第2560回 食を育む(2)
食の欧米化というと、健康面にマイナスをもたらす悪い事の代表のようにいわれますが、食は欧米化しなくても食卓は欧米化してほしいと思う事があります。日本と欧米の食卓の違い、最も大きいのは父親の存在ではないかと思えます。
普段、基本的にテレビは料理番組か時代劇しか見ないのですが、内容に合せるように大手調味料メーカーのコマーシャルを多く見掛けます。いつも見掛けるコマーシャルは、忙しい母親の頑張る姿をモチーフにしたもので、二人の子供たちが目覚めて朝食を食べ、夕食を食べるまでが時間毎に描かれていて、子供たちを乗せた自転車で急な坂を登ったり、通勤電車の中であくびをしたり、保育園へ迎えに行った子供たちと慌ただしく食材を買う姿などが描かれていて、忙しい中でもちゃんと料理を手作りする母親の姿を思わず応援したくなります。
気になるのは朝の場面で子供たちが起きてくる中、ソファーに座ってパジャマ姿でノートパソコンを操作してる姿と、子供たちの着替えを手伝う姿、この二つの場面にしか父親は登場せず、手作りの夕食を食べている子供たちを母親が見守りながら「美味しい」と質問する最後の場面には当然のように父親の姿はありません。それを見ている私も当然の事のように受け止め、日本のどこにでもある日常のように感じてしまっています。
欧米では基本的に父親は6時までには帰宅し、率先して食卓の準備を行う事で家族の中でのリーダーシップを発揮するという伝統が残されています。父親が日常的に料理をするという事も珍しくはなく、母親よりも料理上手な父親というのも多く見られています。
テレビを見ながらの食事という事も少なく、父親が不在というのが当たり前の状態で、ほとんどの場合、食卓ではテレビを見ながら食事が行われているという日本の現状を話すと、「ありえない」という回答が多く寄せられるといいます。
食卓に父親が不在という事は家族のコミュニケーション上の問題だけでなく、食事のメニューが子供中心となり、子供が好む物ばかりが食卓に上る事になってしまいます。そこへ忙しさが加わると、子供の食い付きが良く、手早く簡単に作る事ができる物が中心となり、遠くない将来、多くの和食の伝統が失われてしまうという可能性が生じています。
最近、人気のレシピ本を見ると「簡単」や「お手軽」、「時短」といった言葉が並び、多くのレシピで最初にボウルに必要な分量の調味料を入れて混ぜ合わせ、合せ調味料を作る事から料理が始まっています。
砂糖は味が染みにくいので最初に入れ、浸透圧が高い塩は早めに入れて煮汁の濃さを調整。酢は他の味の染み込みを阻害するので遅めに入れて、しょうゆや味噌は風味が失われないように最後に入れて、長く火を通さないという意味から料理の基本として教えられた「さしすせそ」さえも失われてきている事を感じます。
子供たちの味覚や嗜好の変化もいわれる中、和食の伝統を伝えていくという日常的な事がどれほど難しい事になってきているのか、未来について心配な事となっています。
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