第2358回 つむつく



 鍋物が美味しく感じられる時期、少しお洒落な店では半分に割られた竹の器に盛られ、少量を添えられたスプーンなどで鍋の中に入れる「つみれ」は主役級の存在と思えます。

 鍋に入れる際に手を汚さず、スマートに落とし込む事ができる竹の器とスプーンという組み合わせはとても便利で良いものに思えるのですが、つみれの語源から考えるとどこか邪道のようにも思えてきます。

 つみれはすり身にした魚肉に片栗粉などのつなぎや調味料を加えて練った物で、食べる際に少量の塊りを手で摘んで入れていく「摘み入れ」が語源となったといわれます。

 そのためスプーンを使ってしまうと摘まずにすくってしまう事から、「すくれ」となってしまうように思えてしまうのですが、魚肉のすり身を使った物が「つみれ」で、鶏肉や豚肉などのひき肉を使ったものは「つくね」という分類があるので、スプーンでもつみれなのかもしれません。

 魚肉を使ったつみれ、鶏肉や豚肉で作られるつくねと便利な使い分けがあるように思えるのですが、その区別はそれほど厳密ではなく、語源から考えてみても明確に分ける事は難しくなっています。

 つみれが「摘み入れ」から来ているように、つくねも「捏ねた(事前に良く練ってきちんと成型した)」が元になっていて、鍋に入れる素材を用意した段階で魚のすり身がきちんと丸めてあった場合、つみれではなくつくねであるという事ができます。

 魚肉は鮮度が落ちやすく、特に鍋に使うような大きな切り身が得られない小さな青魚の場合、すり身にすると鮮度が落ちやすくなってしまいます。それに対し鶏肉や豚肉は魚肉ほどには鮮度を気にする必要がない事から、鍋を始める直前にすり身にして鍋に少量ずつ入れていく魚肉と、事前に鍋に入れやすいように小さく丸めておく鶏肉や豚肉。そうした違いが魚肉はつみれ、鶏肉や豚肉はつくねという習慣に繋がり、素材ごとに呼び分ける事になったと思えます。

 鶏肉のつくねが何故か得意料理のようにいわれているのですが、いつも鶏団子と呼んでいました。そろそろ調理法によって呼び方を変えても良いのかもしれないと、一人で考えています。


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第2357回 白と黒



 白と黒というとチェスや最近ではリバーシと呼ばれる事も多くなったオセロゲームを思い出します。食べ物で白と黒が存在する物といわれると、トリュフや最近では表示法の関係で白の呼び方が変わってしまったしょうゆなどが思い浮かんできます。

 鍋物が美味しい今頃の季節、おでんや煮物、鍋物などで活躍してくれる食材に「はんぺん」があります。ふわふわとした食感と手ごろな大きさ、切り分けやすい四角い形状と真っ白な姿が特徴の食材ですが、そんな白いはんぺんにも「黒」が存在しています。

 はんぺんはスケトウダラなどのすり身におろした山芋を加え、昆布の出汁や塩を加えて味を調えた後、茹でて仕上げられています。漢字で表記すると「半片」と記載するのですが、これは江戸時代に駿河の料理人、半平なる人物が考案したため、もしくはお椀の蓋を使って半月型に成型したためともいわれます。

 本来は関東周辺のみで食べられていた地域色の強い食材であったはんぺんなのですが、第二次世界大戦後に大手の食品メーカーによって全国的に販売されるようになってその存在が知られる事となっています。全国的な販売に当たって、メーカーでは白いはんぺんを採用した事から、全国的にはんぺんは白い物という認識が広まってしまい、大量生産を可能にしていた技術の特許が切れて、他のメーカーが販売に参入する際もあえて馴染みのない物を投入する事を避けたために、白いはんぺん以外の存在は全国的には認知されないものとなっています。

