第2339回 年の瀬に



 一年の最期に行う行事といえば、「年越し蕎麦」ではないかと思います。新年を迎える準備が完了してからいただく事で、無事に一年を完了し、新たな年を迎える機運が高まってくるように思えます。子供の頃は母親がおせち料理の準備が一段落してから作りはじめるので、遅い時間に食べるという事に大いに抵抗を感じていたのですが、自分で用意するようになってからは、もっと遅い時間に食べているように思えます。

 年越し蕎麦が一般化するのは江戸時代の中期頃とされ、奉公人が一年の仕事を終え、手が空いた者から順次食べていたものが一般にも広まったとされ、商家では毎月の終わりに「みそか蕎麦」と称して蕎麦を食べる習慣があった事が原点となったといわれます。

 また、蕎麦は細長い事から「細く長く」という健康長寿を願う事や、縁が長く続くようにという願いなど形状に由来するという説や、蕎麦を小麦粉などのつなぎを使わずに打った場合、うどんやそうめんなどよりも切れやすい事から、悪い事を絶ち切って新年を迎えるという蕎麦の性質に由来する話も聞かされた事があります。

 金細工師が作業中に散らばった金粉を、作業を終えた後、蕎麦粉を練った塊りで回収していた事から、蕎麦には金をかき集めるという縁起の良い意味があるという事も年越し蕎麦の由来として聞きますが、その場合、蕎麦粉をお湯で練った「蕎麦がき」の方がより縁起が良い物に近い感じがしてしまいます。

 鎌倉時代に承天寺で行われた「世直し蕎麦」に由来するという説もあり、鎌倉、室町、安土桃山と細々と伝えられたものが江戸庶民の蕎麦好きと出会ったり、江戸時代に入って細長い麺にするという蕎麦の食べ方が採り入れられて一気に広まったとも考える事ができます。

 蕎麦は頑丈な植物で、痩せた土地でも力強く育つ事や、強い風雨によって倒されても次の晴天には陽射しを浴びて再び立ち上がる事から、健康を回復する縁起物と考えられたともいわれ、何かにつけ縁起が良いもののように思えてきます。

 年越し蕎麦の薬味に添えられるネギについても、神社の神主である神職の「禰宜」と同じ発音である事や、心を和らげる「労ぐ(ねぐ)」に繋がる言葉として縁起物とされます。

 今年の暮れはいろいろと縁起の良い由来を考えながら、心を和らげるためにネギを多めに入れて、ゆったりとした気持ちで年越し蕎麦を食べられたらと思っています。そのためには、その前に済ませておく事も少なくはないので、そろそろペースを上げなければと考えています。


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第2338回 提督の食卓(2)



 家庭的な料理の代表格のようにいわれながら、発祥の地は軍事施設という肉じゃがの誕生に深く関わった人物、それは海外にも「アドミラル・トーゴー」として広く知られた海軍の軍人、東郷平八郎であるといわれます。

 東郷平八郎は日露戦争において、当時、世界屈指の戦力を誇ったロシア帝国海軍バルチック艦隊を一方的に破った勝利の立役者として世界の注目を集めた人物であり、家庭料理の肉じゃがとはイメージが結び付かない感じがするのですが、経歴を見ると納得させられるものがあります。

 江戸時代の末期、薩摩藩に生まれた平八郎は明治の世を迎えると、イギリスのポーツマスへ留学しています。当初はダートマスにある王立海軍兵学校への留学を希望していたのですがイギリス側の事情で受け入れられず、商船学校のウースター協会で学ぶ事になり、国際法について学んで精通する事となります。

 日清戦争の際、防護巡洋艦「浪速」の艦長となった平八郎は、停船の警告に応じないイギリスの商船を撃沈するという事件を起こすのですが、国際法を正確に理解していた事から非は商船側にある事を証明でき、この時の正確な判断が後の連合艦隊司令長官への抜擢に繋がったとされます。

