第2397回 子供と塩分(1)



 最近では糖質を制限した食品が目立つようになり、あまり減塩については声高にいわれなくなったような感じがしています。一頃は外食の料理に含まれる塩分の多さが問題視されていましたが、外食の機会が減った以上に出来合いの総菜を買って帰る中食の機会が増えているので、塩分のどうなっているのだろうと気になってしまいます。

 先日、塩分の摂取に関して興味深い研究結果が報告されていました。研究の対象となったのはロンドンの南部に住む1807人の子供で、24時間に排泄される尿を貯めておいてもらい、その中に含まれる塩分量を元に子供たちの日常の塩分摂取量について推定が行われています。

 研究に参加してくれた子供たちには食事内容の食べ物や飲み物を写真や文章によって記録してもらい、塩分摂取に繋がった食品についての調査も行うという本格的なもので、英国では子供の塩分摂取量に関する調査では過去最大のものとなっています。

 調査の結果、一日の平均塩分摂取量は3~6歳の子供で3.75g、8~9歳で4.72g、13~17歳で7.55gとなり、13~17歳の平均値は英国で大人の最大摂取量とされる6gを大きく上回るものであり、全体の7割の子供が6gを上回る塩分を摂取している事が判っています。

 塩分摂取の元となった食品についてはパンやシリアル食品が全体の36%と最も高く、続いて食肉加工食品の19%、牛乳や乳製品の11%などが塩分の摂取源として上げられていました。

 英国では大人の塩分摂取量は過去6年間で15%ほど低下しており、減塩の意識は浸透しているとされますが、子供たちは高血圧などの生活習慣病とは無縁なイメージが強い事もあって、意外な盲点となっているという事ができます。

 実際の大人は6gの推奨に対し、平均で8.6g程の塩分を摂取しているといわれますが、子供の7.55g、大人の8.6g、いずれも日本の推奨量の10gを下回っていて、全然問題にならないように思えてしまうのは減塩意識が希薄だからかと振り返ったりもしています。


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第2396回 意外な宣伝



 リアルタイムで見ていない事もあり、浅間山荘事件の際の事は良く判らないのですが、日本中の注目を集め、現場のテレビ中継は大変な視聴率となった事を後に聞かされています。その際に記録された視聴率、89.7%は視聴率調査が開始されて以来、最高の数値とされ、現在もその記録が破られていない事からも、当時どれだけの人がテレビで事件を見守っていたかを想像する事ができます。

 長野県軽井沢の山間部、2月の下旬という酷寒の中、山荘に立て篭もる犯人と取り囲む機動隊員という図式で試験は進行していくのですが、寒々とした画面の中、時折、機動隊員に支給される湯気を立てる温かそうな食べ物が目撃され、それが後の食文化に大きな影響を与える事となります。

 事件の現場は山荘であっても取り囲む機動隊員は屋外であり、緊張が続く中での温かい料理は機動隊員にひと時の安らぎを与えるだけでなく、見ている視聴者の興味も大いにそそるものとなりました。片手で持つ事に適した容器に入れられたその食べ物は発売後間もないカップ麺で、事件のテレビ中継を通して得た知名度を元にその後、急速に普及して独自の食文化を形成する事となります。

 カップ麺の誕生には、先行して開発された袋から取り出した乾燥した麺にお湯を掛けるだけで食べられる状態になる即席麺の存在を欠かす事ができません。即席麺が日本で発売された後、欧米へも市場を求めて売込みが行われたのですが、即席麺を入れる適度な容器が見付からなかった事から、紙コップに入れてフォークで試食してもらっていた事に着想を得て、カップ入りの即席麺が考案されています。

 カップは商品を販売する際のパッケージであり、お湯を注いで食べられる状態にするという調理器具であり、食べる際の食器であるという三役をこなす物であり、もともと手軽だった即席麺の利便性をさらに向上させて、インスタント食品としての一つのカテゴリーを確立する事に大いに貢献したといえます。