 はんぺん自体は魚肉を使った練り製品なので、スケトウダラ以外の魚、サバやアジ、イワシなどの青魚を使うと青みを帯びた灰色に仕上げる事ができ、それが黒はんぺんとなっています。

 黒はんぺんは静岡県、主に焼津や清水、沼津などの大きな漁港がある地域位で作られていて、静岡でははんぺんというと黒はんぺんの事を指しているといわれます。

 特徴としては板付かまぼこのようなD型の断面を持つ筒状に仕上げられ、適度な厚さに切り分けられて生食から焼き物、煮物、炒め物と幅広く活躍しています。青魚を原料とする事から加工する際の鮮度が重要視され、大きな漁港がないと作れない物とは思いますが、魚本来の美味しさに溢れた食材だという感じがして、黒も悪くないと思えてきます。


 

第2356回 和のテクノロジー


 アトランタのとても大きなショッピングモールで、2階にあるレストランの一部の様子が窓越しに見えていて、大きなボウルに山盛りに入れられた緑色の物が置かれていました。どこか懐かしさを感じる色合いで、記憶の中にあるその緑色は和の食材、「ワサビ」ではないかと思えて、思わず確認しに行った事があります。

 行ってみると見えていた店はバイキングの店で、昼食時を前に慌ただしく料理が並べられ、人気の和食として刺身も並べられる事から、そのための薬味として出されている事が判りました。それにしても本場の日本でもワサビをボウル一杯出す店はないと思えて、アメリカの食文化の豪快さを感じてしまいます。

 ワサビは唐辛子やコショウとは少々趣の異なる辛味を持ち、特有のツーンとくる痛みを伴う辛味のためか、激辛好きの間でもあまり名前が出てこない調味料となっています。

 ワサビにはシニグリンと呼ばれる配糖体が含まれており、すりおろすなどで細胞が傷つき、空気に触れると酵素が活性化してシニグリンの加水分解が始まり、アリルイソチオシアネートが生成されます。アリルイソチオシアネートは辛子の辛味成分でもあり、ワサビの辛さも同じ強力な辛味成分が関わっている事になります。

 アリルイソチオシアネートは揮発性が強く、気化したものが目や鼻の粘膜に作用する事で、ツーンとくる刺激が生じてしまうのですが、その揮発性の高さは、すぐにワサビから辛味や風味を奪う事にも繋がってしまいます。

 ワサビは食べる直前に、しかもきめ細かくおろせる鮫皮を使うのは、ワサビの性質をよく理解した結果という事ができ、ボウルで出さない事にはそうした背景があると考える事ができます。

 揮発性の高さ故に失われやすいワサビの風味ですが、ボウルで出されてもランチタイムが終了するまで風味が損なわれなかったり、何日も冷蔵庫に入れられたままになっていたのに、チューブ入りのワサビが最後まで強烈な辛味を失わない事にはある秘密が隠されています。

 ワサビの風味を最後まで保持させているのは、「環状オリゴ糖」という文字通り環状の分子構造を持つオリゴ糖の存在が大きく、環状オリゴ糖は環状の輪の中は油分と仲が良く、外側は水分と仲が良いという変わった性質を持っています。

 精油成分でもあるアリルイソチオシアネートは環状オリゴ糖の内側と触れ合うような形で包みこまれ、揮発してしまったり分解されたりという事なく、長い時間、おろされたワサビの中に留まる事ができるようになります。

 ワサビと同じようにチューブ入りになっているアリルイソチオシアネートを含む練りからしや、やはり揮発性を持つアリシンが含まれたおろしにんにく、ジンゲロールやショウガオールといった揮発性を持つ辛味成分のおろし生姜などにも環状オリゴ糖が使われている物があり、便利なチューブ入り薬味は日本が世界に誇る発明品とも思えてきます。どこかインスタントな雰囲気も感じてはしまうのですが...。


第2355回 ネバネバの効用(2)