 そんな東郷平八郎と肉じゃがの関わりは、明治3年(1870年)から8年間を過ごしたポーツマスに遡るとされ、現地で食べてお気に入りとなっていたビーフシチューの味が忘れられず、艦上食として作らせようとしたところ、材料となるワインもドミグラスソースもない上に、料理長自身が平八郎が説明する料理を理解する事ができず、何とか説明に近い物を作ろうとしてでき上がったのが肉じゃがであったとされます。

 平八郎は留学に関して最初、大久保利通の下へ留学させてくれるように頼みに行ったのですが良い返事をもらえず、後に「東郷君はおしゃべりだから」と留学に前向きではない態度を採った理由を大久保利通が漏らしていた事を伝え聞いています。

 それ以降、口を慎むようになり、無口な事から「沈黙の提督」とまであだ名されるようになった人物の説明が曲解されて肉じゃがが生まれたという説は、如何にも愉快に思えてくるのですが、平八郎がポーツマスへ旅立った翌年の明治4年(1871年)に配布された東京の洋食店、「南海亭」のチラシには「シチウ(牛・鶏うまに)」という記載が見られ、それ以前には日本にシチューが伝えられて普及していた事が判ります。

 平八郎が留学から戻り、艦上食の内容を指示できるように出世するまでの時間的経過を考えると、料理長がシチューを知らないとは考えにくく、当時はすでにすき焼きのような牛肉を甘辛く煮る料理も存在していた事から、カレーの材料ですき焼きのような物を作ってみたというのが肉じゃがの発祥のようにも思えます。それを作ってみるよう指示したのが平八郎であった可能性は充分に残されますが...。


第2337回 提督の食卓(1)



 古来より「恋は胃袋から」といわれ、料理上手な女性は家庭的な存在として男性に好まれ、恋愛を成就させやすいとされてきました。そのためか家庭的なイメージのあるメニューを得意料理としている女性も多く、そうした女性たちの間で家庭的な料理として「肉じゃが」を得意としているという意見を多く聞かされます。

 肉じゃがはいわずと知れた煮込み料理で、肉と根菜類、糸こんにゃくなどを油で炒めた後、醤油や砂糖、みりんなどで甘辛く煮付けられています。使われる根菜類もジャガイモにタマネギ、ニンジンと糸こんにゃくだけを除けば国民食のカレーの具材に酷似した部分があり、カレーと同じく各家庭によって味付けや具材の中身、作り方などに微妙な違いが存在しています。

 家庭的な料理、おふくろの味の代表格のように語られる肉じゃがですが、肉じゃがという名称が定着するのは1970年代中盤以降の事で、レシピの開発当初からの呼び名ではなく、生まれた場所も家庭とはほど遠い場所となっています。

 肉じゃが発祥の地は京都の舞鶴市、広島県の呉市が名乗りを上げており、両都市に共通するのは旧大日本帝国軍の軍事施設であり、肉じゃがは美味しく栄養をバランスよく補給できるおかずとして軍によって開発されています。

 今や日本の国民食となっている日本風のカレーも軍によって開発され、その美味しさが広く知られて普及する一因となっていますが、肉じゃがはそのカレーと素材を同じくしている事から、同じ物資を使いながら全く別のメニューを提供する事ができるという優れた一面を持っています。

 海軍によって開発されたという肉じゃがのレシピは、すぐに陸軍にも採り入れられ、公的な教則本にも記載されて普及が進められています。海軍の経理学校で昭和13年(1938年)に刊行された「海軍厨業管理教科書」には詳細な作り方が書かれており、鍋に油を入れてすぐに熱源となる蒸気を窯に送って加熱するようにという指示の「送気」の文字が書かれており、軍艦の中で調理される料理らしさを感じる事ができます。

 陸軍でも兵士のための食事に関する事が記された「軍隊調理法」に肉じゃがについて書かれており、「肉と馬鈴薯の甘煮」という名称が使われている事から、肉じゃがという名称が後に生じた事を伺う事ができます。

