第2417回 長寿の秘訣



 長寿というと泉重千代さんの名前がすぐに浮かんできます。一時ギネスブックにも最も長生きした人として記載されたり、何の連絡もなく家を訪れた観光客であってもお気に入りの黒糖焼酎を振舞って歓待したり、有名な「好みの女性のタイプは年上」といった発言など、話題に事欠かない人物であった事も大きな印象として残されています。

 残念な事に現在では生まれた頃の戸籍に不備があるとして、長寿の記録に関しては疑義が唱えられて記録は残されていませんが、いわれていた通りの年齢であれば120歳となっていた事になります。

 記録が確かなものと確認されている世界中の長寿者について見てみると、多くの方が110歳代の前半で亡くなっておられ、稀に110歳代の後半まで長生きされた方が見られ、120歳を超えるという年齢はほとんど見られない事から、そのあたりに人の寿命に関する限界があるのではと思えてきます。

 そんな限界を超えたとされた重千代さんに代わり、世界記録を保持しているのがジャンヌ・カルマンというフランスのお婆さんで、確認できている彼女の年齢は122歳と164日だったとされ、唯一の120歳を超えて生きた人として記録されています。

 彼女は1890年に没したゴッホの100周年の記念企画の際、生前のゴッホに会った事がある人物としてインタビューを受けた事で一躍有名となり、114歳の頃には自身の役で映画出演を果たした事から、最高齢の女優としての記録も保持しています。

 86歳でフェンシングを始めたり、100歳くらいまでは自転車で出掛けたりと高齢でも非常に元気で、それほど健康について気を付けるという事もなかったと伝えられています。長寿の秘訣について尋ねられると、病気をしない事と教えてくれるそうで、小さな病気であってもその積み重ねとなると長寿を害するという事には納得させられるものがあります。

 病気をしないために彼女が何かを気掛けていたのかというと、そのような形跡は見られず、むしろ逆の事が多く実についてきます。117歳で禁煙するまで彼女は喫煙者であり、ワインも大好きだったといわれます。何より好んだのがチョコレートで、1週間に1kgものチョコレートを食べていたとされます。野菜が大嫌いで、ほとんど食べる事はなかったとされる事から、とても長寿に繋がる生活習慣とはいえない事が判ります。

 重千代さんも70歳から喫煙を始め、医師に健康への悪影響を指摘されて禁煙する116歳までは喫煙者であり、黒糖焼酎のお湯割りを好んでいた事から、健康的な生活を送ろうとするストレスよりも自然体の方が長寿に繋がるのかもしれないと思えてきます。

 長寿についてはその人なりの要因が大きいように思え、遺伝か遺伝に何らかの生活習慣が重なった事で長寿に繋がると考えていて、長寿者と同じ事をしても長寿は得られないと思っています。そう思ってはいても100歳で自転車に乗れるという元気さはとても羨ましく、何か見習える事はないかと思いながらチョコレートを食べる量を増やしてみようかと考えてしまいます。


 
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第2416回 ロスの低減(2)



 食品ロスの大きな原因とされる「3分の1ルール」は、食品の賞味期限を3等分して、賞味期限の最初の3分の1までに小売店に納入し、次の3分の1の間、店頭で販売。最後の3分の1を切ったら返品などの対象として販売を行わないという商習慣を指します。

 3分の1ルールは1990年代に流通業界を中心に根付いた商習慣とされ、背景には少しでも新しい物を購入しようとする消費者の鮮度志向があるといわれます。

 売り場で見ていると、少しでも日付の新しい物を手に入れようと棚の奥の方から商品を取り出している人を見掛ける事があり、缶詰やレトルト食品などの場合、新しい物は味が充分には染みておらず、製造から1年ほど経過した方が美味しいとされる事から、わざわざ不味い物を選んでしまっているようにも見えてしまいます。

