第2719回 第6?



 かつて味覚は今日よりも遥かに多くが存在していると考えられ、甘味、酸味、塩味、苦味、辛味、渋味、刺激味、無味、脂身味、アルカリ味、金属味、電気味と12種類もの多彩な味覚があるとされていました。1916年にドイツの心理学者、ヘニングによって甘味、酸味、塩味、苦味が味覚の基本要素であり、他の8つの味覚は基本の4つの味覚の複合によるものである事が提唱され、4つの味覚を頂点に置いた「味の四面体」の面上の位置によって全ての味を表現できると考えられるようになりました。

 それに対し1908年に日本の池田菊苗によってグルタミン酸モノナトリウム塩が発見され、味の四面体上には存在しない第五の味覚である事が判り、第五の味覚は「旨味」としてその後、長く味覚の基本構成は5つの味覚とされてきました。

 先日行われた実験で第五の味覚に続く第六の味覚が発見されたとして、新たな味覚、「脂味」の存在が報告されていました。脂を含んだ料理には特有のコクや美味しさが感じられたりする事から、無意識のうちに脂味を感じていたのかと思えてきます。

 味覚は受容体によってその味の元となる物質が存在する事を認識する事によって発生しますが、これまで脂は味覚の受容体を刺激する物質ではなく、「脂っこい」といった食感に影響を与える物と考えられてきました。今回、102人の被験者に対し、脂肪酸を含む液体と含まない液体を与えて区別させたところ、ほとんどの被験者が脂肪酸が含まれている方をはっきりと区別できた事から、脂は単なる食感だけでなく味覚としても成立している事が考えられるようになっています。

 味覚は嗅覚と共に食べ物が食べられる状態にあるのかを判断するだけでなく、美味しさを感じる事で食べ物を求める原動力ともなります。脂(=脂質)はタンパク質、炭水化物と並ぶ三大栄養素の一つであり、生命の維持に欠かせないものとなっています。脂の存在を味覚として感じ取り、豊富に含まれている食材を栄養価が高いと感じる事は自然な事とも思えます。

 脂の味を感じて、美味しさの一つと認識する事は理解できるのですが、同じく体に欠かせない重要な栄養素であるカルシウムを味覚として感じているとしていた先の研究はどうなったのだろうと思えてきます。

 美味しさは複雑な要因によって構成されているので、基本の5つ以外の味覚が存在する可能性は解るのですが、カルシウム味か脂味か、どちらが第六となるのかを疑問に思ってしまいます。


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第2718回 海老チリの謎



 代表的な中華料理であり、人気メニューの上位にランクされる料理でありながら、「海老のチリソース炒め」、いわゆる「海老チリ」はどこか違和感のあるメニューとなっていました。

 チリソースという言葉は唐辛子、チリペッパーの発祥の地であり、多くのペッパーソースが存在する中南米を思わせ、トマトの赤みと旨味、甘味が活かされたソースはアメリカの影響も感じさせてくれます。そのため中華料理でありながら、中国発ではない雰囲気を感じつつ、世界中の食材を上手に取り込む中華料理の懐の深さ故などと考えたりもしていました。

 実のところ海老チリは中国の伝統的な料理ではなく、日本において考案されていて、日本の四川料理の父として知られた陳建民氏によって日本人向けにアレンジされた四川料理として誕生しています。

 日本で本格的に中華料理店を営む事になった際、陳建民氏は日本人の間に豆板醤の辛味が充分に浸透していない事を考慮し、辛さをマイルドにした四川料理の開発に着手しています。海老チリは四川料理の「乾焼蝦仁(カンシャオシャーレン)」が元になっているとされ、ケチャップや白湯スープ、卵黄などを使って豆板醤の辛味を抑える工夫を施し、調理法を簡略化させる事で完成されています。

 当初は生のトマトなども使われていて、今日のようなレシピが完成するのは陳建民氏が晩年になってからの事だとされ、ケチャップや中華スープの素といった簡単に使える素材を用いている事もあり、急速に普及する事となっています。

 今日ではチリソースのみが市販されているので、海老を炒めて絡めれば出来上がってしまうほど簡単な料理となっていますが、陳建民氏の息子である陳建一氏によると海老の下拵えに手間を掛け、海老の食感にこだわる事が大切とされます。

