第3038回 一と三 (1)



 ずっと和食の基本は一汁一菜と思ってきていたので、基本は一汁三菜と聞かされた時はそれなりに違和感を覚えてしまいました。白米もしくは玄米、雑穀米といった主食に汁物とおかずを一品加えた食事は、質素な感じもしますが基本の食事という感じがします。

 標準的な大きさの器に常識的な量を盛り付ければ、一汁一菜では食べ過ぎるという事がなく、細かなカロリー計算をしなくても健康管理ができるともいわれます。

 一汁一菜という概念は鎌倉時代、禅寺で質素倹約を重視した食事形式として始まったとされます。そのため本来のおかずは、野菜を中心とした質素なものであったとされます。

 一汁三菜はそんな禅寺において特別な日や来客に対して出されていた食とされ、ハレの日の食こそが三品のおかずを用意するという豪華な食の元となっています。

 その後、一汁一菜と一汁三菜は日本の伝統的な食事形態として定着していくのですが、庶民の食としては一汁一菜が一般化して普及し、伝統的な和食のスタイルとしてイメージされるようになったと考える事ができます。

 当時の日本は日昇と日没に連動した時間を採用していてメインとなる食事は夕食が中心で、日没に相当する「暮れ六つ」に稼ぎ頭の男性が帰宅すると湯屋へと向かって入浴し、それから食事が行われました。

 江戸の街では江戸前と呼ばれた東京湾で獲れた新鮮な魚介類が魚河岸に並び、中でも鯵が好まれていて「夕鯵(ゆうあじ)」とまで呼ばれていました。

 そうしたご飯に汁物、鯵のおかずという一汁一菜は基本的で、現代の感覚からは質素なもののようにも見えてしまいますが、当時としては贅沢なものであり、ご飯と汁物に香の物を加えた一汁無菜も日常化していました。

 かなり質素な感じがして栄養学的に問題がありそうな一汁無菜という食ですが、健康的な日常を支えていた理由は主食の米と一汁の素、味噌にあったと考える事ができます。

 白米よりも主流だった玄米は栄養的に優れており、味噌も大豆タンパクや発酵調味料として優れた健康効果を持っていました。特に米は優れた栄養源で必須アミノ酸をバランス良く含み、重労働をこなしていた当時の人は米をたくさん食べる事でタンパク質とカロリーを補っていました。

 江戸時代、各藩は財政難に喘ぎ、庶民に至るまで質素倹約に努める事が求められる事が見られていました。上杉鷹山や池田光政が一汁一菜を命じたり、松代藩のようにおかず禁止令を出すほど徹底した例も見られていますが、それでも健康を損なわずに過ごせた背景には日本人にとって大切な存在であった米があったのかもしれません。


 
スポンサーサイト

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

kcolumnist

Author:kcolumnist
にんにく卵黄本舗の健康コラムです。
食と健康をキーワードに最新の医療情報から科学技術、食文化や献立まで毎日更新で幅広くお届けします。是非ご覧ください。

リンク
最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR