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第3113回 古き友、さらに古く



 朝、洗顔を終える頃になると坊ちゃんがやってきて、「僕も」という感じで足に擦り寄ってきます。それを合図に坊ちゃんの部屋へ行き、二人にとっての一日の始まりとなるブラッシングをします。それが私にとっての至福の時間となって久しく、欠かせない時間となっています。

 空前の猫ブームといわれながらその勢いは一向に衰えを見せず、相変わらず猫は人気者として人と猫との関りの深さを感じさせてくれます。人と猫との出会いは今から約1万年前、現在のイラク周辺にあたるメソポタミアの事と考えられています。

 メソポタミアでは農耕という文化が生まれ、土地を耕し、麦などの穀物を育てるようになりました。穀物を収穫して貯蔵庫に保管するようになると、それを狙ったネズミの被害が顕在化してきます。

 そんな悩みから人を救ってくれたのが現在の猫の祖先にあたるリビアヤマネコで、人が寝静まった真夜中に穀物の貯蔵庫に侵入してネズミを捕食していたと考えられます。

 人に危害を加える事もなく、人が寝静まった頃にやってきて、ネズミを退治してくれる猫はありがたい存在というだけでなく、その愛らしい姿から食事の残り物などを貯蔵庫の付近に置いて、徐々に人と猫の距離が縮まっていった事は容易に想像する事ができます。

 そうして人と共に生活するようになった猫が日本へやってきたのは奈良時代、仏教の経典をネズミから守るために中国から連れてこられたと考えられています。しかし、最近になって経典の守護者として渡来したという説は揺らいできていて、日本人と猫との付き合いは更に古いものであったという事が判ってきています。

 2007年に姫路市の見野古墳群で見付かった土器には、猫のものと思われる足跡が残されていて、人が猫と共に生活していた事が覗えます。年代測定の結果、1400年前のものと推定され、古墳時代の後期に作られた事になります。

 さらに2008年には長崎の壱岐島にあるカラカミ遺跡から動物や魚の骨に交じって猫の骨が見付かっており、年代測定の結果、約2100年前のものであるとされた事から、日本人と猫の関りは通説よりもかなり古いものである事になります。

 中国に猫が伝わったのは約2000年前とされる事から、中国と同時期、もしくはもっと早い時期に日本人は猫と暮らし始めた事になり、何処からきたのかが気になってしまいます。

 猫はメソポタミアからエジプトへ伝わり、その後、ヨーロッパや中国に伝わったとされます。それ以外にもインドや東南アジアを経由した別ルートが存在していた事が考えられ、今後、DNAの解析などで年代やルートが明らかになる事と思われます。

 古い時代、黒潮に乗って長い航海をした話を聞かされます。そんな航海の友として猫が乗船していて、そうして日本へとやってきたのではと考えつつ、穀物や仏典の守護といった実利がなくても猫とは一緒にいたいものだと思ってしまいます。


 
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第3112回 不味い理由



 以前、「最高の人生とは、アメリカ人の給料をもらい、イギリス人の家に住み、日本人の嫁をもらい、中国人のコックを雇う事。最悪の人生とは中国人の給料をもらい、日本人の家に住み、アメリカ人の嫁をもらい、イギリス人のコックを雇う事」という言葉を聞かされ、イギリスの食事が美味しくないという事を意識させられた事があります。

 著名な作家によってイギリスの代表的な朝食メニューであるオートミールについて、「最も良い食べ方は、そのままトイレに流す事」という発言が聞かされたり、「朝食は忍耐を教えるためにある」といった言葉には、美味しさとは遥かに次元の違う世界観を感じたりもします。

 一説にはイギリス人はビーフイーターと呼ばれるほど牛肉を好み、倹約志向から一点豪華主義で主菜の牛肉以外を蔑ろにしてしまう事がイギリス料理の評価を下げてしまっているともいわれ、サラダやスープ、デザートの不在に味気無さに通じるものがあるのかとも思えます。

 イギリスの映像を見ていると、いつも雨や霧のためか路面が濡れている印象があり、あまり晴天に恵まれている感じがしません。そうした気候のためかイギリスでは手に入る野菜の種類が少ないともいわれます。流通が発達した現代では解消されていますが、野菜不足の伝統が料理の発展を阻害していたとも考えられます。

 かつて世界中に植民地を有していたイギリスでは、特に有名な東インド会社と西インド会社から大量のお茶と砂糖がもたらされており、その二つが合わさって砂糖を大量消費していたとされます。その量は当時のフランス人の7倍以上ともいわれ、甘味への傾倒が味覚の発達を妨げたとも思えます。

 16世紀に起こった宗教改革による修道院の解体とクロムウェルによるピューリタン革命によって新興貴族が社会を支配するようになると、服装やマナー、住居、飲食などのライフスタイルがジェントルマンのものとして定義されるようになり、特に飲食に関しては「ジェントルマンは暴飲暴食はせず、常に質素な食事をするべき」と考えられた事が後のイギリス料理に大いに影響したともいわれます。

 海を越えた隣国となるフランスでは料理が発展していた事から、独自の料理を発展させる必要性が低かった事や、ナポレオン戦争などによってライバル関係となるとフランスの文化が駆逐される事となり、食事と会話を愉しむフランスのマナーの正反対が採られ、食事中の会話は少なければ少ない方が良いと考えられた事も食事の味気無さを助長しています。

 イギリスでは伝統的に若者が住み込みで働く「サーヴァント」と呼ばれる制度があり、多くの若者が14歳前後で親許を離れて他の家庭に住み込み、各種の労働に携わっていました。

 サーヴァントを通して社会人となるさまざまな訓練を受け、サーヴァントを卒業して一人前と認められていくのですが、人生経験が少ない若者が料理に携わる事から必然的に料理の質が低下してしまう事や、14歳前後で親許を離れてしまう事から母親の味の継承が妨げられてしまい、「おふくろの味」といった食文化の断絶が料理の発展を妨げたともいえます。

 18世紀から始まった産業革命もイギリス料理の不味さを決定的にしたともいわれ、産業革命以降、人口が都市部に集中する事になってしまい、多くの人が農村を離れた事で食材の自給自足が困難となり、野菜や乳製品が手に入りにくくなったために、普段食べるものといえばパンとオートミール、たまにハムやベーコン、チーズというライフスタイルが定着し、手っ取り早くエネルギーを摂るために砂糖をたっぷりと入れた紅茶が頻繁に飲まれるようになっています。

 さまざまな要因が絡み合って結果に結び付いているように思いながら、最大の要因は食事の捉え方にあったように思え、食事は活動に必要となるエネルギーを摂取するためだけのものと考えられた事が味気無さに繋がったように思えますが、その合理性の高い気質が産業革命を成功させたのかとも思えてきて、一つの生き方のようにも思えてしまいます。


 
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にんにく卵黄本舗の健康コラムです。
食と健康をキーワードに最新の医療情報から科学技術、食文化や献立まで毎日更新で幅広くお届けします。是非ご覧ください。

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