 消費者の鮮度志向は相変わらずのように思えるのですが、食品メーカー側では食品ロス減らすための取り組がすでに始められており、短く設定し過ぎていた賞味期限を延長したり、新たな技術の投入で賞味期限を長く設定する事が可能なようにしていて、この4月には大きな動きがあるとされています。

 東日本大震災以降、食品を備蓄するという意識の高まりも賞味期限の延長を後押ししたともいわれ、販売期間を長く設定できる事や消費者が食品を廃棄する理由の多くを占めるとされる賞味期限切れを少しでも減らす事ができるのではと期待が持てます。

 また、家庭から出る食品ロスは食べ残しや野菜類の皮を厚く剥き過ぎていたり、肉類の脂身を取り除き過ぎるといった過剰除去も多く含まれているとされます。増税以降、節約ムードが高まる中、そうしたロスを見直す事も大切な事なのかもしれないと思えます。


第2415回 ロスの低減(1)



 普段から賞味期限や品質保持期限は目安としてしか見ていないので、それほど表示されている期間に神経質になる事はないのですが、周りの人からはかなり厳格に見ている人と思われてしまっているようにいわれる事があります。

 日本の食品の賞味期限は、メーカーが想定している保管方法で的確に保管されていれば品質上は何も起こりえない事を保障した期間と思えるので、期間内であれば購入した直後の商品に何らかの問題があれば交換などの対応をしてもらえ、期間を過ぎていれば対応してもらえない程度の事と思っています。

 そのため、食品の素材や調理方法などの成り立ちを考え、一定の目安を自分なりに持っていて、賞味期限を過ぎてしまっても自分なりの目安の中であれば食べても大丈夫と思え、逆に目安よりも期間設定が長過ぎる物は不自然な加工がされているようで敬遠してしまいます。

 そうした自分なりのルールに従って食品を管理してはいるのですが、どうしてもついうっかりして食品を廃棄せざるをえない状況になってしまう事があり、そのように食品が廃棄されてしまう食品廃棄物は年間に1700万トンも発生しているとされます。

 食品廃棄物の中でも、まだ食べられる状態にあるのに捨てられてしまう物は「食品ロス」と呼ばれ、食品ロスには大きく分けて家庭から出される廃棄と、飲食店や食品販売店などの業務筋から出される廃棄が存在し、算出方法によって数字に違いはあるのですが、最大で家庭から400万トン、業務筋から400万トン。合計すると800万トンとなり、日本の米の生産量、850万トンに匹敵する重量の食品がまだ食べられる状態にあるのに捨てられている事になります。

 生鮮食品は生産された段階で流通の規定に合わない物、いわゆる規格外品は捨てられてしまいます。規格に適った物でも輸送途中で傷物になってしまうと処分され、設定した賞味期限が過ぎると廃棄に回されてしまいます。加工品も流通業界には3分の1ルールと呼ばれる暗黙の了解があり、賞味期限が残り3分の1を経過してしまった物は返品されたりもします。

 販売店でも欠品を起こさないように実際の販売量よりも多めに在庫を置く必要があり、販売量を上回ってしまっている分はいずれ賞味期限切れを起こす事となります。飲食店でもメニューに掲載している料理用の食材は用意しておく必要があり、注文がなければ管理期間を過ぎた食材は廃棄しなければならなくなります。

 家庭でも購入時は食べるつもりであったものが、気が付くと賞味期限間近となっていたり、買い置きしていた事を忘れて新しい物を購入してしまったりして処分される物もあり、食品ロスは構造的に生じている物であるように思えます。

 世界的に評価される「もったいない」文化を持つ国として、そうした構造的な部分を見直す事はできないのかと思いながら、とにかく自分としてできる範囲からでも始めなければと考えています。


第2414回 黒から白へ



 小さい頃からUMA(未確認生物)が好きで、特集のテレビ番組などがあると、今でもつい見てしまったりもします。正式に発見されたというニュースがない事から、特集番組の中でも発見されずに終わるという結論が判り切っているのに、毎回、ワクワクしながら見ています。