 生前、陳建民氏は自分の料理について「私の中華料理、少し嘘ある。でも、それいい嘘。美味しい嘘」と話していて、日本人の味覚に積極的に合せた中華料理作りに精力的に取り組んだ事を伺わせています。今日の日本における中華料理の普及に多大な功績を残されたのですが、海老チリもその中の一つという事には大いに納得してしまいます。


第2717回 源氏と平氏、東と西



 暦の上では大暑を迎え、この時期の変化として七十二候では初候に「腐草為蛍(ふそうほたるとなる)」としています。腐った草が蒸れて蛍になるというのですが、清流に育ち、夜の闇に幻想的な光を見せてくれる蛍が腐った草が蒸れた結果として生まれるというのは、とてもイメージできない事と思えてきます。

 日本で蛍というとゲンジボタルが代表格となっていて、蛍の観賞行事で対象となっているのもゲンジボタルがほとんどとなっています。しかし、蛍の種類は意外なほど多く、日本だけでも40種類ほどが棲息していて、暖かい気温を好む事から日本より暖かい台湾には58種類、世界中では2000種類の蛍がいるとされます。

 よく「源氏」がいるのなら対抗する勢力として「平氏」もいるのかという疑問を持ってしまうのですが、武家の双極として争ってこそいなくても「ヘイケボタル」という種がちゃんと存在しています。

 ヘイケボタルは、体はゲンジボタルの半分くらいの大きさしかないのですが、ゲンジボタルの幼虫がカワニナを主に捕食している事に対し、ヘイケボタルの幼虫はカワニナだけでなくモノアラガイやタニシなども捕食していて、普段はゲンジボタルよりも上流域に棲息していますが、ゲンジボタルよりも水の汚染に強いという逞しさを持っています。

 たまに水田に棲息している事もあるのですが、水田が干上がってしまってもエラ呼吸から空気呼吸を併用して泥に潜って生き延びるという能力も持っていて、史実には反して源氏よりも平家の方が遥かに強いと思えてきます。

 成虫が出現する期間もゲンジボタルよりもはるかに長く、5月から9月頃まで発光を見せてくれるので、ゲンジボタルに固執せずにヘイケボタルの普及を図った方が、初夏から秋にかけてたくさんの人を楽しませてくれそうな気がしてしまいます。

 蛍が発光する理由は、他の動物が自己主張をする際と同じように求愛行動と思われがちなのですが、どうもそれだけではないらしく、メスの蛍や幼虫も発光する事や、夜行性ではない種の蛍はほとんど発光しない事から敵を脅かしたり、食べるべきではない存在である事をアピールするためといわれています。

 あまり知られていませんがホタル科の昆虫には毒を持つものがいて、蛍に姿や配色を似せる事で天敵から身を守っている昆虫も存在している事から、幻想的で美しい蛍の発光は蜂の毒々しい縞模様と同じような効果を持つものかと驚かされてしまいます。

 家電製品で東日本と西日本では電気の周波数が違うといわれる事がありますが、蛍にも東と西で光り方に違いがあり、東日本では4秒に一回の間隔、西日本では2秒に一回となっています。

 それが最近では蛍を観賞するイベントなどで飼育された蛍が放流された事により、本来のその地域では見られない間隔で光る蛍が確認されるようになってきているとされます。

 放流された他地域の蛍と在来の蛍が交配する事で遺伝的汚染が広がって、在来種の静かな絶滅に繋がっているともいわれ、保護されて見掛ける機会が増えてきている蛍も実は大変なのだと思えます。

 長い事、蛍を見ていないので、いつかゆっくりと時間を作って蛍を見に行き、その際は発光する間隔をしっかりと確認して、東の蛍か西の蛍かを確認したいと思っています。


 

第2716回 副作用人格



 先日、興味深い研究が行われていました。健康な男女の被験者175名に軽い電気ショックを受けてもらい、苦痛を受ける代わりに報酬を受け取ってもらえるようにします。7回の電気ショックを受けると10ドルが受け取る事ができ、10回だと15ドルという風に設定し、苦痛の量と報酬額を選択できるようにします。