 肉じゃがの発祥については、舞鶴市には海軍の舞鶴鎮守府があり、その舞鶴鎮守府に所属する艦艇で炊事員をしていた人物から最古の肉じゃがに関するレシピが舞鶴総監部に寄贈されたためといわれています。

 また、呉市が発祥の地とする事については、肉じゃがの誕生にはある人物が深く関わっており、その人物が舞鶴鎮守府に赴任する10年前に呉の鎮守府に参謀長として赴任しており、その地において肉じゃがが誕生したと考えられるためとされています。

 現在、二つの街では町おこしの一環としてご当地グルメの「まいづる肉じゃが」「くれ肉じゃが」のアピールが行われており、市民の有志による「まいづる肉じゃがまつり実行委員会」「くれ肉じゃがも会」も結成されています。

 同じように見えて両者には微妙な違いがあり、まいづる肉じゃがでは材料のジャガイモに「男爵いも」が使われ、くれ肉じゃがには「メークイン」が使われています。二つのジャガイモの特徴を考えると、煮崩れたジャガイモを好むのなら舞鶴の肉じゃが、形がしっかりしたジャガイモを好むのなら呉の肉じゃがと思えてきます。

 各家庭によってさまざまなバリエーションが存在する肉じゃがだけに、発祥の地を正確に把握するのも難しい事なのかもしれません。舞鶴風か呉風か、ジャガイモによって決めるのも面白い事かと思っています。


第2336回 主食不要?



 日本の主食というと米で、欧米だとパンと考えると小麦、南米だとトウモロコシと思えます。世界中の多くの地域で穀物が主食とされていて、穀物以外ではイモ類や豆類、中にはバナナの一種であるプランタンなども主食とされていて、ほとんどが植物由来の物である事が判ります。

 植物以外の物を主食とする食文化を持つのはイヌイットが唯一の存在とされ、彼らは肉や魚といった動物を主なエネルギー源である主食としています。

 地球上には食用とする事ができる植物は、50000種以上も存在するとされます。その中で特に栄養源として重要なものは数百種に絞り込まれるとされ、その数百種の中の15種類の作物が世界の90%のエネルギー源として食べられています。その15種の中でも米、トウモロコシ、小麦は主要な3大穀物として世界の3分の2の人口にあたる40億人の主食となっています。

 主食となる食べ物に求められる条件は、栄養面、特に直接エネルギー源となり得る栄養素を豊富に含んでいる事が求められ、植物が光合成によって作り出し、貯蔵しているデンプンは体内でブドウ糖に変化する事で直接的なエネルギー源となる事から、主食とされる食べ物には共通して含まれる栄養素となっています。

 デンプンを多く含む植物由来の食べ物を主食とする事が可能になったのは、それまでの狩猟生活を止めて農耕生活を始めた賜物という事ができ、それまでは群生する植物が一斉に実を付ける時期に出くわさなければまとまった量を入手できなかったものが、農耕によって安定的、計画的に入手できるようになり、主食という概念が生まれたという事もできます。

 農耕が始められたのが約15000年前とされる事から、人類と主食との付き合いは700万年に及ぶ人類の歴史のごく一部でしかない事が判ります。そのため、人類は大量のデンプンを日々摂り続ける事に慣れていない、進化の過程において大量のデンプンを摂取するという生活を経験しておらず、不慣れな栄養摂取が続いている事が今日のさまざまな病気に繋がっているという意見もあり、主食不要論も唱えられています。

 野山を駆け巡り、捕獲した獲物の肉や偶然発見した草や木の実を食べていた遠い祖先の生活を考えると、毎日、決まった時間に穀物の主食を中心としたご飯をお腹いっぱいに食べるという事がとても不自然に思えてきます。比較的主食の比率が高い一汁三菜を基本とした和食が世界的にヘルシーといわれる中、本当に健康的な食事についてもう一度考えてみなければと思っています。


第2335回 鯰食



 普段、あまりテレビは見ないのですが、たまに見るとしたら料理番組か時代劇が
多くなっています。スポーツやアウトドアレジャーといった事にはあまり興味がな
いので、関連する番組を見るという事はないのですが、そんな私が毎回欠かさず見
ている釣り番組があります。

