第3031回 か細き君に(2)



 インターネットで節約料理のレシピを探すと、その多くにもやしが使われていたりします。安価な食材の代名詞的存在という事を感じる事ができ、天候不順で野菜が高騰しても安定的な安値で入手する事ができるとてもありがたい存在ともいえます。

 養鶏技術の進歩や安価な輸入飼料の確保などによって、総合的な物価は上昇しているにも関わらす販売価格がそれほど上昇していない卵が物価の優等生といういい方をされる事がありますが、もやしはそれを上回る存在となっていて、現在のもやしの平均的な販売価格は40年前の価格を下回っています。

 栽培方法に大きな技術革新があったという訳でもなく、人件費や原材料となる緑豆の価格も上昇しています。それでももやしの販売価格が上昇していない理由は、過剰な価格競争があるといわれます。

 季節を問わず年間を通して安定して生産され、天候の影響も受けないもやしは安売りの目玉商品とされる事も多く、もやしを安く売る事でスーパー自体の安売り店としてのイメージ作りができる事から、仕入れ価格よりも安価に販売される事ももやしの廉売を助長しています。

 緑豆のほとんどは中国から輸入されていますが、10年前と比べても価格は3倍にも上昇しているとされ、もやしの生産では利益が出にくい状況となっているいいます。

 そんな状況下、緑豆の産地での天候不順による不作や価格高騰、品質の低下からくる発芽不良といった歩留まりの悪さが生産者を直撃し、このままでは生産者数は半減するとも危惧されています。

 このままではもやしが身近な存在ではなくなるというのも遠い日の事ではないと心配になりながら、もやしの生産者を応援するためにもやしを購入すると不当に廉売されている現状を肯定しているようであり、買わない事はもやしの流通自体をダメにしてしまうようで、どうしたものかと悩んでしまいます。


 
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第3030回 か細き君に(1)



 以前、行き付けのスーパーで納豆が非常に安価に売られていたので何となく購入してみたのですが、どうしても食べたいと思って購入したのではないため、また今度と思っているうちに時が過ぎて捨ててしまう事になるという残念な結果に終わってしまい、その事について話をした事があります。

 非常に安価だったので賞味期限切れによって廃棄してしまったとしても経済的な損失はそれほどでもないのかもしれませんが、食べ物を無駄にしてしまったという自己嫌悪は残ります。価格的に販売していたスーパーにも利益はないと想像され、おそらく赤字分を広告費と考えて集客だけを目的とした安売りではなかったのかと思えます。

 集客企画とはいっても安売りの納豆だけのために出掛けるとも思いにくく、それほど販売促進には繋がってはいないのではと疑問に思いながら、店側の損失を少なくするために納入しているメーカーにも協力要請があった事を想像してしまいます。

 主要な卸売り先であるスーパーの申し出を無下に断る事も出来ず、メーカーでは値引きの要求に応えた納入が行われた事が考えられ、そうした要求が普段から想定される事から利幅を確保するために原価率の抑制が図られていて、それは原材料の供給元である大豆農家へも向かった事が考えられます。

 安値での買い上げを提示される大豆農家では、コスト高となる有機栽培や手間暇かけた育成ができなくなり、原材料となる大豆も不幸な育ち方をしてしまう事になります。

 充分な利益を確保できない栽培農家、メーカー、スーパーも幸せを享受できたとは思えず、購入者である私も結局は自己嫌悪しか残らず、過剰に安価な納豆は誰も幸せにする事なく商品としての生涯を終えた事になります。

 消費者としては商品が安く買えるという事はありがたい限りなのですが、過剰な安さの結果は誰も幸せにはならないという残念なものだと思えてきます。同じような事は身近な食材である「もやし」でも起こっていて、もやしの供給に深刻な影を落としているともいわれるようになってきています。

 このままでは関わる人すべてが不幸になるというだけでなく、もやしの生産者が激減してしまうとまでいわれる事態に危機感を募らせています。


 

第3029回 傘の歴史(3)



 東洋における傘の歴史は、古代の中国において始まります。当初は高貴な人に差し掛ける魔除けとして使われ、朝鮮半島を経由して日本へも伝えられています。

 日本に伝えられた傘は、平安時代には発達した製紙技術や竹細工の技術を取り込みながら独自の発展を見せ、室町時代には和紙に油を塗布する事で防水性が高められ、骨を支える「ろくろ」と呼ばれる部品の発明によって開閉性も確立されています。