 UMAというと代表格の一つにネス湖のネッシーがいるのですが、以前、調査のためにダイバーが直接ネス湖に潜った事があり、潜水調査を終えて船上に帰還したダイバーの髪は恐怖のために白く変化していたと聞かされた事があります。

 同様のエピソードとしては、王妃マリー・アントワネットが処刑される際、一晩で恐怖のために全ての髪が白髪に変化してしまったとも伝えられ、小説やドラマの中で恐怖や苦悩によって髪が白く変化してしまうという場面はそれほど珍しいものでもないように思えます。

 また、日頃から苦労が絶えないために白髪が増えたという話もよく聞かされ、ストレスは白髪を増やし、特に激しいストレスは一晩で全ての髪を白髪に変えてしまうほどの影響を体にもたらすという印象があります。

 髪とストレスには深い関係があるとされ、ストレスによる毛細血管の収縮は毛母細胞の働きの低下を引き起こしてしまい、メラニン色素を作っている色素細胞、メラノサイトの活動を衰えさせて色素を含まない髪、白髪を増やすと考えられています。

 そのため激しいストレスによって、これから生えてくる髪が白くなってしまう事は考えられるのですが、すでに色素が配合されてでき上がった髪が白く変化する事はないという事が判ります。

 先日、発表されていた研究報告では、毛細血管が収縮して酸素や栄養が充分に行きわたらないと毛母細胞がSOS信号を送り、毛細血管を拡げる働きがある男性ホルモンの分泌を促し、男性ホルモンが皮下脂肪を減少させて頭皮の弾力性を失わせてしまい、毛細血管がより圧迫されてしまうという悪循環が髪を失う原因とされていました。

 後々白く変化するだけでなく、毛髪そのものを失ってしまうかもしれないという事で、ストレスの影響の怖ろしさを再認識してしまい、ストレスの解消、良い付き合い方などを考えてしまいます。


 

第2413回 雪花菜(2)



 江戸時代に出版された豆腐料理の専門書、「豆腐百珍」の中にその白く儚げな姿から「雪花菜」として登場するおからには、今日のような産業廃棄物や栄養価は認めてもダイエットが絡まなければあえて食べようとは思わない食材というイメージを感じる事はできず、江戸の庶民がおからを好んでいた事を伺う事ができます。

 雪花菜と同じように用いられていたおからの愛称に「きらず」というものがあり、包丁を使って切る事なく使う事ができる便利な食材という位置付けを見る事もできるのですが、単なる便利食材としてだけでなく、今日よりも手間暇を掛けた調理法が行われています。

 今日ではおからを調理する際に細かな下処理を施すという事はあまり行われていませんが、当時は滑らかな食感を出すためにすり鉢で丹念にすったり、空煎りをしてパラパラにしたりという工夫が行われています。

 ふりかけとしてご飯にかけたり、ご飯に直接混ぜて白米を増量したりという食べ方も行われていて、白米を好んだ事でビタミンB群の不足に悩まされた江戸庶民の栄養バランスを支えたと考える事もできます。

 当時のおからの食べ方の特徴として、調味料と合せて使うというものがあり、味噌と混ぜ合わせてすり鉢で滑らかになるまですり、鍋に移して水で溶いて煮立て、ご飯を入れて雑炊にしたり、こんにゃくなどの具材を入れて汁物にしたりという利用法や、鍋でパラパラになるまで煎った後、醤油をかけて水分を飛ばし、それを調味料として蒸し魚にかけて食べるといった料理も見られています、

 パラパラになるまで煎ったおからは人気の食材で、味噌汁に入れたり、意外な使い方としてはうなぎのかば焼きを煎ったおからに埋めておく事で、かば焼きが重箱の中で冷めてしまわないようにするという工夫にも使われ、うなぎのタレや脂が染みたおからも美味しくいただけたといわれます。後におからがご飯に変わった物がうな重となったとも伝えられています。