 納豆について興味深い話を聞かされた事があります。微生物による成分の分解が人に都合の良い方向に作用した場合、発酵と呼ばれ、都合が悪い方向へ進んだ場合は腐敗と呼ばれますが、大豆を発酵させて作られるのに納豆、発酵や腐敗が関わらない状態で作られるのに豆腐と、同じ大豆製品でありながら名称に矛盾が生じているように思えます。

 かつては大豆を発酵させて作る納豆が豆腐と呼ばれ、型に納めて固まらせて作る豆腐が納豆であり、いつの頃からか名前が取り違えられて今日に至ったといいます。如何にもという感じがして、納得させられてしまうのですが、単純にこじつけられただけの俗説とされます。

 納豆という言葉が初めて文献に登場するのは、平安時代に藤原明衡によって書かれた「新猿楽記」であるとされます。「塩辛納豆」の文字が記載されている事から、今日でも見る事ができる粘りを持たない大徳寺納豆の事で、精進料理として寺院で作られていた事から寺納豆とも呼ばれ、製造元となった寺の名前を付けられた物を各地に見る事ができます。

 塩辛納豆については中国から製法が伝えられたとも、一休禅師が考案したとも伝えられ、寺の倉庫にあたる「納所」で作られていた事から「納所の豆」という事で「納豆」の名称が生まれたとされます。

 それに対し粘りを持つ糸引き納豆は、茹でた大豆を藁で包んでいたら藁に付着していた納豆菌が大豆を発酵させるという偶然によって生まれたとされ、それがいつの事かは定かではないといわれます。

 弥生時代の住居跡には、藁を床に敷いていた跡が残されているので、大豆の栽培や藁の利用という点で納豆が生まれる土壌はあるように思えるのですが、大豆の栽培は縄文時代には始められており、稲作も行われた事から、縄文時代には納豆が生まれてもおかしくない状況ができあがっていた事になります。

 塩辛納豆よりも遥かに古い時代から作られていながら、これといった統一的名称を持たなかった糸引き納豆が、同じような工程で作られる塩辛納豆に出会い、同じ発酵食品として納豆と呼ばれるようになったと考える事ができます。その後、糸引き納豆が納豆の主流となる事には、美味しさや健康面に加え、独特な存在感もあるように思ってしまいます。


第2354回 ネバネバの効用(1)



 子供の頃は冬という季節が大好きだったのですが、歳を取ってくると好きかどうか迷うようになり、何故、大好きな季節だったのかと考えるようになってしまいます。それでも苦手な虫はいなくなるし、雑草に悩まされる事もなく、雪景色に癒されたり、温泉から上がった後、余計な汗をかかなくて済むなど、良い事が多いように思えます。

 そうした意味では好きな事が多く、好きな季節といえるのですが、どうしても困らされてしまう事に冬場の乾燥肌があります。冬の乾いた空気や冷たい風によって肌に潤いを届ける血管の収縮など、冬場はとても肌が乾燥し、酷い場合は痛みを感じる事もあります。

 当然、夏と冬では美容液の類も使い分ける事となるのですが、最近、見掛けるようになった保湿成分を多くして、潤いに主眼を置いた製品にも不満が残る事となっていました。

 何か良い製品はないかと考えていると、乾燥肌には美容液よりも一日一パックの納豆という助言があり、かねてより納豆を食べる頻度を増やそうと考えていた事もあり、実践してみる事にしています。

 納豆というと特有の粘りがすぐに思い浮かぶのですが、粘りの素としてポリグルタミン酸が豊富に含まれています。ポリグルタミン酸には保湿成分として知られ、高い保水力を持つとされるヒアルロン酸の10倍の保水力があり、保湿成分となるだけでなく、同じく粘りの素である粘液多糖類と合わせて腸内環境を整え、肌の状態を良くする事が考えられます。

 肌の状態を整えるために必要なビタミンB群も豊富で、体全体の修復にも役立つ成長ホルモンの分泌を助けるアルギニンも多く含まれていて、肌のハリを助けるコラーゲンの生成を促す大豆イソフラボンも含まれています。