 今日ではカップ麺を主食として食べて、それで一食を終えるという事も珍しくはないのですが、開発当初は間食という位置付けであった事から袋入りの即席麺の麺の容量が100g程度である事に対し、カップ麺は70g程度と少なくなっているのはその頃の名残りとされ、大盛りである事を強調したスーパーサイズの製品の登場でやっと袋入りの容量に追い付くといった事が見られています。

 そんなカップ麺にかつては「標準」と「上級」というランク分けが存在した事は、あまり知られていない事となっています。2009年の6月30日の発売分を最後に撤廃されてしまったのですが、それ以前の製品にはJAS法の厳格な規定による標準カップ麺と上級カップ麺という分類が行われていました。

 標準とされるカップ麺は麺の重量に対し「かやく」と呼ばれる具材の重量が6%以上とされ、火薬の重量が麺の重量の15%以上になると上級とランク付けされていました。カップ焼きそばとカップスパゲティでは若干重量が緩和され、4%以上が標準、10%以上が上級と規定されています。

 今では世界中で食べられていて、現地生産されている物も多いのですが、個数で考えると日本が輸出したどの工業製品よりも多いといわれ、新商品が生まれては消えていくサイクルの早さも含め、カップ麺は日本固有の文化のようにも思えてきます。


第2395回 第二の撲滅



 天然痘の撲滅が宣言され、アメリカ疾病予防管理センターとロシア国立ウィルス学・バイオテクノロジー研究センターのレベル4施設内に保管されている研究用のウィルス株以外のすべてのウィルスが処分されて、地上から天然痘のウィルスが消滅する事を知った際、科学の勝利というものを強く感じる事ができました。

 天然痘n発祥はインドともアフリカともいわれてはっきりしておらず、最古の記録は紀元前1350年のヒッタイトとエジプトの戦争中に発生した記録が残されており、紀元前1100年代に没したとされるエジプトのラムセス5世が最古の死亡例と考えられています。

 それだけ古くから知られていた天然痘の撲滅宣言は1980年の事で、一つの感染症を完全に撲滅する事の難しさや道のりの長さを感じさせてくれます。そしてその難しさを証明するかのように人類にとって最初の撲滅例となった天然痘は、唯一の撲滅例ともなっています。

 そんな天然痘に続く第二例目となる感染症の撲滅が間近に迫っているといわれます。その感染症は「メジナ虫症」と呼ばれるもので、ギニアワームという寄生虫によって引き起こされています。

 非常に小さなギニアワームの幼虫は水中でミジンコに飲み込まれる事でミジンコの体内に入り、ミジンコが含まれた水を飲む事で人の体内に入り込みます。人の体内に入ったギニアワームは一年を掛けて成虫へと成長しながら体内を這い回り、成熟すると足に移動して皮下に水泡を作ります。その際に激しい痛みを伴う事から、患部を冷ますために人が足を水に浸けると、ギニアワームは水泡を破って体内に蓄えていた無数の幼虫を水中に放って次の新たな感染サイクルを作り出しています。

 体長1mにも達する奇怪な姿や体内を這い回るという事、患部の激しい痛みなどから怖れられたメジナ虫症は赤道直下のアフリカを中心に猛威を奮っており、水という生活に欠かせない物を媒介し、清潔な水を確保できないという事を背景に年間350万人以上が寄生されていたとされますが、昨年の感染者は148人となり、撲滅まであと一歩ともいわれています。

 WHO(世界保健機構)による撲滅を目指す事を採択して以来、徹底した監視体制の強化や患者の封じ込め、感染サイクルの遮断などが功を奏したとされ、地味ではあっても確実な積み重ねによって第二例目の撲滅を迎える事に新たな勝利の大きさを感じてしまいます。第三例目には何がなるのか、ついそんな事を考えたりもしています。