 傘を専門に制作する職人も登場し、江戸時代に入る頃には各作業の分業化が進み、大量生産が可能となっています。よく時代劇に傘を貼る内職をしている「傘貼り浪人」が登場しますが、実際に多くの浪人たちを養うほどに傘を貼る仕事は存在していたといいます。

 日本は雨が多い事や和傘が紙で作られていて、布製の傘に比べて耐久性に劣るという事もあるのですが、江戸時代の絵画にも傘は多く登場していて、その当時から日常的な生活必需品として普及していた事が高い需要となっていたと見る事ができます。

 そうした高い需要を支えていたのは、竹製の頑丈な骨の再利用で、早くから和傘はリサイクルのシステム化が確立されていました。

 破損した傘は下取りされて貼られた紙が剥がされ、骨の状態によって新しく綺麗な「上物」、平均的な使用感の「中物」、傷んできている「廉価物」に分けられて傘貼りの内職へと渡されていました。

 また、広げられた傘が多くの人の目に触れる事に着目し、店の屋号が描かれた傘を無料で貸し出す事で宣伝効果を得る事も行われていて、傘は安価に利用できる身近なものという意識が早くから定着していきます。

 その後、明治維新を迎えて鎖国が解かれると、洋傘が導入されて和傘は急速に廃れていきます。世界に類を見ない傘のリサイクルシステムも同時に失われてしまうのですが、合理的な分業による大量生産とリサイクルの伝統は日本人に傘を安価な日用品という意識を根付かせ、やがてビニール傘という独自の発展を見せる事となります。日本における傘は独特な文化を持ち、ヨーロッパとは明らかに異なる価値観を持つものと思えてしまいます。


 

第3028回 傘の歴史(3)



 遺言状に誰に継がせるかが明記されるほど高価な贅沢品であり、資産というだけでなく富と権力の象徴でもあった傘。一部の限られた人にしか使えなかったものが一般の人にも使われるようになったのは、古代ギリシャのアテナイの事だったといわれます。

 一般の人とはいっても王族や神像ではないというだけで、貴族の婦人である貴婦人が従者に持たせて使う様子が絵画に残されていて、相変わらず高貴な人にしか使う事ができないものであった事が窺えます。

 傘が贅沢な存在であり続けた理由の一つは、傘が天蓋から派生したものであった事が考えられ、もう一つの理由は当時の傘は閉じるという機能がなく、携帯性が低い事から従者に持たせるという使い方にあったように思えます。

 ヨーロッパで今日のような開閉式の傘が作られるのは13世紀のイタリアの事で、骨にはクジラの骨を削ったものが使われていました。1533年にフランスのアンリ王子にメディチ家のカトリーヌが嫁いだ際、開閉式の傘も持参され、その後、ヨーロッパ中に広がっていきます。

 今日の傘に近い構造のものが開発されるのは18世紀のイギリスの事となるのですが、その当時でも傘の役割は陽射しから女性を守るためのもので、雨の日には成す術もなく濡れるという事が続いていました。

 ヨーロッパで雨傘が使われるようになったのは1750年、旅行家で著述家、商人でもあったジョナス・ハンウェイがペルシャを旅行した際、中国製の雨傘と出会い、衝撃を受けた事がきっかけとなっています。

 雨傘を持ち帰ったハンウェイはロンドンの街で雨傘を使う事となるのですが、その当時、傘は日除けのために女性だけが持つものと考えられていた事から、雨の日の男性の傘は非常に奇妙なものとして受け止められてしまいます。

 それでも彼は変人扱いをものともせずに傘を使い続け、30年も経過する頃には雨を防いで濡れずに済む雨傘を使う男性が普通に見られるようになっています。

 一人の紳士の行動によって広まった雨傘という文化ですが、天蓋から派生した権力の象徴、高貴な女性が使う富の象徴、資産という歴史的背景や、一般化した後もお洒落アイテムn一つといった側面がヨーロッパにおける傘の高価な位置付けを決めているようにも思えます。


 

第3027回 傘の歴史(1)