 鍋におからと三枚におろした魚を交互に敷き詰め、酒や醤油をふりかけて煮上げるという料理や、樽の底に敷き詰め、味噌を入れて保管し、味噌を使い切った後に味が染みたおからを食べる事ができるという変わった食べ方も行われていて、今日とは違った多彩な楽しみ方がされていた事が判ります。

 工夫次第で大きく表情を変えて楽しませてくれ、栄養価が高くヘルシーでお得な食材、おからを見直してみなければと思えてきます。


第2412回 雪花菜(1)



 たまにおからの煮物が食べたいと思い、自分で作ろうと売り場まで行く事があります。最近ではおからが売られているのを見掛けなくなりつつあるそうなのですが、行き付けのスーパーでは大きな袋に入れられて、安価な価格で売られています。安価な価格は嬉しいのですが、その大きさは困ったもので、食べ切れない事を考えて購入せずに帰ってしまう事も多々あります。

 おからは豆腐を作る際に出る大豆の搾りかすで、大豆由来の豊富な栄養と大量の食物繊維を含んでいます。表面積が多いために空気に触れている面が多く、適度に水分を含んでいる事や栄養価が高い事が仇になって、雑菌が繁殖しやすく、すぐに使い切ってしまわないとあっという間に傷んでしまいます。

 おからの煮物には具材として根菜類を加える事から、少量のおからでも仕上がりにはそれなりになってしまうので、残されたおからの使い道に困ってしまいます。味噌汁に加えるのも大好きなのですが、それでも使う量は知れていて、他におからを大量に使うレシピはと考えを巡らせながら、意外なほどおからを使うレシピが少ない事に気付きます。

 以前、おからを大量に使うレシピとしてマヨネーズと和えてポテトサラダ風にという話を聞かされた事があるのですが、試してみると旨味の塊りでもあるジャガイモには遠く及ばず、下手に質感が似ているだけに間が抜けたポテトサラダという感じがして、コクを出すために生クリームを加えたり、旨味を足すために顆粒のコンソメを混ぜたり、食感を滑らかにするためにマヨネーズが多めになったりと、散々苦労した挙句、いつものポテトサラダより少し劣る物にしかならなかった事が思い出されます。

 おからはダイエット用のクッキーとして大人気となった事もあり、クッキーやドーナツなどの生地に配合して使われているのを見掛ける事があります。また、凝固剤の発達で昔よりも豆腐を作るために濃い豆乳を使う必要がなくなった事で、おからの発生は少なくなっているともいわれますが、ほとんどのおからは産業廃棄物として処分されてしまっています。

 行き付けのスーパーでは大きな袋に詰め込まれたおからが50円で売られているのですが、たまに料理のレシピを交換し合っている従姉が行く店は、同じ系列のスーパーでありながら中に入っているテナントの違いのせいか、豆腐売り場の前に大きなおからが入れられた容器が置かれ、すくい取るための柄杓とビニール袋も添えられていて、「ご自由にお持ち帰りください」と書き添えられているそうで、必要なだけの量を持ち帰る事ができるのは羨ましく思えてしまいます。

 栄養価が高く食物繊維も豊富でカロリーは低めという事もあり、いっその事、主食として食べてもと考えてもみたのですが、江戸時代の儒学者、荻生徂徠が若い頃を思い返している中で、経済的に困窮し、近所の豆腐屋でおからをもらって来てはそれを米の代わりに食べていて、それがとても辛かったと書き残している事から、主食として食べるにも難があるように思えます。

 荻生徂徠のエピソードは、豆腐が庶民の暮らしに欠かせない食材となった江戸時代にも豆腐の製造に合わせて大量のおからが発生し、今日のように捨てられていた事が感じられ、歴史的な不人気がおからのレシピが少ない原因のように思えてきます。