 その番組は川や湖に潜む魚に人が襲われたという報告を元に、現地で怪物魚を吊
り上げて捕獲するというもので、水中に棲む巨大生物が怖くてたまらない私として
は、毎回、怖いもの見たさで怪物魚の登場を待ちわびてしまいます。

 番組の主人公は生物学者で、環境や生態系を元に怪物魚の正体を推理しながら釣
りが進められていくのですが、大物が掛かったと期待させながら本命とは違って
がっかりさせてくれる存在としてヨーロッパオオナマズがよく登場します。

 オオナマズというと日本ではビワコオオナマズが有名で、大きい物では体長が1
mを超える物もいるとされ、琵琶湖の名に恥じない大きな淡水魚だと思えます。

 しかし、ヨーロッパオオナマズはそんなビワコオオナマズよりも遥かに大きく、
3m近くになる物もいて、伝説では5mにまで成長した巨大な文字通り怪物魚がい
たとも語り伝えられています。

 巨大に成長したヨーロッパオオナマズは大味過ぎるのか、釣り上げた一匹のオオ
ナマズで数百人分の料理を作ったという話は聞いた事かないのですが、小さなヨー
ロッパオオナマズは食材として流通していて、人気のある食材となっているといわ
れます。

 特にナマズを好んで食べるのはアメリカの南部の人たちといわれ、ウナギと同じ
く精が付く食材とされる事から、「ナマズを食べて明日も頑張ろう」といった内容
の歌詞が現地で古くから歌われてきたジャズの中に登場します。

 日本でもナマズは食べられていて、いつも見る時代劇の主人公の大好物として登
場し、年甲斐もなくナマズを食べ過ぎた主人公が寝込んで動けなくなるという場面
も登場します。古くから身近で馴染みのある食材となっていた事は想像できるので
すが、今日、ナマズはウナギほどには一般的な食材となっていません。

 江戸時代、江戸の街の周辺の湿地帯ではウナギがよく獲れ、ウナギの食文化がい
ち早く根付いてしまった事に合わせ、地震と関連付けた迷信が広まってしまった事
が、地震国の日本ではナマズを食べる事を避けさせたようにも思えます。

 実際、現在も活動を続ける活火山の阿蘇にある阿蘇神社では、ナマズは神格化さ
れて食べる事も捕獲する事もタブーとされています。地震を起こすとされるオオナ
マズの古い絵も各地に残されていますが、そんな絵を描き残した人たちにヨーロッ
パオオナマズを見せると、どの様な反応が返ってくるのか、一度見てみたいと思っ
てしまいます。


 

第2334回 ショートの謎(2)



 ショートケーキというと小麦色のスポンジと真っ白い生クリーム、真っ赤なイチゴが重ねられた「苺のショートケーキ」がすぐに思い浮かんできます。そうした柔らかいスポンジを使ったショートケーキは見るからに洋菓子そのものではありますが、日本で独自の発展を遂げた日本生まれの洋菓子という事ができます。

 大正時代、日本にショートケーキを紹介し、広めたのは老舗であり大手の洋菓子店でもある不二家であるとされます。しかし、ショートケーキの発案者については伝えられておらず、有力視されているのは門倉国輝がフランス菓子をアレンジしたという説や、不二家においてアメリカのショートケーキをアレンジしたと見られています。

 日本風のショートケーキの誕生については諸説が存在する中、1922年当時、フランスやアメリカ由来の物は高級イメージがあり、ビスケットを使った素朴なショートケーキは高級品とは見られなかった事や、日本人は柔らかい物を好む傾向があり、しっとりと柔らかく焼かれたスポンジが高級品に見られた事からビスケットがスポンジに取って代わったという自然発生的なものであったともいわれます。