 納豆に含まれる酵素、ナットウキナーゼには血栓を溶かして血液をサラサラにする働きがあり、毛細血管の隅々にまで血液を届ける助けとなる事が考えられます。

 大豆レシチンには体内の毒素の排出を促す働きがあり、納豆菌の中には新陳代謝を高めるポリアミンが豊富に含まれ、むくみを除くカリウムも多く含まれています。

 成長ホルモンの分泌は夜の10時から夜中の2時までが最も盛んで、その間に寝ている事や分泌が円滑に行われるように体内時計を整えておく事も大雪です。朝、起きたら明るい光を見るようにして、夕方以降にパソコンを使用する際はブルーライト対応のメガネを使う事、夕食ではよくかき混ぜた納豆を必ず食べる事。辛い乾燥肌を逃れるために努力しなければと思っています。

 

第2353回 パスタのいろいろ



 先日、パスタについて話をしていて、幾つかの面白い話を聞かせていただく事ができました。最初にうどんやそうめんを茹でるとお湯は白く濁ってしまうのに、パスタを茹でたお湯は何故、あのように濁らないのでしょうという謎かけが行われ、それはデュラム小麦というガラス質と呼ばれる半透明のタンパク質を多く含む胚乳を持つ小麦を粗挽きにし、高い圧力を掛けて生地を結着させているからと判ったのですが、僅かに芯が残された状態、「アルデンテ」に茹でる意味はと聞かれると若干の認識の違いを知る事となりました。

 パスタをアルデンテに茹で上げる意味は、パスタに水分を吸収する余地を残しておく事で、ソースの味をより良く吸収させるためと思っていたのですが、それ以外に食べる際に唾液に含まれる消化酵素や胃酸を吸収しやすいようにしておき、よりたくさん食べるための工夫と聞かされると、如何にもイタリア的と思えてきます。

 以前から気になっていた乾燥パスタと生パスタの違いについては、かつては南イタリアが乾燥パスタ、北イタリアは生パスタという勢力図になっていたそうで、同じパスタを打ち立てで食べるか、乾燥させた物を食べるかといった違いではなく、双方は別々に発展してきた経緯があるといいます。

 乾燥パスタはアラビア人によって伝えられ、乾いた砂漠では小麦などの食料を粉の状態で持ち歩くより、麺などに加工して乾燥させた方が扱いやすく、保存にも適していた物がイタリアに持ち込まれ、南イタリアで栽培されていたデュラム小麦と出会う事で独自の発展を遂げ、生パスタは北からアルプスを越えて持ち込まれた物が定着したとされます。

 そのため原材料にも違いがあり、乾燥パスタはデュラム小麦で作られる事に対し、生パスタはフツウコムギが主に使われています。シコシコ感がほしければ乾燥パスタ、モチモチ感なら生パスタといわれますが、そうした食感の違いは乾燥工程の有無ではなく、原料の違いから生じていた事になります。

 今では多くのメーカーが生産効率を上げるためにパスタを押し出す金型の内側をフッ素樹脂でコーティングし、乾燥にもタンパク質が線維化しない上限付近の90度程度の高温の温風を使っているといわれます。昔ながらのブロンズの金型を使って高い温度で成型し、自然の風で乾燥させたデュラム小麦本来の風味を感じられるパスタを探してみなければと改めて思ってしまいました。


第2352回 競合悲劇



 苦手な言葉の一つなのですが、羊や山羊を指して「ライブストック」といういい方があります。文字通り「生きた保存食」という事で、家畜として世話をしながら、食糧が不足してくると屠殺して食糧とするという意味で使われます。

 同じように家畜として接している牛や馬にはそうしたいい方を使わない事は、牛や馬が労働力として役に立つ事が関わっていると考える事ができます。同じく家畜として飼われている豚に対してもライブストックといういい方はされず、冬が始まると次のシーズンの繁殖に必要な数だけを残して屠殺し、ハムやソーセージなどの「ストック」にされてしまいます。

