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第1853回 丼の誕生



 主食であるご飯とおかずが一つの器の中に入れられ、手軽に一食を摂る事ができる「丼物」は手早く食べられる便利な食事形態というだけでなく、最近はご当地グルメブームもあって、かなり豪華な物まで見られるようになってきています。

 器に盛り付けたご飯に具を乗せるという単純な構成の丼ですが、意外なほど食文化としての歴史は浅く、最も古いとされる「鰻丼」でさえ始まったのは江戸時代の中期以降の事となっています。

 鰻丼は水戸藩の郷士で後に勘定奉行を務めた大久保今助によって考案されたとされ、その後、評判となった事から鰻屋の正式なメニューとなり、明治時代を迎えるまでは丼といえば鰻丼の事を指していました。

 江戸の街で好まれていた「深川丼」の登場は江戸時代の末期の事で、牛丼は1862年、親子丼は1891年と明治時代に入ってから、カツ丼の登場はソースカツ丼が1913年、卵でとじるカツ丼は1921年と大正時代の事となっています。

 鰻丼以前に存在した丼のような料理というと、「芳飯(ほうはん)」を上げる事ができます。芳飯は室町時代の末期に登場した料理で、器に盛り付けたご飯に野菜を中心とした7種類の具を乗せ、出汁をかけていただく物で、江戸時代、寛永20年(1643年)に書かれた「料理物語」には、「芳飯にかける出汁はにぬきが美味しい」と記されています。

 にぬきとは水に味噌を溶き、削った鰹節を加えて煮立たせて濾した物で、後に味付けは味噌からしょうゆへと変化し、ご飯も白飯から炊き込みご飯が使われるようになり、丼というより汁かけ飯に近い物であった事が判ります。

 丼の語源は江戸時代、大きめの器に一杯盛り切りの食事を出す店を「慳貪屋(けんどんや)」と呼んでいました。慳貪屋で使われていた食器が「慳貪振り鉢(けんどんぶりばち)」と呼ばれていて、それが省略されて「どんぶり鉢」となったとされます。

 慳貪とは「けちで欲深い」という意味で、慳貪屋で出されていた食事は「慳貪飯」と呼ばれ、あまりよい印象を得ない事から、丼の語源としてはどうなのかとも思えてくるのですが、八丈島の方言でどんぶり鉢の事を「けんどん」と呼ぶ事から、どんぶり鉢が慳貪屋由来という事を伺う事ができます。

 また、同じ頃、更紗などで作られた大きな袋も「どんぶり」と呼ばれていて、その語源は無造作に物を袋に入れる様子から、水に物を放り込んだ際の擬音である「どんぶり」にあるとされ、今日でも使われる大雑把なお金の管理を指す言葉、「どんぶり勘定」は職人の前掛けに付けられた物入れに職人がお金を無造作に出し入れする事からそういわれるようになったとされ、大きな器を袋に見立てて「どんぶり」と呼んだ事も充分に考えられます。

 漢字で表記する際の「丼」は井戸を意味する「井」の中心に「、」を書いたもので、井戸の中に物を投げ込んだ音を指す文字となっています。大雑把にいろんな物を入れる大きな器とそれをうまく利用した盛り切りの料理、それが丼物というのが最適なようにも思えてきます。


 
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