第2394回 削った春の花



 九州で生まれ育った事もあり、削り花の存在はほとんど知らず、最初に存在を知った時は木を削って造花を作るという事には、どことなく違和感を覚えた事が思い出されます。削り花は仙台を中心とした地域で、花が咲いていない時期に春の彼岸を迎えてしまう事から、生花の代わりにお供えする物として作られています。

 削り花の発祥は明治時代の廃藩置県に関連していて、伊達藩がなくなってしまった事により職を失った御殿医、小野木多利治が生活の糧を得るためにはじめたとされ、明治10年頃に売り出されたとされています。

 最初の頃は考勝寺の門で細々と販売されていたものが、明治30年頃から広く普及したとされ、当初は木を削っただけの単純な造花であった物が、小野木家の菩提寺である見瑞寺が赤や黄色に着色した削り花を墓地に飾り付ける事を認めたため、着色して売り出した事で普及が進んでいます。

 削り花が普及する以前は、彼岸の頃の仙台に咲く花がなかった事から銀色の産毛がきれいなネコヤナギを飾ったり、枯れ枝に小さく切った白い紙を貼って墓前に供えていたとされ、削り花の登場で仙台の彼岸は色鮮やかとなり、春の訪れを感じさせるものとなっています。

 同じように木を削った物としては、正月の飾りである「削りかけ」を思い出してしまうのですが、白い木の肌を薄く、細長く削って垂らし、紙が普及する以前は御幣としても用いられていた削りかけと削り花との関連性は薄いように思えます。

 彼岸の中日は御先祖様へ感謝する日であり、その日のためにきれいな花を飾りたいという心や、廃藩置県によって失われた生活の糧を得ようとする工夫、墓場には赤い色はそぐわないとしていたものを許可してくれたお寺など、さまざまな思惑の中から生まれてきた削り花ですが、仙台に春の訪れを知らせる大切な存在として今日に伝えられています。



第2393回 奇病の正体



 先日、ギニアで謎の病気が発生し、6週間という短い期間に23人が死亡したというニュースがあり、後にその病気がエボラ出血熱であった事が報じられていました。エボラ出血熱というと致死率が90%近くに達する事もある怖ろしい感染症であり、アフリカを中心に突発的に発生が見られる事からまた怖ろしいものが出てきたと思う反面、道の新たな病気でなかった事は幸いとも思えます。

 エボラ出血熱の発見は、今から30年ほど前の1976年に遡り、スーダンのヌザラという町で倉庫番の男性が39度の高熱と共に激しい頭痛と腹痛を訴えて入院してきた事が始まりとされます。

 病院に収容された男性は、その後消化器や鼻の粘膜から激しく出血して死亡し、その男性の近くにいた2人が同じような症状を発症してしまい、それを皮切りに血液や医療器具を通じて周囲に感染が広まっていきます。最終的にヌザラの街では284人が感染してしまい、151人もの人が命を落とすに到っています。

 最初の感染者となった男性の出身地の近くには川が流れていて、その川の名前から「エボラ」の名前が付けられ、今日、エボラの名前は川よりも遥かに高い知名度で致死性の感染症の名前として知られる事となっています。

 その後、10回ほどアフリカ大陸で突発的な発生と流行が見られ、感染してしまった際の致死率は最低でも50%、最大では89%にも上るという非常に高い致死率を誇るだけでなく、消化器官などの粘膜から大量の出血をして死に到るという壮絶な病状もエボラ出血熱の恐怖を不動のものにしたようにも思えます。

 エボラウィルスの毒性はタンパク質を分解してしまう事にあり、体細胞の構成要素であるタンパク質を破壊される事で出血が起こり、致命的なダメージを受ける事になってしまいます。発症を未然に防ぐワクチンや直接的な治療法は確立されておらず、わずか数個のウィルスが体内に入っただけでも感染してしまう事から、病原体としての危険度を示すバイオセーフティーレベルは最高度の「4」に指定されています。

