第1933回 バナナ事情
世代的に「昔は高価で、病気でもしない事には食べられなかった」という話を年配の方から聞かされ、流通の発達で非常に安価になった物の一つという認識があったのですが、若い人たちが専用のホルダーに入れて持ち歩いている姿をみると、バナナとは多彩な文化を持つ物のように思えてきます。
バナナは北緯30度から南緯30度あたりのバナナベルトと呼ばれる気温と湿度が高い地域で栽培されていて、日本へはフィリピンや台湾、南アメリカなどから輸入されています。日本でも温泉や焼却炉などの熱を利用した栽培が行われていますが、それほど大規模な栽培には至っておらず、店頭で見かけるバナナはほとんどが輸入物となっています。
バナナの栽培に関する歴史は非常に古く、紀元前5千年とも1万年ともいわれます。野生種のバナナには硬くて大きな種がたくさんあるのですが、偶然にできた種のないバナナの苗を栽培化した事が今日のバナナのはじまりとされ、マレー半島が原産の「ムサ・アクミナータ」とフィリピン原産の「ムサ・バビルシアーナ」が元になり、二つの品種が出会った事でいろいろな品種が生まれています。
東南アジアで栽培化されたバナナは、その後、東西の熱帯に栽培技術と共に伝播していくのですが、東側へのルートについては資料が残されていない事からはっきりしていません。西側へのルートについてはミャンマーを経由してインドへ伝わり、海を渡って東アフリカやマダガスカル島に上陸しています。アレキサンダー大王がインドへ遠征した際、はじめてバナナと出会ったとされる事から、バナナは中近東へは伝わっておらず、アフリカへは陸路ではなく海路で伝えられた事が判ります。
東アフリカに上陸したバナナは大湖地帯からコンゴへ伝わり、西アフリカからカナリア諸島を経てハイチやキューバ、メキシコ、ブラジルといった南アメリカへと伝えられています。
栽培種のバナナは種ができない事から、「吸芽」と呼ばれる子株を使って株分けして数を増やしています。そのため受粉という交配が行われないために遺伝的な多様性に乏しく、一旦、病気が発生すると致命的な打撃を受けてしまいます。
20世紀の中頃まで世界的に広く栽培されていたグロスミッチェル種は、パナマ病の「Race1」と呼ばれる病原体によって壊滅してしまい、Race1に耐性があったキャベンディッシュ種が今日の栽培の主流となっています。
2001年頃に発見されたRace1の変異体であるRace4は、Race1への耐性を持っていたキャベンディッシュ種にも感染する事から、マレーシアやフィリピン、台湾、アフリカ諸国など広範囲のバナナ栽培に損害を与えており、このまま感染が拡大すると10年以内にキャベンディッシュ種は全滅すると考えられている事からバナナは大変な危機を迎えており、やがてバナナは病気でもしない事には食べられないような貴重品となったり、バナナそのものを見掛けなくなる日が訪れる可能性もあります。
日本に輸入されるバナナは、全て未成熟な青くて硬い状態で収穫された物が輸入されています。輸送コストを抑えるために船便で時間をかけて運ばれる事や、途中で傷んでしまうのを防ぐという事もあるのですが、それ以上にバナナが熟すと病害虫が寄生しやすくなる事から、植物の防疫法によって熟したバナナの輸入が禁止されています。
そのため青い状態で輸入されたバナナは検疫を受けた後、シアン化水素などで消毒され、衛生検査をはじめとするさまざまな検査を受けた後、「室(むろ)」と呼ばれる熟成室に入れられて黄色く熟成されています。
室の中で植物の熟成を促すエチレンガスを使って黄色く色付かせているのですが、その後も徐々に熟成は進む事から、店頭で購入した後、室温でしばらく置いておくと表面に「シュガースポット」と呼ばれる褐色の斑点が見られるようになります。全体にシュガースポットが見られるようになると食べ頃とされ、熟成が進んで甘くなったバナナを食べる事ができます。
未成熟で青いバナナは硬いだけでなく渋い味がして食べられる物ではないそうですが、日本ではそんな青いバナナを食べる不思議な食文化があると、日本の厳しい植物防疫法を知らない原産地の栽培農家の方々は思っているのではないかとふと考えてしまいながら、バナナにいろんな事を思ってしまいます。
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