもラーメンの具材となっていると聞かされて驚ろかされた事があります。

 どうしても熊本の食文化が頭にあるせいでとんこつラーメンに乾燥麩を入れた図式が思い浮かんで違和感を覚えるのですが、ラーメンという食べ物の多様性を考えるとスープしだいではフワフワとした食感が良く合うのかもしれないと思えてきます。麩とラーメン、どちらも小麦粉から始まる食べ物なので、考えてみると兄弟のような物なのかもしれないと思えてきます。


 

第2252回 天使の代役



 その食品は涼しげな透明感に溢れた緑色と表面を飾る煌びやかなグラニュー糖に彩られてはいるのですが、好きな食べ物ではなく、興味を持つ対象とはなりえませんでした。そのため詳しく眺めるという事もなかったのですが、ある日、ふと手にしたパッケージの原材料欄に「フキ」と記載されている事を発見し、大きな驚きを持って記載事項を熟読した事があります。

 その食品の名は「アンゼリカ」。少々古いイメージを持った洋菓子やパンの素材として扱われています。パッケージには数センチの長さに切り揃えられて入れられ、販売されていますが、丸ごと使うという事は珍しく、多くの場合は刻んでアクセントとして使われる事から、パウンドケーキやクッキーなどに含まれる綺麗な緑色の粒として見掛ける事が多くなっています。

 アンゼリカはアンジェリカとも呼ばれ、本来はその名の通りアンゼリカ(セイヨウトウキ)で作られていました。薬草として使われる事もあるセイヨウトウキは全草的に甘味があり、ほんのりとした苦味と特有の芳香を持っています。

 内部が空洞になったセイヨウトウキの茎を茹でた後、表面にある固い筋を除いて砂糖のシロップで煮詰め、ある程度乾燥させたところでグラニュー糖をかけてさらに乾燥させ、仕上げられていて、綺麗な緑色と特有の風味がパンやケーキ、クッキーなどの良いアクセントとなっていました。

 セイヨウトウキは北欧や東欧、シベリアやグリーンランドといったヨーロッパの広い地域で山地などを中心に自生していて、寒さに強い事からスカンジナビア半島では貴重な野菜として利用されている半面、日本ではほとんど栽培されていない事から、似たような物はないかという事で中空の茎を持ち、食感と見た目が似ていたフキが利用されるようになり、日本のアンゼリカはフキが主流となっています。

 セイヨウトウキがフキに代わった事で特有の芳香はなくなってしまったのですが、中空構造の見た目とほんのりとした苦味、食感は再現できているように思えます。

 春の山菜とされながら秋にも自生しているのを発見して、刈り取ってみるとその茎が竹のように固くなっている事を確認した身としては、そんなフキとアンゼリカが同じものとは思えないのですが、アンゼリカの語源はラテン語の「天使」。天使の代役ならフキも喜んでいるのかもしれないと思えてきます。


第2251回 サラダ事始め



 物事のでき具合を見る事を「塩梅(あんばい)を見る」と表現する事があります。塩はそのまま塩味の事を指し、梅は梅の実から得られる「梅酢」、酸味の事を指していて、塩味と酸味の加減で料理の美味しさが左右される事や、塩と酢が古くから親しまれてきた調味料であった事を伺う事ができます。

 梅酢は酸味を持った梅の実を、塩漬けにする事で得られる酸味と香味を持った調味料です。梅に限らず酸味を持った果実は多く、そうした果実から酸味のある果汁を得る事や、貯蔵しておいた穀物の自然発酵によって酢が得られ、それを調味料として利用する事は容易に考えられる事から、塩や酢は非常に古くから調味料として利用されていたと考えられます。

 塩と酢、場合によっては香味を持ったハーブなどで作る事ができる物というと、すぐにドレッシングが浮かんできます。有史以前から使われていた塩と酢、その二つを混ぜ合わせてできるドレッシングと考える事ができるのですが、ドレッシングの成立には調味対象となるサラダの成立が欠かせないようにも思えます。

 サラダの成立は意図的に生野菜をアレンジしたというより、狩猟民族が狩猟によって得られる獲物を食料としているうちに不足してくるビタミンやミネラル類を確保しようとする生理的欲求から生じたと考えられています。

 その頃のサラダは健康維持のために生で食べても問題がなく、必要となる栄養素を含んだ植物を今日のサプリメントのような感覚で食べていたのではと思えてきます。その意味ではサラダというより薬草といった感覚が近いように思えます。

 サラダがサラダらしく食べられるには、生理的欲求や日常的な経験から健康の維持を目的に食べられるというより、食べたいと思うような美味しい野菜の登場が必要なように思え、そうなると食料の調達が狩猟を中心としたものから作物を栽培するようになる農耕の時代を待たなければならないといえます。