 日本の文献にショートケーキが最初に登場するのは明治22年(1889年)に出版された岡本純の「和洋菓子製法独案内」が最初とされ、「デルビー・ショルトケーキ」として作り方が記載されています。レシピを元に再現すると日本初のショーtケーキはビスケットを使った欧米風の物である事が判り、この時点では日本風のショートケーキは誕生していない事が確認できます。

 次にショートケーキが登場するのは明治38年(1905年)の高野新太郎による「ストロベリーショートケーキ」で、卵をよく攪拌するように指導されている事から、柔らかい食感が求められていた事を伺う事ができ、すでに明治時代の後半にはスポンジとまではいかなくてもパウンドケーキのような柔らかい生地のショートケーキが存在していた事になります。

 その後、明治40年(1907年)の亀井まき子による「和洋菓子製法」には、「ストロベリーショートケーキ」としてスポンジケーキを焼き、潰した苺を挟むと作り方を紹介し、ショートケーキとスポンジが結び付くのですが、ビスケットの頃に見られた生クリームは姿を消しています。

 ショートケーキにおける生クリーム不在の時代はその後も続き、文献上、ショートケーキに生クリームが使われている事を確認できるのは昭和2年(1928年)の朝日新聞5月14日号に紹介された「いちごショートケーキ」で、スポンジの上に苺と生クリームを置いてスポンジを重ねるというほぼ今日のスタイルが確立されていたと見る事ができます。

 不二家は明治43年(1910年)に創業され、大正11年(1922年)に「フランス風ショートケーキ」を発売して大人気となっています。発売当初はバタークリームが使われていたのですが、大正13年(1924年)にアメリカから遠心分離法を使った生クリーム製造機が輸入されると、本格的な生クリームが国内生産されるようになっています。

 柔らかい物を好み高級感を感じるという傾向や欧米への憧れ、国内生産が始められて本格的な素材が身近にあるようになったという時代背景が複雑に絡み、日本のショートケーキという独自の文化が誕生したように思えます。そんな事を考えながらショーケースの中を眺めていると、少しショートケーキが違って見えてきてしまいます。


第2333回 ショートの謎(1)



 クリスマスが近付いてくると、一年を通して最もケーキに注目が集まる時期がやってきたと実感する事ができます。以前、住んでいたマンションの近くには有名な洋菓子店の工場があり、意外なほど早い時期から遅い時間までケーキが焼かれて準備が進められいて、そんな時期が来たのだと思いながら、それにしては早過ぎると考えていた事が思い出されます。

 最近では種類が異なる小さなケーキが寄り集まって、一つの大きなホールケーキのような姿となっていて、好みの部分を選んで食べられるという楽しげな物も見られるのですが、クリスマスというとパーティーや家族で囲むという事もあり、ホールのケーキが圧倒的に多いように思えます。

 我家も例に漏れずケーキをホールで購入するのはクリスマスくらいの事となっていて、普段は小さなショートケーキを購入する事が多くなっています。

 ショートケーキはそれ用に作られた物もあるのですが、ホールケーキから切り出されて小分けされた物もあり、何故「カットケーキ」ではなく「ショートケーキ」なのだろうと思えてきます。

 カクテルを分類する際、小さな三角形のカクテルグラスに入った物を「ショートドリンク」、タンブラーなどのコップに入れられて氷が入った物を「ロングドリンク」と呼びます。飲んでしまうまでの想定時間に由来した呼び名らしく、氷が入らず容量も少ないカクテルグラス入りの物は文字通りショートな時間で飲みほしてしまわれます。

 ショートケーキもホールケーキと比べると短い時間で食べてしまうように思えて、それ故にショートケーキなのかとも思えるのですが、ホールケーキも数人での消費が考えられるので、食べてしまうまでの時間に大きな違いはないように思えてきます。

 そんな事を考えながら見ていると、個人用の小さなケーキをショートケーキと呼んでいるのは日本だけで、欧米では同じようなケーキは「レイヤーケーキ」もしくは「レイヤードケーキ」と呼ばれています。