 また、苦痛は自分だけでなく他人にも与えられるようにし、その際、報酬は他人ではなく本人だけが受け取る事となります。そうする事で苦痛を我慢してでも高い報酬をもらおうとする報酬への執着度や、報酬のために他人を犠牲にできるかといった傾向を知る事ができるのですが、ほとんどの場合、一般的には他人を犠牲にするのではなく、自らが苦痛を受ける事で報酬を得る事を選択する傾向が強いとされます。

 ところがそこに鬱病の治療薬であり、脳内のセロトニン量を増やす「シタロプラム」やパーキンソン病の治療薬でドーパミン量を増やす「レポドーパ」といった薬剤を投与した場合、実験の結果に微妙な違いが生じたといいます。

 シタロプラムを与えられた被験者は、対照として偽薬を投与された被験者と比べ、報酬は低くても電気ショックが少なくなるような選択を行うようになり、報酬を受け取るには他人を犠牲にするより自らを犠牲にする方を選ぶという事については変化がない事が観察されています。

 それに対し、レポドーパを投与された被験者では報酬に対する執着心には変化が見られなかったのですが、自らよりも他人を犠牲にして報酬を受け取る事を選択する傾向が強くなる事が確認されています。

 二つの結果からシタロプラムは、ストレスから逃れる逃れるためには報酬を失う事も厭わないという逃避傾向の強まり。レポドーパについては報酬をより良く得るためには他人の犠牲も構わないという利己的性格の高まりが観察された事になり、反社会的な性格を助長する困った副作用として報告されています。

 セロトニンやドーパミンは性格を左右する事もある脳内物質でもあるので、今回の研究は治療目的とはいえ濃度を高めてしまう事は何らかの性格的変化を伴う事を念頭に患者と接する必要性を示しているのかもしれないと考えています。


第2715回 消費量の話



 味噌汁が大好きで、いろんな素材を使って作っているのですが、素材によっては出汁の出かたが弱く、今一つ旨味に欠ける事があります。そんな際、密かに活躍してくれるのがケチャップで、自己主張しない程度の少量を加える事でトマトに凝縮されている旨味が美味しさを引き立ててくれます。

 味噌汁に限らず煮物や炒め物、カレーなど、さまざまな場面で活躍してくれる事や、オムレツやオムライス、スパゲティ・ナポリタンなどを作る頻度も高めである事からケチャップのヘビーユーザーではと思う事もあるのですが、ケチャップ王国のアメリカ人には敵わないと思えてきます。

 アメリカのケチャップの消費量は4000万リットルともいわれ、世界中のどの国と比較しても別格といえるほど高い消費量となっています。どちらかというと若い消費者の方が多く使う傾向にある事から、世界のケチャップの半分はアメリカの若年層によって消費されているという意見もあるほどです。

 目を日本国内に移すと、ケチャップを最も多く消費する県は2008年までは当地、熊本となっていました。トマトの名産地である事からトマトの美味しさに馴染みがあり、ケチャップという調味料に親和性が高い土壌があったという事ができるのですが、その熊本を抜いて2009年以降、消費量第一位となっているのが和歌山県となっています。

 和歌山県でケチャップの使用量が多い理由としては、元々梅やみかんの名産地であった事から、酸味を愉しむ食文化が根付いている事や、大手メーカーのケチャップ工場がある事、外食をあまりしない県民性のために家庭での調味料の使用が多くなる傾向にある事などがいわれています。

 以前、長野を旅行した際、谷間に造られたケチャップ工場のせいで谷全体にトマトの香りが充満しているという事を経験した事があります。トマト好きには、うなぎ屋から漂うタレの香りのような効果がありそうに思えたのですが、和歌山県ではそのような状態にあるのかとふと懐かしく思い出してしまいます。


第2714回 本場のラグー



 本場のナポリに「ナポリタン」というスパゲティが存在しないように、イタリアに「ミートソース」というパスタも存在しません。ミートソースという言葉自体が如何にも和製英語のようなのでやはりそうかと思えるのですが、トマトと挽き肉を使ったイタリアンテイストに溢れたパスタソースが存在しないのかというと、イタリアでは「ラグー」と呼ばれるものが日本のミートソースに当たります。

 ラグー、ラグー・アッラ・ボロネーゼは「ボロネーゼ」と略される事もあるソースで、タマネギやセロリをはじめとする香味野菜と一緒に炒めて風味を付けた挽き肉と、トマトや赤ワインを使ったイタリアの家庭の味となっています。

