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第2886回 鎧の秘密



 桜の花が散り、爽やかな新緑の季節を迎えると、和菓子店の店頭から桜餅が姿を消して、代わりに柏餅が存在をアピールしてくれます。今では年間を通して柏餅を購入する事ができてしまいますが、やはりこの時期の柏餅は格別なように思えて、端午の節句の訪れを意識してしまいます。

 端午の節句というと5月の爽やかな風を受けて青空に泳ぐ鯉のぼりと、5月人形と呼ばれる事もある鎧兜を着た男の子の人形が思い浮かび、家によっては鎧兜そのものが飾られる事もあり、一年で一番、日本の伝統的な鎧兜が活躍する時期と思えてきます。

 日本刀と同じく、鎧兜もその時代の戦闘様式に応じた形態に変化を遂げてきています。大陸文化の影響を強く受けたものから平安時代には日本独自の大鎧が登場し、豪壮な作りから動きやすさを意識した造りや奇抜なデザインの当世具足へと変化していく中、日本の甲冑は上半身の防御が中心で下半身はそれほど守っていない事が不思議に思えてしまいます。

 時代劇で見掛ける騎馬武者を攻撃する際、馬に跨る太股は刀で切り付けるにも手鑓で突くにも良い位置にあり、命に関わる動脈も通っている事から防御が手薄になる事は許されないように感じられます。

 鎌倉時代のようにお互いに名乗り合ってから尋常に斬り合うような暗黙のルールが存在するような場面ならともかく、混沌とした戦国時代には馬上にいるというだけで身分の高さが感じられ、率先してターゲットとする事でより大きな手柄が上げられるように思えて、手薄な下半身への攻撃は日常的に率先して行われていたのではとも考えてしまいます。

 日本の甲冑が西洋のプレートメイルのように全身を覆って守る方式を採用していない最大の理由は、時代劇で描かれる騎馬武者のように武士が高い位置にいなかった事に由来しているという事ができます。

 戦国時代、織田信長の近くで多くの日本に関する資料を残した宣教師、ルイス・フロイスの書簡によると、当時の武士は馬に乗って戦場に現れても、いざ合戦となると馬を下りて戦っていた事が伝えられています。

 当時の戦で最も注意すべきは上空から放物線を描いて降ってくる矢で、そのために大鎧の肩から二の腕を守る部分は上からの攻撃を意識した平たい板状の造りとなっていて、鑓の使い方も「突く」ではなく「上から叩く」に近いものであった事から、そうした攻撃にも対応できた事が覗えます。

 また、馬に乗っている時に攻撃を受けたとしても、それほど高い位置に武士の姿はなく、その頃の日本の馬はかなり小さなものであった事も浦賀に来航したペリーが、「あの犬のような生物は何だ」と質問したとされる事からも判ります。

 すらりとした美しい姿のサラブレッドに跨り、戦場を縦横無尽に駆け巡って戦果を上げる騎馬武者というのは、平和な時代の想像の産物すぎないと思いながら、動物が戦に巻き込まれない事には少々ほっとしてしまいます。


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