 ショートケーキと呼ばれるお菓子も存在するのですが、日本のショートケーキとは全く異なり、ビスケットなどにクリームや果物を飾り付けた物となっています。このビスケットを使ったショートケーキを元に日本人好みの柔らかいスポンジを使って作られた事が、後に一人用のケーキをショートケーキと呼ばれる由来となったともいわれます。

 また、「ショート」には「サクサクした」「もろい」という意味があり、しっとりとしたスポンジに対しサクサクの食感を持つビスケットを使ったケーキを「サクサクのケーキ」の意味からショートケーキと呼んで日本にも伝えられ、ビスケットがスポンジに変わりながら名前だけが残されたという意見もあります。

 ショートを「短い」と解釈する意見も根強く、大きなホールケーキに比べて小さなショートケーキは短時間で作る事ができるためとする説や、生クリームや果物など日持ちがしなくて短時間で傷んでしまうためともいわれます。

 原材料に由来するという意見もあり、スポンジを焼く際に植物性の油脂であるショートニングが使われる事から、「ショートニングを使っているケーキ」という意味からショートケーキとなったとする説も存在します。

 どの意見ももっともらしく思えてくるのですが、日本における洋菓子の歴史を見ていると、最初にビスケットを使ったショートケーキが入ってきている事から、サクサクケーキのビスケット部分がスポンジに変わり、名前だけが残ったというのが正しいように思えてきます。


第2332回 過剰による不足


 高齢者のQOL(生活の質)を低下させる要因の一つに、就寝時の頻尿があるとされ、一晩に一回から数回、排尿のために目を覚ましてしまう事で充分な睡眠が確保できず、日中の眠気に悩まされるといいます。睡眠が途中で途切れる睡眠中断も不眠症の一部とされる事から、当事者には大変な問題という事もできます。

 高齢者が頻尿に悩まされる原因は膀胱の柔軟性が低下して、中に溜められる容積が減ってしまう事や、眠りが浅く、尿意で目が覚めてしまう、尿を作る時間が就寝後にずれてしまっているなどが重なっているとされ、途中で目が覚めてしまう事を想定して睡眠時間を長めに設定し、早い時間から床についてしまう事も原因の一つとされます。

 そうした夜間の頻尿に悩まされる高齢者の中には、日頃から水分量が過剰に摂取されており、水分の摂取量を適切にする事で頻尿が改善されるケースも多いとされます。

 夜間頻尿に悩まされる高齢者に排尿の時間と量を記録してもらうようにすると、通常、1.5リットル程度の量が明らかに多く、中には3リットルや4リットルといった例もあり、水分摂取が過剰になっている事が伺え、水分の摂取量を適切にする事で夜間頻尿は大幅に改善されるといいます。

 脳梗塞や心筋梗塞の予防、渇きに対する感覚の衰えなど、高齢者は水分をしっかり摂るようにという意識付けが行われているのですが、それが行き過ぎると思わぬ弊害を生んでしまっている例ともいえます。

 人には一日に体重の2%程度の水分が必要とされます。夜間頻尿に悩まされたら、年齢的な事を疑う前に水分の摂取量について見直してみるのも大切な事かもしれません。


第2331回 肥満の新弊害?



 父親は片頭痛持ちで、時折発作を起こしていました。普段は痛みには強い父親が辛そうに頭を抱える姿に、かなりの痛みなのだろうと想像しながら、どうする事もできずにいました。片頭痛は遺伝する事もあるとされるのですが、今のところ全く無縁なので、常日頃から健康である事に感謝しなくてはと思えます。

 多くの場合、片頭痛の原因は不明とされますが、幾つかの特徴的な傾向があり、思春期の男女だと発生の比率に違いはないのですが、成人以降になると患者の75%は女性とされます。

 片頭痛が発生する直前には感覚的な異常による予兆を感じる人も多いとされ、痛みの発生には脈動が見られる事から神経や血管が関わっているようにも思えます。そんな片頭痛の原因の一つとして、肥満が関わっているかもしれないという興味深い研究結果がレポートされています。