 ラグーという名称はフランス語の「煮込み」を意味する言葉が語源となっていて、フランスに隣接したボローニャの街の裕福な人たちが、それまで簡素だったパスタ料理を豪華にするために、フランス料理の煮込みを元に肉や野菜、赤ワインなどを贅沢に使った料理を作らせた事が起源とされています。

 イタリアの料理アカデミーによる正式なレシピでは牛肉、イタリアの塩漬けの豚バラ肉であるパンチェッタ、タマネギ、ニンジン、セロリ、トマト、ブイヨン、赤ワインに制限され、任意で生クリームか牛乳を加える事は認められていますが、それ以外の素材を加える事は伝統的なラグーとしては認められない事となっています。

 食べ方としては厚さ1ミリ、幅8ミリ程度の細長いリボンのようなパスタ、「タリアテッレ」と合せる事が定番となっていて、スパゲティに和える食べ方はイタリア国外での事となりますが、近年ではイタリアに逆輸入される形でスパゲティ・ボロネーゼが食べられるようになってきています。

 日本でスパゲティ・ボロネーゼが食べられるようになったのは、第二次世界大戦後、神戸のイタリア料理店、「アベーラ」の店主、オラッツィオ・アベーラが「スパゲティ・ミートソース」としてメニューにした事が始まりとされ、その後、大手調味料メーカーから缶入りのパスタソースとして発売された事で広く知られる事となっています。

 ミートソースはラグーと同じような作り方をする事もあれば、炒めた挽き肉やタマネギなどをケチャップで煮込むという別系統の作り方をされる事があり、食べ方もタバスコをかける事もあってアメリカの食文化のように思える事もあります。しかし、アベーラが起源であるとするとイタリア、ボローニャの食文化と思えてきます。

 また、ミートソースとラグーは別物としてトマトに使用量の違いを指摘する意見もあり、ラグーの成立当時、トマトが貴重で高価な食材であった事がラグーではあまりトマトを使わず、ミートソースではたくさん使うという違いに繋がったという歴史的背景が語られる事もありますが、富裕層が贅沢品として作らせた事を考えるとトマトはたくさん使われたようにも思えて、単にイメージ的ものと考えてしまいます。

 最近では手軽なレトルトのパスタソースで済ませてしまう事も増えたのですが、じっくりと手間暇を掛けて作られるボローニャのラグーに思いを馳せながら、手作りして見るのも楽しいと思えてきます。


第2713回 加糖と無糖(2)



 子供の頃、トーストにコンデンスミルクを塗って食べるのが大好きで、たくさん塗ってしまうとトーストが傾いた時にコンデンスミルクが垂れてしまうので、食べにくくなってしまうのですが、ミルクの風味が好きでいつもたくさん塗って食べたいと思っていました。

 それに対しエバミルクの存在を知ったのは自分で料理を作るようになってからの事で、何となく名前は知っていても使い方が判らず、必要となる場面も出てこない謎の乳製品という印象が強かったように思えます。

 エバミルクは日本の乳等省令では、「乳脂肪分7%以上、乳固形分25%以上、細菌数0」と成分が決められ、「濃縮乳であって直接飲用に供する目的で販売されるもの」と定義されています。しかし、エバミルクを直接飲用する話はあまり聞かれず、コーヒーや紅茶に加えるには生クリームの方が主流となっている事から、ホワイトソースやクリームシチュー、タイ風カレーやクリーム煮などの料理に使われている方が多いように思えます。

 エバミルクの製法は牛乳を加熱殺菌した後、半量になるまで煮詰め、成分を均一化して容器に充填します。コンデンスミルクのように殺菌成分となる高濃度の糖分を含まない事から、充填後の容器ごと加熱殺菌が施されて完成となるのですが、この製法は1885年にスイスのメインバーグによって確立されており、ニュートンによるコンデンスミルクの発明から50年、ゲイル・ボーデンの工業化からは29年という遅れに牛乳という栄養価の高い食品を細菌から守る事の難しさを感じてしまいます。

 省令によって細菌数が「0」であるように定められているのですが、食品の原料として加工される際は殺菌が行われる事から、あえて細菌数を一般的な食品と同じ程度の緩やかなレベルにした製品も存在し、成分的にはほとんど同じでもエバミルクではなく「濃縮乳」と呼ばれ、大規模な容器への充填や厳密な殺菌工程の省略でコストダウンした乳製品として販売されていて、エバミルクの名前は見掛けなくても意外と接しているようにも思えます。