 豚は羊や山羊と同じように労働力としてはあまり期待できない事もあるのですが、冬が始まると一斉に保存食に加工されてしまう事については、羊や山羊が草食動物で人が食べない牧草を食料とする事に対し、豚は雑食性の動物で人と食料が競合する事が深く関係しているという事ができます。

 かつて豚は森の中を駆け回り、さまざまな物を食べて生活していました。俊敏で力強く動き、神経質で清潔好きだった彼らは、人が農耕を始めて耕地や家の建材、燃料の確保などの理由で森を切り開くようになると棲みかを奪われ、人に飼われて家畜化していきます。その際、人と食料が競合するために人が食べない食料を飼料とした事が、豚という生物の評価を大きく下げる事に繋がったように思えます。

 そのため人用の食料さえも不足しがちな厳しい冬が始まる前に間引きして、保存食に加工してきた事がハムやソーセージといった食文化を育んできたという事ができ、生かして冬を越し、必要に応じて食料とするす羊や山羊、労働力ともなる牛や馬を使ったハムやソーセージといった加工例が極端に少ない理由と考える事ができます。

 そんな中、人用の食料が底を尽き、生かして冬を越させる予定だった豚たちに与える飼料がなくなってしまい、止むなく森に放したところ豚たちは野山を駆け巡り、どんぐりなどを食料としながら逞しく、より美味しくなって帰って来た事が一部のブランド豚に見られる放牧の由来ともいわれます。

 身近に接する家畜の中で、唯一食料が人と競合するために不当に扱われてきた感がある豚ですが、最近ではペットとして飼われたり、ブランド豚の定着で高値で取引されたりと、少しずつ立場が向上してきたようにも思えます。神経質で清潔好きという認識も広まってきているので、愚鈍で不潔というイメージは早々に無くなってほしいものだと願っています。


 

第2351回 卵の苦労



 食生活を振り返ってみると、どうしても炭水化物が多くなってしまい、もう少し積極的にタンパク質を摂らなければと思えてきます。そこで良質なタンパク源をと思いながら、体内で利用される事を意識してアミノ酸スコアの高い物をと思うと卵に目が行ってしまいます。

 卵は料理のバリエーションがとても幅広く、いろんな料理に使う事ができる事からさまざまな場面で活躍してくれ、便利なタンパク源となっています。根菜類の煮物をよく作る事から、根菜類と一緒に茹で卵を煮込む事で手軽に卵を一品加える事ができます。

 その際、毎回苦労させられるのが茹で卵作りで、殻が上手に剥けずに一個を剥く事に長い時間が掛かったり、白身が殻と一緒に剥がれて表面が汚くなったり、最悪の場合、剥がれた白身のせいで黄身が露出して煮物に使えなくなったりもしてしまいます。

 卵を茹でる際も卵が割れないように弱火でゆっくり加熱する事から時間が掛かり、茹で卵作りは意外なほど手間と暇を必要とする作業となっています。

 これまで幾通りかの方法を試してみたのですが、最も時間を掛けずに卵を茹でる方法は、鍋に卵を並べると1cm程度の深さになるだけの少量の水を入れ、強火で一気に加熱。沸騰したら中火に落として3分間ほど茹で、火を止めて5分から10分ほど蒸らします。

 蒸らしている間に中に火が通って黄身の状態が決まり、5分では半熟、8分でしっとり感が残り、10分で完全に火が通った状態になります。この方法で茹で卵を作り、まだ熱いうちに殻を剥くのが一番良い方法と聞かされているのですが、やはり下手なのかそれなりに苦労はさせられます。

 最近、仕入れた情報では、卵を茹で上げた後、卵の尖っていない方の殻を少し剥いておき、尖った方の殻を少し割って息を吹き込むと勢い良く完全に剥けた状態の卵が飛び出してくるといいます。