 しかし、実際は江戸の町ではおからは人気の食材となっていて、いまよりもバリエーションに富んだ食べ方が行われていました。豆腐が大好きだった江戸の庶民は、豆腐の副産物であるおからも大好きであった事が、当時の料理本、「豆腐百珍」に添えられたおからの項に見る事ができ、今日、ぼそぼそした食材として好まれない事には、一工夫が足りないという事に気付かされてしまいます。


 

第2411回 地の底から



 飲食店の排水から油分と水分を分離して、油分の回収を行うためのグリストラップの清掃を微生物の分解機能を使って行うという研究をしていた方と話をさせていただいた事があり、その際、グリストラップがどれほど酷い状態になるのかを聞かされた事があります。

 家庭の排水溝とはレベルが違う汚れなのですが、そのグリストラップに溜まった油分から食用油が造られると聞かされた時は、あまりの事に衝撃を覚えるとともに、もはや人間の所業ではないと思えた事が思い出されます。

 詳しく聞いたところではグリストラップではなく、マンホールの蓋を開けて下水道内に溜まっている黒く濁った塊を原料とするらしく、グリストラップに溜まる油分よりもはるかに程度の悪い物が原料とされている事が判ります。

 下水道から原料となる黒い塊を掻き出す専門の人がいるとの事で、毎日一人当たり桶に4杯ほどの原料が回収されているとされます。回収された原料は一昼夜かけて濾過され、加熱して不純物を沈殿させたり、分離させたりといった複数の工程を経て精製されるそうで、悪臭を放っていた原料はほぼ無臭となるといわれますが、新品の食用油と比べると一目で判るほど黒ずんだ色をしていて、製品にはメーカーや生産者、製造月日などの記載がない事から三無商品とも呼ばれます。

 マンホールから得られる三無商品、地溝油は1トンを製造するのに日本円で5000円程度のコストで済むだけでなく、売価もサラダ油の半値程度である事から中国では広く普及していて、中国で使われている食用油の10%程度が地溝油ではないかともいわれています。

 統計では中国で使われている食用油は年間2250万トンとされ、食用油の生産量が2000万トンである事から、その差である250万トンが地溝油であるという指摘もあり、誰もが口にした事のある物ともいわれます。

 地溝油はその不衛生極まりない成り立ちよりも含まれているとされる最強のカビ毒であるアフラトキシンや、基準値を上回る農薬のDDTなどが怖ろしいのですが、利益率の高さや価格の安さから製造に携わる者がエリートサラリーマン並みの所得を得ているとされる事や、使用するレストラン経営者は使っている事を認識しているので、自分の口には入らないという安心感、取り締まる行政機関の縦割り構造と責任の曖昧さで、実際には取り締まりが機能していないという構造的な部分にも怖ろしさを感じてしまいます。

 すでに日本向けの加工食品の製造にも使われているという懸念もあり、中国を訪れ、現地で食事をしている私も食べているのかと問題の根深さが感じられてきます。アフラトキシンの毒性によって引き起こされる肝臓ガンには気を付けておかなければとも思えてきます。


第2410回 ミルク味噌汁



 基本的には具沢山で、いろんな素材を使って味噌汁を楽しんでいます。洋風や中華の食材を使う事もあり、普段食べている味噌汁との違いに驚かれてしまう事もあるのですが、いろんな食材の美味しさを引き立たせてくれる事も味噌汁という料理の懐の深さだと思っているので、固定観念に捉われる事なくトライしてみる事にしています。

 そうした味噌汁作りの中でお気に入りとなっている物の一つに、牛乳を使った物があります。味噌汁に牛乳を加える事でコクが増し、ほんのりとした甘味が加わって美味しくなると思うのですが、食べた人の感想としては美味しさに驚きながら日本の味噌汁ではないといわれてしまいます。しかし、味噌汁に牛乳を加えるという手法は、日本に古くから存在していた古典的な味付けという事ができます。