 実際に今日、サラダのルーツと考えられているのは農耕が普及し、文化的にも成熟してきた古代ギリシャとされており、摘み取った新鮮なハーブに塩をふりかけて食べていた物が原点とされ、塩を指す言葉「サル」がサラダの語源となったとされます。

 そうして始まったサラダをさらに発展させたのが古代ローマとされ、古代ギリシャの塩を使った単純な味付けから野菜にハーブや酢、オリーブオイルを加えた多種多様なレシピが登場し、豪華な料理の一品として成立させています。

 西洋では長い歴史を持つサラダですが日本の食文化には登場せず、本格的なサラダの登場は明治維新以降の西洋の食習慣の導入を待つ事となります。ハイカラな西洋の食べ物として導入されたサラダですが、その後も日本人には野菜を生で食べるという事が定着せず、庶民の間に普及するのは第二次世界大戦以降の食の欧米化が進むまでというずいぶんと後の事となっています。

 山と海、四季という変化に富んだ環境から多彩な食材を得てきた日本人には、ビタミンやミネラルの摂取を念頭に置いた野菜を生で食べる必要性がなかった事や、漬物やおひたし、酢の物といった食習慣がサラダの代わりをしてくれていたという事もできます。

 日本人が生野菜に馴染んでいくきっかけとなったのは、洋食に添えられるキャベツの千切りであったとされます。いわれてみるとお洒落な飾り付けの野菜に洗練されたドレッシングというより、生野菜の事初めはしょうゆをかけたキャベツの千切りであったように思えてきます。


第2250回 運命の赤い出会い



 はじめての出会いはどのようなものであったのかは正確には思い出せないのですが、ぼんやりとした記憶ではテレビで紹介されたレシピを再現してみた、または母親が買ってきてくれた冷凍食品を試してみた、私とピザとの出会いはそのいずれかではないかと思っています。

 その後、専門店が増えていった事や外食をする機会自体も増えて、接する頻度も増していって私の中では一つのメニューとして定着していったのですが、トマトソースを使わないピザの存在を知ったり、トマトソースを使うピザはピザの中の一つのジャンルに過ぎないと知った時は、それなりの驚きを覚えた事が思い出されます。

 考えてみるとピザの始まりは古代ローマにまで遡るとされ、皿の代わりに使う平らなパンを焼いていた事が起源とされ、ピザの呼び名が初めて文献に登場するのが997年の事とされるので、長い時間、ピザはトマトを知らなかったという事になります。

 ヨーロッパに新大陸からトマトが持ち帰られるのが16世紀の事とされ、その後、しばらくはトマトは毒を持つ観賞用の植物とされていた事から、ピザとトマトの出会いはずいぶん後の事となってしまいます。

 18世紀、当時スペイン領だったナポリの人々の間に、パンに乗せる具材としてトマトとチーズが人気となり、19世紀の後半にイタリア王妃のマルゲリータがイタリアの国旗を模してトマトにチーズ、バジルをあしらったピザが気に入り、ピザ・マルゲリータとして広まった事が今日、最も馴染み深いトマトソースを使ったピザの登場となっています。

 小麦を粉に挽いて生地を作り、焼いて食べるという調理法は非常に古く、新石器時代にはすでに始められていたとされます。イタリアでもサルディニア島などで発酵させたパンを焼いていたという形跡が3000年以上も前から見られ、古代ギリシャでは「ピラコウス」という名のハーブやタマネギ、にんにくを使って風味付けしたパンが食べられています。

 古代のアケメヌス朝ペルシャの王、ダレイオス1世は表面をチーズで覆ったパンを焼かせていた事や、古代ローマの詩人、ヴェルギリウスの叙事詩「アエネイス」の中には平たい食器代わりのパンを食べる描写が登場し、ハーブや香味野菜による風味付け、チーズのトッピング、平たい食材を乗せるパンと、どの時点でピザと呼んで良いものかと迷ってしまうような状態が古くから見られていた事になります。

 そうした長い歴史から見ると、極めて近代の事と思えるピザとトマトの出会いですが、新大陸からスペイン人の手によってトマトが持ち帰られ、後にピザの本場の一つとなるナポリの街が当時はスペイン領であった事など、どこか運命的なものを感じてしまいます。

 初めて手作りしたあの日からたくさんの月日が流れましたが、ピザの長い歴史を思うと一瞬の事のようにも思えてきます。


 
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にんにく卵黄本舗の健康コラムです。
食と健康をキーワードに最新の医療情報から科学技術、食文化や献立まで毎日更新で幅広くお届けします。是非ご覧ください。

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