 最初の流行となったヌザラの町では151人もの人命を失ってしまいましたが、発見からの30年間でエボラ出血熱で命を落とした人は600名程度とされ、感染力の強さや致死率の高さから見ると意外なほど少ない事に驚かされます。

 高い感染力と致死率を誇りながら意外なほど死亡者が少ない最大の理由は、エボラ出血熱が感染者の血液や体液に触れないと感染しないという点にあります。そしてもう一つは強力な致死性にもあるとされ、一週間ほどの潜伏期間の後に症状が生じると間もなく死に到ってしまう事から、感染者がキャリアとして感染を広めない事も感染の拡大を妨げる要因となっています。

 しかし、感染者が死亡してもエボラウィルスは感染力を保持している事や、野生動物がウィルスを運搬するという困った性質があり、感染が起こった地域の古いしきたりとして死体を沐浴させる事や、情報不足からエボラ出血熱による死亡を魔女のせいと考えて、死体の埋葬を行わないといった事は新たな観戦にも繋がっています。

 完全な接触感染である事から、患者のそばに行かなければ感染する事はないエボラ出血熱ですが、感染率、死亡率の高さ、治療法がない事、壮絶な病状と、これからも小説などの題材として登場し、新たな恐怖を煽ってくれる事と思ってしまいます。


 

第2392回 創造と転落(2)


 生命に関するセンセーショナルな発見、その後の信憑性への疑問とそれに伴う大きな転落。19世紀にアンドリュー・クロスという研究者に起きた事件は、今回のSTAP細胞の発見によく似た展開を見る事ができます。

 アンドリュー・クロスは1784年、イングランドはサマセットの裕福な家庭に生まれ、子供の頃から好奇心が旺盛だったと伝えられています。好奇心の赴くままに科学実験を行う事が好きで、少年時代にも多くの実験を行い、両親の遺産を相続した後は思う存分実験に開け暮れる毎日を過ごしていました。

 そんな彼が52歳を迎えた1826年、人工ガラスの結晶を作る実験をしていた際、その事件は起こりました。実験の4日目、電気を通している対象物に白くとても小さな突起物が生じている事を発見し、観察を続けていると徐々に突起物は成長を続けていき、26日目には完全な虫の形を形成して動き始めました。

 注意深く虫を観察するとそれはコナダニの一種である事が判り、慎重に準備したにも関わらず実験器具内にダニが紛れ込んでしまった可能性を感じた彼は、さらに慎重に準備を進め、再度同じ実験を行うのですが、そこでも同じように突起物が生じ、やがてダニへと成長していきました。

 電気実験の末に生命を創造したという事に半信半疑ながら事実をレポートにまとめ、電気学会に報告すると新聞記者の知るところとなり、人類史上初の生命の創造としてセンセーショナルな話題となり、彼の事はイギリスだけでなくヨーロッパ中に知られる事となります。

 噂を聞き付けて追加実験を行って検証する者も現れ、一部には実験を再現する事に成功する者も見られ、その中には後の科学に大きな影響を与えたファラデーの姿もあり、クロスは生命を創造し神の領域に踏み込んだ男という評価さえ与えられます。

 しかし、そうした盛り上がりは長くは続かず、再現性の低い実験は信憑性そのものが疑われるようになり、再現できたとする実験もその厳密さが疑問視されるようになってきます。彼が正式な科学者ではなくアマチュアの実験家でしかない事も実験結果への評価を下げる事となったのですが、それ以上に悲劇的だったのは、生命の創造という神の範疇を冒してしまった事で神を冒涜したと捉えられ、多くの宗教団体の攻撃対象とされてしまった事です。

 折悪く小麦に病害が蔓延し、それが神を冒涜した事への報いと受け取られてしまったために、誰もが彼を避けるようになり、彼の家へと向けた露骨な悪魔払いが行われたり、暴力的な場面に遭遇したり、彼を目撃すると人々が慌てて窓やドアを閉めたりという事が見られ、商人たちも彼と取り引きする事を拒んだといいます。

