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第1937回 緑の時刻(2)



 19世紀末、大人気となったアブサンは、当時の退廃した雰囲気を象徴する物の一つともいえ、多くの文化人たちによっても愛されていました。多くの製品が70%前後のアルコール度数で、低い物でも40%程度、中には90%近い製品も存在していたほどの強い酒であり、特異な香気もありましたが、一旦、気に入ると手放せなくなるともいわれ、ヨーロッパのみならずアメリカや植民地などでも広く飲まれていました。

 ピカソをはじめゴッホやゴーギャン、ドガ、モネ、ルソー、ボードレール、ゾラ、ヴェルレーヌ、ランボーといった著名人たちもアブサンの愛好家であったとされ、19世紀末のパリに集まった古いモラルやアカデミズムに反発を持つ若い芸術家や文学者たちは、自由な生き方に憧ればがら、カフェに集ってアブサンを酌み交わしながら語り合っていたとされます。

 アブサンは安価で強い酒であった事から多くの中毒者や犯罪者を出したとされ、ヴェルレーヌやロートレック、ゴッホなどはアブサン中毒で身を滅ぼした最も著名な人たちとされる事から、多くの人にさまざまな影響を与えた事を伺う事ができます。

 アブサンには、主要な原料となるニガヨモギの苦味成分として「ツヨン」が含まれます。ツヨンはマリファナの主成分である「テトラヒドロカンナビノール」に似た化学構造を持ち、大量に摂取すると麻酔作用や嘔吐、幻覚、錯乱、痙攣などを引き起こすとされ、習慣性もあるとされます。

 実際には、かなりの大量摂取をしない事にはそうした作用は発生しないとされますが、アブサンにはツヨンが含まれ、幻覚などの向精神作用を引き起こすとされ、アブサンを危険視する意見が出されるようになっていきます。

 そんな中で起こったランフレ事件は、後のアブサンの評価を決定付けるものとなり、アブサンは禁制化される方向へと進んでいきます。ランフレ事件は、日雇いの農夫だったジーン・ランフレが身重の妻と幼い子供二人を射殺した後、自らも自殺を図ったというもので、残されたアブサンのにおいがするグラスにすべての原因が求められ、凶行の直前にランフレが多量のワインを飲んでいた事やランフレを取り巻いていた社会的な事情は無視されてしまいます。

 アブサンと向精神作用の関連性を印象付けるランフレ事件はアブサン禁制化へ最大限に利用され、1898年にベルギーの植民地となっていたコンゴにおいて禁制化されたのを皮切りに、第一次世界大戦直前の政治的混乱もあって各国で相次いで禁制化されていきます。

 主要先進国でアブサンを禁制化しなかったのはイギリスとスペイン、ポルトガルだけで、世界的にアブサンの製造販売が禁止されてしまっています。そんな中、日本ではニガヨモギが食品添加物として認可されていた事もあり、アブサンは合法化されたままとなっていました。しかし、アブサンの供給を輸入に頼っていた事から、日本でもアブサンは姿を見かけない物となっていきます。

 アブサンの禁制化はツヨンによる向精神作用の危険性から国民を守るためのものとされていますが、ヨーロッパ中のブドウに大打撃を与えたフィロキセラの問題が一段落し、生産量を回復したワインの製造業会からの圧力も大きかったとされます。苦心の末、フィロキセラの問題を解決して従来の生産量を回復したワインでしたが、その間に市場の多くをアブサンに奪われてしまい、市場の奪還が急務となっていました。

 フィロキセラという最大の危機を乗り切ったように見えるワインの製造業界ですが、実はフィロキセラ以上の問題に直面していました。全ヨーロッパに急激に広がりつつあった反アルコール運動は、ワインに限らずビール、ウィスキーとさまざまな酒造業界に死活問題となってきていました。

 アルコールの摂取が身体や精神に悪影響を与えるという考えに基き、アルコール飲料の製造販売の禁止を法制化しようとする反アルコール運動の高まりに対し酒造業界はすでに危険視され、イメージの低下が著しかったアブサンだけに矛先を向かわせる事でアルコール飲料全体の生き残りを図ろうととし、麻薬のような成分を含むという理由からアブサンの包囲網が固められていきます。

 また、かつて経験した事のなかった世界大戦という大きな戦争を前に、近代化が進む兵器製造にアルコールが必要であった事もアブサンに対する規制強化に繋がったとも考える事ができ、混沌とした時代の象徴、それがアブサンのようにも思えてきます。


 
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