 今日では脱脂粉乳やカゼインなどの粉末の原料や植物性脂肪、増粘多糖類などを加えて濃度や風味を調整した製品が一般的となり、単純に生乳を煮詰めるというメインバーグの製法とはかけ離れてしまったのですが、コンデンスミルク同様、優しいミルクの風味に溢れた食材として接していきたいと思っています。


第2712回 加糖と無糖(1)



 先日、糖分無添加のコンデンスミルクという物を発見し、思わず糖分を加えていないのであればコンデンスミルクではなくエバミルクではと突っ込みを入れたくなってしまいました。

 一般的に練乳というと濃厚なミルクの風味と甘味、とろっとした食感の乳製品を思い浮かべますが練乳には糖分を加えた「加糖練乳」と加えていない「無糖練乳」が存在し、加糖練乳は英語の「甘味を加えて濃縮したミルク」という言葉からコンデンスミルクと呼ばれています。

 それに対し糖分を加えない物は、「沸騰させて水分を除いたミルク」という意味を持つ「エバポレーテッドミルク」を縮めてエバミルクと呼ばれ、糖分を加えていないためにとろみが少ない事から、コンデンスミルクのようなチューブ入りの製品を見掛ける事はありません。

 コンデンスミルクはミルクに砂糖を加えて煮詰め、全体に光沢が出てきたら火を止めて冷却し、しばらく寝かせるという製法で作られています。この製法は1835年に万有引力で知られたニュートンが考案したもので、砂糖を加える最大の理由は美味しさのためではなく、糖度を高める事で細菌の繁殖を防ぎ、牛乳の保存性を高める事にあります。

 最近の製品は安全性への配慮から充填後に加熱殺菌されていますが、ニュートンはこの方法で充填後の加熱殺菌工程を省略する事が可能としており、その後、コンデンスミルクはアメリカのゲイル・ボーデンによって工業的な生産手法が確立され、大規模な生産が行われるようになっています。

 日本でもコーヒーにコンデンスミルクを加えたベトナムコーヒーが人気となってきていますが、かつてベトナムでは新鮮な牛乳を得る事が難しかったため、保存性の高いコンデンスミルクを牛乳代わりに使った事がベトナムコーヒーの由来となっています。同じように香港ではミルクティーに使われ、コンデンスミルクの保存性の高さが重宝された事を伺う事ができます。

 乳製品の流通が整えられ、乳製品の入手が容易になるとコンデンスミルクは保存性の高さよりもミルクの風味と甘さの方が注目され、飲用としてでなく調味料としての利用が多くなっていきます。

 かき氷やいちごにかけたり、お菓子やアイスクリームの材料として広く普及しており、あまり馴染みはありませんが、コンデンスミルクを缶ごと数時間茹でて、中のコンデンスミルクにメイラード反応を起こさせて風味と色合いに変化を加えた「ドゥルセ・デ・レチェ」は中南米で人気のソースとなっています。

 子供の頃から親しんできたコンデンスミルクの発明者がニュートンという事には驚かされてしまうのですが、工業化に成功したゲイル・ボーデンの名が人気のアイスクリームの商標に使われていた事にも驚いてしまいます。


 

第2711回 酒屋変遷(3)



 酒造りの上手な人が美味しいと評判の酒を造り、その酒を何らかの代価を払って飲ませてもらう、そう考えると居酒屋とは非常に古い商売のように思えます。いつ頃から居酒屋が存在していたのかというと、紀元前18世紀の古代バビロニアにはすでに居酒屋が存在していたとされ、居酒屋に関する最も古い記述は「ハンムラビ法典」となっています。

 古代バビロニアの法律書であるハンムラビ法典には居酒屋について細かな決まりが記されていて、酒の代金は大麦で払う事、尼僧は来店してはならない事など事細かな規定が定められています。

 その後、紀元前1300年頃には居酒屋の文化は古代エジプトへも広がり、ビールやワインなどが飲まれていて、特にビールは頻繁に飲まれていました。エジプトの気候的にビールの生産が可能であったため、安価な価格で売られていた事が普及に繋がったという事ができ、ブドウの栽培に向かない事からワインは輸入に頼らざるを得ず、比較的高価であった事もビールが好まれた理由と考える事ができます。