 結局、不遇の中で彼はこの世を去る事となり、最後まで前世で冒した罪の報いと嘆きながら息を引き取ったといいます。今日では慎重を期したつもりでも目に見えないダニの卵が実験器具の中に混入したという真相とされ、電気を使って生命を創造したという話題は小説のフランケンシュタイン博士のモデルとなったともいわれます。

 実際には小説の発表は彼の実験の20年以上も前の事なので、彼がフランケンシュタイン博士のモデルとなる事はありえないのですが、神の領域に踏み込んだための悲劇としては共通点があるようにも思えます。いつの時代もセンセーショナルな発見とその反動というのはある事なのかもしれませんが、最近の報道を見ながらつい重ねて考えてしまいます。


第2391回 創造と転落(1)


 いつもニュースは原稿を書いているパソコンの画面の隅にあるガゼットを通じて見ています。幾つかのニュースソースが最初から選択されているのですが、スポーツ系の新聞が多いせいか知りたいニュースよりもアイドルグループの話題の方が多く、本当に社会の関心事はこんな事にあり、こんな話題を焙じる事が報道機関の役目なのだろうかと疑問に感じてしまう事もあります。

 最近気になっているニュースは万能細胞とされる「STAP細胞」に関する事で、論文の発表が伝えられた当初はこれで再生医療の在り方が大きく変わると思え、幹細胞研究の発展を期待しながらこの世を去った俳優のクリストファー・リーブが聞いたら、どんなに喜んだだろうなどと考えたりもしていました。

 当初は「快挙」であり「今世紀最大の発見」といった伝えられ方がされていたのですが、すぐに研究チームのリーダーが若い女性であった事もあり、研究リーダーの人となりに関するニュースばかりが聞かれるようになり、白衣代わりの割烹着や研究内容を説明する際の大きなデザイナーズブランドの指輪、プレゼントのために手作りしたケーキなどが研究そっちのけで時間を割いて報じられるようになり、何となく違和感を感じていました。

 その後、論文の中に散在する不自然な部分に関する事がいわれはじめ、同じ分野の研究に携わっていても幾つかの会派があり、先日の血圧降下剤の研究データ捏造で大きな打撃を受けた医療業界が今回の成果を面白く思ってなく、攻撃を加えているといった事がまことしやかにいわれたりもしていました。

 論文に使われていた画像が使い回しであった事や、論文の一部が他の論文からの引用コピーが使われたものである事がいわれるようになると、遡って博士論文の内容にまで言及されるようになり、博士号の撤回や支給された研究助成金の返還といった話題に変わってきています。

 急転直下とはまさにこれという感じで、ずいぶんと話が変われば変わるものだとと思えてきます。そんな中、研究者がどのような人物であるのか、論文がどのように作成されたかよりもSTAP細胞が本当に存在するのかだけが気になります。STAP細胞が存在する世界と存在しない世界では、大きく違った未来となるとさえ思えます。

 研究リーダーの研究者としての経験の少なさやそれゆえの稚拙さ、コピペ、捏造といった言葉が繰り返しいわれている中、STAP細胞の存在と発見が裏付けられる事を願いつつ、19世紀に起きた酷似した事件を思い出し、「アンドリュー・クロス、あなたのようですね」と思わず呟いてしまいます。


 

第2390回 懐かしき可燃性



 子供の頃、隣に住んでいた少し年上の子がピンポン玉はとてもよく燃えるという話をしてくれて、実際に火を着けて見せてくれた事があります。マッチの火が着けられると、火は一気にピンポン玉を覆うように全体に回り、薄いピンポン玉は一気に燃えてしまいました。炎自体はそれほどでもなかった感じなのですが、一気に全体に火が回った速度には驚いてしまい、今も少し暗くなり始めた夕方の中の炎の色を思い出してしまいます。

