第3017回 文豪に思う(2)



 ビタミンや必須アミノ酸といった概念がない時代、生命を維持するために欠かせない栄養素でありながら食を通してしか摂取する事ができず、それを含む食材が得られないために体調不良が引き起こされてしまう事は身近な危険となっていたといえます。

 ビタミンB1の不足によって引き起こされる脚気もそうした体調不良の一つで、長い間、原因不明の謎の疾患とされながら、最悪の場合、死に至る病として怖れられていました。

 日本人と脚気との関わりは非常に古いとされ、いつごろから脚気の症状が見られていたのかについては正確には把握されていませんが、「日本書紀」や「続日本紀」にも脚に見られる病として脚気と判断できる疾患が記されています。

 平安時代以降、上流階級に見られる疾患として脚気は発生していたのですが、江戸時代に入って玄米に代わって白米が食べられるようになると一般の武士や町人の間にも発生するようになり、特に白米を常食としていた江戸の街で多く発生し、江戸を離れると症状が改善される事から「江戸患い」として知られるようになっていました。

 明治時代を迎え、江戸が東京と改められても江戸患いこと脚気は発生し続け、毎年、多くの死亡者を出していました。明治期の脚気の特徴は東京などの都市部に発生が集中するだけでなく、陸軍の鎮台が置かれた街でも流行が見られていました。

 脚気の原因究明を難しくしていたのはその症状の多彩さと、抵抗力の弱い子供や高齢者ではなく、一見、元気そのものの若者が冒される事、良い食事を摂っていると見られる者が患者となってしまう事などがあげられます。

 特に良い食事を摂っている者が患者となる事は、脚気を栄養障害によって引き起こされるという事実から遠ざけていて、そのために伝染病説も有力視されていました。そんな中で陸軍の軍医として脚気克服に取り組まざるをえなくなった鴎外、伝染病説を採っていたドイツ医学をベースとしていた事が悲劇に繋がったようにも思えます。


 
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