 長年付き合ってきた愛用の傘が傷んできたので、思い切って買い替える事にしました。お気に入りという事もあって、まだ使えるという思いが使用期間を長引かせてしまっていたのですが、色褪せてダメになってしまって別れるというよりは、余力を残しての引退の方が傘も喜んでくれそうな気がします。

 新たに購入した傘は和傘をモチーフにしたデザインで、通常のものよりも3倍も傘を支える骨があり、しっかりとした作りになっています。骨に支えられた布の撥水性も向上しているらしく、表面に付いた水分はすぐに水滴となって落ちていきます。

 知らないうちに傘も進化しているのだと思いながら、木や竹から鉄、アルミニウム、グラスファイバー、カーボンへと素材が変化した骨や、撥水性が向上したり、濡れると色が変わって柄が浮き出る、紫外線を遮断してくれるといった布の進化について思いを巡らすのですが、傘自体は構造的にはずいぶんと長い間、変化がなく、普遍的な存在のように思えてきます。

 傘が人の歴史に登場するのは約4000年ほど前といわれ、古代エジプトやペルシャの壁画やレリーフにその存在が記されています。当時の傘は現在のような雨を避けるためのものではなく、高貴な人を強い陽射しから守るものとして従者がかざす形で描かれています。

 古代ギリシャでは神の威光を示すものとして、祭礼の際に神像の上にかざされ、古代アッシリアやインドでも高貴な人を酷暑の陽射しから守るものとして使われていました。

 当時の傘は開いた状態で作り上げられていて、今日のように閉じて持ちやすくするという機能はなく、誰かにかざしてもらう大変な贅沢品となっていました。遺言状に傘を継がせる後継者名が記されている事も珍しくなく、長らく富と権力の象徴となっていた事が窺えます。

 遺言状に傘というと、安価なビニール傘に慣れた身としては大いに違和感を覚えてしまうのですが、傘を安価なものと感じる感覚は日本固有のものではと傘の歴史を見ていると思えてきます。


 

第3026回 疲労回復定食



 かつて美味しいけど健康を考える上ではあまり良いとはいえない、そんなメニューの一つとうのが「とんかつ」の位置付けにあったように思えます。サクサクに揚げられた衣に包まれた柔らかな豚肉と、それに合わせられる酸味と旨味、甘味が利いたソースという組み合わせは、ダイエットの強力な敵のようにも思われていました。

 そんなとんかつの評価が変化し始めたのは、ダイエットの考え方の主流がカロリーや脂質の摂取の制限といったものから糖質を制限して血糖値の急激な上昇を抑えるといったものへと移っていったためで、高カロリーや揚げ油、豚肉に含まれる脂肪といった呪縛からとんかつを解き放ってくれたともいえます。

 少しずつ評価が変わってきているとんかつの新たな位置付け、それは現代人に必要な疲労を回復させてくれる滋養食となっています。特にさまざまな食材と合わせられるとんかつ定食は、多くの栄養素を含んでいる事から疲れた時には食べておきたい、そんなメニューとなっています。

 もともと豚肉はエネルギーの生産に欠かせない栄養素であるビタミンB1が豊富とされ、定食として一緒に食べられるごはんや味噌汁、薬味のネギや付け合わせのキャベツ、味付けのソースなどにもビタミンB1は含まれる事から、一食で一日に必要とされる推奨量を遥かに超えるビタミンB1を摂取する事ができます。

 また、同じく疲労回復に役立つビタミンB2やナイアシン、パントテン酸なども多く含まれている事や傷んだ筋肉を補修するタンパク質も多い事も疲労を速やかに軽減してくれると考える事ができます。

 店によっては最初にすり鉢に入れられた大量のごまを渡され、注文した定食が出てくるまでにごまをすって待つという事もあるのですが、その場合、ごまに含まれるビタミンEやセサミンが活性酸素の除去に働きかけて、疲労による酸化ストレスやエネルギー生産の際に発生してしまう活性酸素を除去してくれます。

 カロリーばかりが意識されていたとんかつですが、体内で利用されやすさの指標を示すアミノ酸スコアに優れた豚肉が使われている事を考えると、再評価されてきている事にも納得してしまいます。


 
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にんにく卵黄本舗の健康コラムです。
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