 ピンポン玉はセルロイドで作られていて、セルロイドの性質として非常に燃えやすい事や、薄く作られている事が一気に全体に火が回ってしまう理由と考える事ができます。

 かつて日本で盛んに生産され、輸出されていたセルロイドは人類が手にした最初の熱可塑性樹脂とされ、1856年にイギリスのバークスによって発明されています。バークスは最初のセルロイドを「バークシン」と名付けて売り出しましたが、非常に高価であったために実用的ではなく、普及は失敗に終わっています。

 その後、ビリヤードの球の原料として象牙に替わる物を発見した者に賞金1万ドルを与えるという公募が行われ、アメリカで印刷業を営んでいたハイアット兄弟によってセルロイドが提案され、賞金を得るに至っています。

 ハイアット兄弟によるセルロイドの開発は、怪我の治療に使おうとしてこぼしてしまった傷薬の跡に残されたニトロセルロースに着目するという偶然による発見を元に試行錯誤を繰り返し、ニトロセルロースに樟脳を混ぜるという発明に至っており、バークスの発明の継承ではなく、独自の再発明である事が判ります。

 ハイアット兄弟によってセルロイドという名称が命名され、製造特許を取得した後にセルロイド製造が開始されています。ハイアット兄弟による発明の7年後、神戸の見本市に紹介されたセルロイドは事業化が進められて、日本でも製造されるようになります。

 原料の樟脳の産地が極東アジアに限られていた事もあり、日本は主要な生産国としてセルロイドを輸出するようになり、昭和初期には世界で生産されるセルロイドの約4割が日本で生産されていました。第二次世界大戦後、日本の輸出額の5割がセルロイド製品によって占められていた事から、セルロイドは戦後に日本の復興を支えた工業製品といっても過言ではありません。

 そんなセルロイドの欠点としてプラスティック等に比べて劣化が激しい事や耐久性が低い事、そして燃えやすい事があり、特に燃えやすい性質はセルロイドのその後を左右するまでに至ってしまいます。

 セルロイド工場では原料の自己反応による火災事故が何度となく起こり、初期の映画に使われていたセルロイド製のフィルムは映画を投影する光源として使われていたアーク灯や電球の熱によって発火するという事も見られていました。

 そのため1955年にはアメリカで多発するセルロイド製品の火災事故を受けて「可燃物資規制法」が成立し、日本からアメリカへのセルロイド製品の輸出はできなくなってしまっています。アメリカでの動きを受けて世界的にセルロイドの不買運動が展開され、プラスティックやポリエチレンといった素材の登場もあり、セルロイドは姿を消す事となってしまいます。

 日本でもセルロイドは「第5類危険物」に指定され可燃性の規制対象物として消防法によって、製造、貯蔵、取り扱い方法が厳しく定められています。そうした面だけを見てしまうと時代遅れの危険物という感じがしてしまうのですが、どこか懐かしさを感じさせてくれる質感や、微生物によって分解される環境への優しさを考えると、これからの時代に求められる素材のようにも思えてきます。


第2389回 北の湖の巨大魚



 オヒョウというと冷たい海に棲む魚というイメージで、あまりその姿までは思い浮かばないのではと思えるのですが、漢字で記載すると「大鮃」となる事から、巨大なヒラメという事が何となく判ってきます。

 実際にはヒラメではなくカレイの仲間で、インターネットを使って画像検索をすると人の背丈よりも大きなカレイが釣り上げられている場面を多く見る事ができます。

 人の背丈を超えるというだけでも充分に大きいように思えるのですが、オヒョウの大きさはそんなものではないらしく、4mにまで達したという記録も残されているといいます。

 それだけ大きくなるオヒョウですが、成長が早いという訳でもなく、むしろ成長は遅い方だともいわれます。しかし、非常に長寿であり、150年近い寿命を持ちながら着実に成長していく事でそれだけの大きさに達する事ができています。