 奈良県に伝えられる「飛鳥汁」は、具沢山の味噌汁に牛乳が加えられて仕上げられており、仏教伝来以前、宮中に献上された牛乳を使って作られていた宮廷料理ともいわれます。

 仏教伝来以前は日本でも乳牛が飼われ、牛乳が献上されていたとも、帰化人によって牛乳がたくさん献上されていたために成立したともいわれ、飛鳥汁は高級な料理として食べられていたのですが、仏教の伝来以降、畜肉食がタブー視された事に合せて牛乳も飲まれなくなり、飛鳥汁は途絶えてしまったとされます。

 今日では飛鳥汁は再現されて、郷土の食として学校給食でも出されているそうなのですが、味噌汁の歴史と照らし合わせると何となく違和感を覚えてしまいます。

 古い時代、味噌は調味料というよりも直接食べる食品としての色合いが濃く、今日のような庶民の食として登場するのは室町時代の事とされます。また、調理が簡単で一度に大量に作る事ができる事から、戦国時代に陣中食として考案されたとする説もあり、陣中食として振舞われた事から従軍していた民兵の間に一気に広まったともいわれます。

 味噌の歴史は非常に古く、最近の研究では縄文時代にはすでに穀物を塩蔵していた形跡がある事が判ってきており、それが自然発酵すれば味噌として成立する事になります。味噌が文献上に登場するのは奈良時代で、完全に発酵して「醤」となる前の物として「未醤」の文字が当てられていた事が今日の味噌の語源となっています。

 徒然草の中にも古い時代の味噌の様子が描かれており、北条時頼と北条宣時が酒を酌み交わす場面で、台所に残っていた味噌を肴としており、塩辛い豆をつまんで食べている事には当時の味噌が今日のようなペーストに近い状態ではなく、保存食の豆のような物であった事が判ります。

 味噌汁が広まった理由の一つに、味噌がお湯に溶きやすい状態になったからとされますが、逆に味噌汁が普及していく過程で味噌がお湯に溶きやすい状態に工夫されていったと考える事もできます。

 そうした味噌や味噌汁の歴史を考えると、仏教伝来以前に味噌汁として飛鳥汁が作られていたという事は考えにくいようにも思えるのですが、具沢山の汁物に保存食の豆を加える事で栄養のバランスが良くなるだけでなく、塩味と旨味が加わり美味しくなる事から使われるようになったというのは自然な成り行きのようにも思えます。牛乳入り味噌汁ではなく、飛鳥汁は飛鳥汁以外の何物でもないのかもしれません。


第2409回 すいとんという名の・・・



 第二次世界大戦後の物資も食料もない中、耐えがたい空腹を抱えていた際に手渡された一杯のすいとん。その温かさや美味しさは今でも忘れる事ができないと、感動的なまでの美味しさを聞かされた事がある反面、何もない頃の料理なので食べられるだけましというもので、とても食べられるような物ではなかったと正反対の意見を聞かされる事もあり、実際はどうだったのだろうと今日の素朴な美味しさのすいとんを前に思ってしまいます。

 すいとんは古くから郷土料理として親しまれてきていますが、全国的に食べられてきた地域は分散していて、一地域だけの固有の料理ではないという事ができます。室町時代の文献にはすでに「水団」として記載されており、すでに庶民の食として広く食べられていた事や、調理が簡単な事からその後の戦国時代に陣中食として振舞われ、大幅に認知度が上がった事などが容易に想像できます。

 全国的にすいとんと呼ばれてはいるのですが、地域によっては「ひっつみ」や「はっと」、「つめり」や「とってなげ」、「おだんす」などとあまり関連性のない名称で呼ばれている事もあります。

 小麦粉に含まれるグルテンを利用して煮崩れない団子を作り、餅の代わりに使った雑煮と考える事もでき、手延べうどんの原形ともいえる「ほうとう」との関連性も考えられる事から、自然発生的に小麦粉の食べ方として生まれたようにも思えます。