 米国、ジョンズホプキンス医科大学のピーターリン博士による18歳以上の片頭痛持ちの男女を対象とした研究において、2001年2月から2003年4月にかけて行った聞き取り調査のうち3862人のデータを抜き出して検討したところ、年齢や性別、人種、喫煙の習慣の有無などの影響を除外した場合、肥満傾向にある方が片頭痛を起こすリスクが1.8倍ほど高いという結論が得られています。

 肥満の傾向についてはBMI(肥満指数)が用いられ、BMIが18.5から25までの普通体重の人に比べ、30以上の肥満の人が片頭痛を起こすリスクは1.81倍に上り、18.5未満の低体重の人や肥満の一歩手前の過体重(25以上、30未満)の人には発生リスクの違いは見られず、BMIが上がるに連れて発生リスクも上昇するという傾向も見られています。

 頭痛にも同じ傾向が見られる事もいわれているので、肥満は万病の元といわれる万病の幅が一つ広がった様に思えます。適切な体重管理が健康には不可欠なのかもしれません。


 

第2330回 工夫?



 最近では新たな話題が出てくる頻度も下がり、出てきたとしてもあまり大きな騒ぎにもならなくなったメニューの誤表記問題。取り締まる機関の整備などが進められている事から、そろそろ収束してしまうのかとも思えます。

 一時は外食産業全体の信頼を揺るがしかねない問題ともいわれ、個々の食材ばかりでなく米に飛び火したら大変な事になるという噂も聞かれていました。日本人の主食である米は、少しでもコストを抑えるために安価な古米が使われていたり、名産地の名前を冠していながら、実際は違う場所で生産された物が多数使われているともいわれていました。

 そうした裏事情を伝える記事の中で古くなった米や食味が劣る米を美味しくしてくれる魔法のアイテムとして、油と白い粉が登場していて、思わず興味深く内容を読んでしまいました。

 油とは米を炊く際に入れる「炊飯油」と呼ばれるもので、炊き上がった米の表面に薄い油膜を張る事で米のくっつきを抑えて作業性を高めてくれ、ご飯の歩留まりを良くしてくれるといいます。

 業務用の釜の場合、家庭用のような質の高いフッ素樹脂加工が施してある訳でもなく、炊き上がったご飯を釜から運搬用のコンテナへ移し、それを小分けして盛り付け作業などを行っていると、その都度、容器やしゃもじなどにご飯がくっついてしまいロスが生まれます。表面の油膜はそんなくっつきによるロスを少なくするだけでなく、水分の蒸発を抑えてご飯が冷めても硬くなりにくくするという働きもあるとされます。

 また、ご飯という炭水化物と炊飯油という脂質が一緒にある事で、食べた際に本能的な美味しさを感じるともいわれ、炊飯油は幾通りにもご飯を美味しくする働きを担っているともいえます。

 白い粉の正体はアミノ酸の一種であるグリシンとされ、グリシンは人の体内にも多く存在するアミノ酸となっています。魚介類に多く含まれるグリシンはすっきりとした甘さを持ち、グルメレポーターが新鮮な魚介類を食べた際の印象として頻繁に口にする「甘い」という感想の元ともなる成分となっています。

 グリシンをご飯に加える事でほんのりとした甘味が加わって、米の食味が良くなったように感じられるだけでなく、古米特有の臭みを抑える事ができるとされます。

 グリシンは美容成分でもあるコラーゲンの3分の1を占める成分であり、美肌効果がいわれたり睡眠の質を改善するとしてサプリメント化されてもいますが、ご飯への添加はあまり知られておらず、意外なノウハウがあるものだと思えてきます。

 偽装とは全く関係のないところでも炊飯油は、ロスを減らして冷めても美味しさを保つものとして広く使われているらしく、出された弁当のトレ―にご飯粒が全然こびり付かない様子を見るたびに、ここにも使われていると思ってしまいます。


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Author:kcolumnist
にんにく卵黄本舗の健康コラムです。
食と健康をキーワードに最新の医療情報から科学技術、食文化や献立まで毎日更新で幅広くお届けします。是非ご覧ください。

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