 紀元前670年頃にリディア王国で貨幣の鋳造が行われるようになると貨幣経済が浸透するようになり、居酒屋は更に商売としての成り立ちを強めていき、尼僧の来店禁止も解除されると居酒屋は地域の娯楽施設へと変化し、貨幣経済が本格的に浸透すると居酒屋は宿泊施設の機能も兼ね備えるようになっていきます。

 世界の三大宗教、キリスト教とユダヤ教、イスラム教の中で飲酒を禁じているのはイスラム教だけで、キリスト教とユダヤ教は飲酒に対して寛容な姿勢を採っています。そのためキリスト教とユダヤ教が普及した地域には居酒屋の文化も伝えられており、二つの宗教の広がりと共に居酒屋も広まったともいわれ、布教活動が居酒屋文化の伝播に大きな役割を果たしたという事ができます。

 そんな居酒屋の普及が本格的になるのは11世紀以降、荘園制度による農地改革によって農奴とされていた人たちが農地経営が可能になってからの事で、居酒屋が本格的に普及するのは庶民の力が必要という事ができ、いつの時代も居酒屋は庶民の娯楽の場と思えてきます。


第2710回 酒屋変遷(2)



 徳利を持参して酒を購入し、中に注いでもらって持ち帰る。時代劇などでたまに見掛ける酒屋の風景で、安価なガラスビンなどの容器がなかった時代、繰り返し使う事ができる徳利は酒やしょうゆ、油などの購入、貯蔵に重宝する物となっていました。

 酒屋が店名が入った徳利を用意してそれを客に貸し出し、客は中の酒を飲んでしまったら徳利を持参して、また酒を購入するという非常に合理的な「通い徳利」という制度も江戸時代には定着していました。

 そうした酒を販売する場所であった酒屋がその場で酒を飲ませる「居酒」を行うようになって評判となり、「居酒致し候」という張り紙を出すようになった事が新たな酒屋の業態、居酒屋の誕生に繋がりました。居酒屋に限らず酒屋のビジネスモデルは時代と共に変遷し、時にはおよそ酒屋とは思えない商売を行っていた事もあります。

 酒の醸造は古くから行われており、酒屋という言葉の語源については、村人が共同で酒を作る小屋の事を酒屋と呼んだのが始まりとされます。古い時代、酒造は「造酒司(みきのつかさ)」と呼ばれる役所の管轄となり、醸酒料として租税が徴収されていたのですが、奈良時代を迎えると貨幣経済が発達した事もあり、寺院などで大規模な醸造が行われて酒の販売が行われるようになっています。

 平安時代から室町時代にかけて酒造りは民間の業者に広まり、大規模な醸造と流通が行われるようになっていきます。鎌倉時代には都市部を中心に貨幣経済が本格化した事もあり、民間の酒造業者の中には大きな財を成すものが見られるようになり、酒造りで築いた財を元手に金融業を行う業者も現れます。

 酒造りで成した財を高利で貸し付ける方がビジネスとしての旨味が多いためか、中には酒造りは廃業状態で金融業に勤しむ醸造業者も増えてきて、醸造業を行うものは「造り酒屋」、金融業者は「酒屋」と分化して、特に隆盛を極めた室町時代には酒屋といえば金融業者を指す言葉となっていました。

 室町時代の中期以降、弱体化した幕府や経済的に困窮した朝廷に対して酒屋は政治的発言力を強めていき、安土桃山時代には日本という範疇を超えて東南アジア諸国との南蛮貿易にも進出するようになって豪商化し、醸造業者、金融業者の域を超えて総合商社としての機能を持つようになっていきます。

 江戸時代に入ると他所で醸造された酒を仕入れて販売する今日の酒屋に近い商店が出現し、豪商化した酒屋は酒屋とは呼ばれなくなり、ようやく酒屋という呼び名は酒と縁がある商売へと戻ってくるのですが、かつて酒屋へ行くというとお金を借りに行くという意味になるとは、今では想像もできない事となっています。


 
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にんにく卵黄本舗の健康コラムです。
食と健康をキーワードに最新の医療情報から科学技術、食文化や献立まで毎日更新で幅広くお届けします。是非ご覧ください。

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