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第3032回 か細き君に(3)



 種子に水分を与え、光を遮断しておくと発芽してもやしができます。そのため人類ともやしの関りは農耕を始めた時期か、それよりも早い時期と考える事ができ、もやしと人との関わりの古さを窺わせてくれます。

 日本におけるもやしの歴史というと、どのようにもやしを食べるようになったのか、またはどこから伝えられたのかという事は謎のままとなっているのですが、文献上は平安時代に書かれた「本草和名」に「毛也之(もやし)」として記載されており、薬用として栽培されていた事が残されています。

 南北朝時代には楠木正成が籠城戦の際、豆を発芽させて兵たちに食べさせ、飢えを凌ぎながら健康を守った話が伝えられていて、重要な食糧であったと見る事がでいます。

 江戸時代に入ると、「和漢三才図会」に黒豆を発芽させたもやしについての記載があり、15cm程度の長さに成長したところで乾燥させ、よく煎ってから服用すると痺れや膝の痛み、筋のひきつりなどに効くという効能まで記されています。

 それだけ根付いていたように見えるもやしですが、別なルートでの普及も見られていて、1850年代に長崎に漂着した異人がもやしの作り方を伝え、地域にもやし作りが広まり、長崎のもやし職人が江戸に上って天下の珍味として将軍にもやしを献上したともいわれます。

 古くから親しまれてきたもやしですが、大幅に食材としての普及が進むのは昭和11年(1936年)まで陸軍の主計少将を務めた丸本彰造によるところが大きいともいえます。

 丸本は日露戦争の際、ロシア兵に多くの壊血病が発生した原因はビタミンCの不足にあると考え、大正7年(1918年)のシベリア出兵の際は将兵のビタミンC不足はもやしで補うとして兵食にもやしを加える事に尽力しています。

 市民に対するもやしの普及にも力を入れ、大正9年(1920年)はもやしを紹介するパンフレットを作成し、もやしの生産者団体の座談会の理事を務めるなど精力的にもやしの普及を図っています。

 その際、もやしの普及を目指して多くのキャッチコピーが作られ、そうした中には「栄養豊富、ビタミンCの供給源」「調理簡単、応用範囲、多種多様」「燃料節約手間要らず、無駄がない」といったものがあったのですが、「価が安く、何時でも得られる」という今日のもやし生産者が抱える廉売問題の原点ともいえるものが含まれており、その当時からもやしの価格破壊は予言されていたようで、根の深さを感じてしまいます。

 以前は最初から根が除いてあったり、こだわった栽培方法が行われて割高というもやしに出会えていたのですが、気が付くと安価なものばかりになってしまっているようにも思えます。

 最近では燃焼系アミノ酸が豊富である事からダイエット系の人気も高まってきているようですが、何らかの付加価値の高まりによって悪循環に陥っている問題から脱してほしいと願ってしまいます。


 
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