 奇妙な方法とは思えるのですが、ほとんど毎回上手に剥けずに悲しい思いをさせられる身としては、試してみる価値があると思えます。茹で上がった卵を剥きやすく仕上げる器具として、押すと小さな針が飛び出して殻に穴を開けてくれる物も使ってはみたのですが、うまくはいかなかった事から、新しい情報には大いに期待したいと思っています。


第2350回 武将の力量



 さすがに100万石といわれると、かなりの大大名という感じがするのですが、25万石や62万石となるとどの程度の勢力を持つ大名なのか判り辛くなるように思えます。日本人は生産される米の量で大名の勢力を表した唯一の民族ともいわれ、米と日本人との関わりの深さを伺う事ができます。

 生産される米の量と大名の勢力、一見、あまり深い関係がなさそうに思えてしまうのですが、意外にシンプルな評価方法と見る事ができます。大名や藩の力量や規模を示す「石」という単位は、文字通り石の事を指していて、一石は米俵一俵の重さと同じに設定されています。

 そのため100万石の大名であれば、領地で一年間に収穫できる米の量は100万俵となる事が示されています。米俵に入れられる米の量は、一人の人が一年間に食べる米の量を基準に決められているので、100万石の領地では100万人の人を養う事ができる計算になり、兵役に従事できる割合を考えると動員できる兵力が判ったり、一俵の値段が一両と貨幣価値の基準ともなっている事から経済力を推察する事もできてしまいます。

 至ってシンプルな方法でありながら有効なやり方でもある事から、天下を手中に収めた豊臣秀吉が全国の検地に力を入れ、各藩の石高を正確に把握しようとした事には納得させられてしまいます。

 米は世界の各地で栽培され、生産量の割には輸出入されている量が極めて少ない穀物とされます。それは米が主食として生産された土地でほとんどが消費されるためともいわれ、今も昔も国が変わっても人々と密接に結び付いている事が判ります。パン食が多い事で知られる私ですが、米もしっかり食べなければと思ってしまいます。


第2349回 粒検査



 珍しく冷凍食品の焼きおにぎりを衝動買いしてしまい、レンジで温めて食べていました。焼きおにぎり自体、食べるのはずいぶんと久しぶりの事と思いながら食べていると、ふと違和感を感じて手にした焼きおにぎりを見詰めてしまいます。

 私が感じた違和感は、口の中でおにぎりが崩れた際に感じられる米粒の小ささで、普段感じている米粒の大きさよりも遥かに小さく、これまでにない小粒感に米ではないようなものさえ感じてしまいます。

 生産された米は、農産物検査法に基いた「品位等検査」を受ける事になり、1等級、2等級、3等級、規格外に区別されます。政府によって買い上げられる場合は品位等検査は義務化され、それぞれの等級によって買い上げ価格が決められます。

 品位等検査において重要視されるものの一つに米の粒立ちがあり、大粒で均一に大きさが揃っている米により高い評価が与えられます。焼きおにぎりに使われている米は粒は小さいのですが、大きさは揃っているので、等級が低い安値の米を使ってコストダウンが図られていると思えてきます。

 外観的に米のできを検査する品位等検査に対し、米に含まれる成分を分析する成分等検査は米の食味を判断する検査という事ができるのですが、任意検査となっているために品位等検査ほどには行われておらず、現状、米の良し悪しは粒立ちによって決められています。

 品位等検査には粒の状態以外にも銘柄や量、荷造りや包装の状態なども加味されるので、丁寧に作られて大切に扱われた米が高評価を得る事にも繋がります。昔から八十八の手間を掛けて育てるといわれる米だけに、手間暇惜しまずという事が基本なのかもしれません。


 
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にんにく卵黄本舗の健康コラムです。
食と健康をキーワードに最新の医療情報から科学技術、食文化や献立まで毎日更新で幅広くお届けします。是非ご覧ください。

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