 それだけの巨体を誇る上に北極海の厳しい環境を生き抜くためか筋肉が非常に発達しており、大型のオヒョウが釣れた際は船に引き上げる前に棍棒などで殴って気絶させるか、ライフルで止めを刺してからでないと危険とされ、長閑な釣りしか見た事がない身としてはどこか遠い世界の巨大魚という存在にしか思えません。

 しかし、オヒョウは意外と身近なところで流通していて、回転寿司で人気とされる「えんがわ」はヒラメのえんがわではなく、オヒョウが代用されています。発達した筋肉の白身は淡白な味わいで、フライやムニエル、白身の刺身として出される事もあり、健康食品の魚由来のフィッシュコラーゲンの素材ともなる事から、気が付かないうちに食べている魚なのかもしれません。

 そんなオヒョウですが、北極海の冷たい海の中でも体が凍り付いてしまわないように特殊な酵素を体内で作り出しているといいます。その酵素を作る遺伝子を植物に組み込む事で、寒さで枯れてしまっていた物が冬でも収穫できるようにしようという試みが進められています。

 実現して一般化すると夏の野菜を冬に収穫するためにビニールハウスや暖房の必要がなくなりエコなように思えますが、えんがわの寿司や白身の刺身、フライなどで知らないうちにオヒョウという巨大魚を食べていたという驚きよりも、オヒョウの遺伝子を持つ野菜を食べてしまっていたというショックの方がはるかに大きいように思えます。できればオヒョウはオヒョウとして食べたいものだと思えてきます。


 

第2388回 強力磁石



 壁際に金属製のネットを設置し、商品をそのネットに取り付けた金具に吊るすという展示方法をよく見掛けます。そうしてたくさんの商品が並べられる中、明らかに他の商品とは雰囲気が異なる物、それがネオジム磁石ではないかと思います。強力な磁力を誇るネオジム磁石は、パッケージの中からも磁力線を発し、商品同士が強固にくっつきあって他の商品に用に力なくぶら下がっている感じがしません。

 ネオジム磁石は、現在存在する永久磁石の中では最強の磁力を持つとされ、その強力過ぎる磁力から手を挟んでしまうなどの思わぬ事故に繋がらないように、取り扱いには充分注意するようにといったこれまで普及していたフェライト磁石には見られなかった注意書きが添えられていて、それだけでも如何に強力な磁石であるかが判ります。

 磁石というと表面がざらついた黒い姿が思い浮かびます。それは広く普及しているフェライト磁石の特徴でもあり、フェライト磁石が酸化鉄を主原料にしている事に由来します。それに対しネオジム磁石は表面が滑らかで鏡面のようになっています。良く磨かれたステンレスのような印象を受けるのですが、実はこの光沢はメッキによるもので、本来のネオジム磁石は非常に錆びやすい事から錆びに強いニッケルなどのメッキが表面に施されています。

 ネオジム磁石の困った特徴として、熱に弱く温度変化によって磁力が大幅に下がってしまう事があります。そのため温度が安定した場所でしか想定した性能を発揮できないという欠点があったのですが、ジスプロジウムを添加する事で温度に対する安定性が高まる事が知られています。

 その強力な磁力について以外ではあまり存在を認識する事が少ないネオジム磁石ですが、パソコンのハードディスクやCDプレーヤー、携帯電話などには欠かせない素材となっています。音楽の低音を表現する事にも適しているとされ、小さなイヤホンでも重低音を再現する事にも寄与しています。

 携帯電話やイヤホンなど、身近な物の使われていて、気が付かないうちに身に着けている事となっていたりします。かつて磁石を身に着けていると病気にならないと考えられた時代がありました。現代の強力な磁石にもそんな働きがあれば、もっと健康的な生活が送れるのにと思ってしまいます。


 
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にんにく卵黄本舗の健康コラムです。
食と健康をキーワードに最新の医療情報から科学技術、食文化や献立まで毎日更新で幅広くお届けします。是非ご覧ください。

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