 そうした素朴な郷土料理のすいとんに対し、第二次世界大戦の中盤から終戦後の食糧難の時代に食べられていたすいとんは、作り方も内容も異なる別物だとされます。小麦粉が不足していた事もあり、団子の生地は緩く溶かれて出汁の素となる昆布や煮干し、かつお節や椎茸も手に入らない事から出汁も取ってなく、わずかな塩味のつゆに生地が浮かぶという物だったともいわれ、具材も入ってはいないか芋の葉や蔓などの食用には使われていなかった部位が用いられて、燃料の不足から団子の生地は生煮えだともいわれます。

 生地を作る小麦粉についても質の悪さが伝えられていて、今日のような真っ白な粉末ではなく黒っぽい色をしていたり、アメリカから支給されたふすまを多く混ぜたりしていたために不味さが助長されていたとも考えられます。

 今日、終戦記念日にすいとんを食べながら当時の事を偲ぶというイベントが各地で行われています。当時のすいとんを美味しいと語れる人は食料事情に恵まれた地域におられたのではと思いつつ、毎年の終戦記念日のニュースに見る田舎風の具沢山のすいとんに、当時を偲ぶ方は違和感を感じていないのだろうかと、すいとんと呼ばれた食糧難の時代の料理の事を調べながら思ってしまいました。


第2408回 そばがき文化



 以前、挽きたてのそば粉をいただいたのですが、そばを打った事がないのでどうしたものかと考えていると、そんな不安が伝わったのか、そながきにして食べてくださいとアドバイスをいただき、なるほどと納得した事があります。

 お椀に入れたそば粉に熱湯を注ぎ、急いで全体を混ぜているとすぐに粘りが出て塊りとなり、それをちぎりながらしょうゆを着けていただいたのですが、素朴なそばの風味が感じられ、たまにはこんなそばの味わい方も良いと思えてきた事が思い出されます。

 そば職人の方からそば粉の鮮度の重要性を聞かされた事もあり、市販のそば粉を購入するという事がないため、その後、自分でそばがきを作る事はなく、そばがき入りのぜんざいを見付けて嬉しくなったり、そば屋で見掛けて注文する程度に留まってしまっています。

 あまり馴染みがなかった事もあり、そばがきには大きく分けて二つが存在していて、私の作り方、お椀にそば粉を入れて熱湯を注ぎ、攪拌したものは「椀がき」と呼ばれ、鍋にそば粉と水を入れて火に掛け、練りながら加熱する「鍋がき」という調理法が存在する事も後に知る事となりました。

 また、信州には「はやそば」と呼ばれるそばがきの一種が伝えられていて、細切りにした大根にそば粉をふり、熱湯を掛けてよく混ぜ、そばつゆなどで味を付けていただくといった食べ方も行われています。

 イメージはそばがきとは大きく異なりますが、フランス、ブルターニュ地方に伝えられる伝統料理の「ガレット」もそばがきの仲間という事ができます。ブルターニュ地方は気候が冷涼なため小麦が育たず、伝統的にそばが栽培されていました。

 収穫されたそばは、粉に挽いて熱湯を注いでかき混ぜて食べるというそばがきそのものがが食べられていたのですが、ある時、落としてしまったそばがきが焚き火に熱された石の上で焼け、香ばしい風味を漂わせた事から、そば粉の生地を焼き上げるガレットが生まれています。

 小石を意味する「ガレ」が語源になっている事もそうしたエピソードの名残りという事ができ、そばがきの進化形であるという事ができると思えます。

 そばは冷涼な気候、痩せた土地でもたくましく育つ事から、世界中で栽培され、それぞれの地域に根差した食べられ方がされてきました。そんな中でもっとも素朴な食べ方、それがそばがきではないのかと思えてきます。


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にんにく卵黄本舗の健康コラムです。
食と健康をキーワードに最新の医療情報から科学技術、食文化や献立まで毎日更新で幅広くお届けします。是非ご覧ください。

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