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第2019回 角の発展



 金平糖と著名人というと、すぐに戦国武将、織田信長が思い浮かびます。宣教師、ルイス・フロイスと謁見した際、フラスコに入れられた金平糖を受け取り、とても喜び、以降、お気に入りとなっていた事でも知られています。周辺の人のさまざまな証言によると、信長は酒を飲まず、部下にも酒を薦める事はなかったそうなので、意外と甘党だったようにも思えます。

 当時の信長の権勢を思うと献上品は真っ先に信長に届けられ、信長より先に金平糖を食べた日本人がいたとは考えにくく、おそらく信長が金平糖を食べた最初の日本人であったという事には納得させられてしまいます。初めて見る金平糖はそれまでの和菓子にはない華やかな姿と、すっきりとした甘さで、驚くべき存在であったという事を想像してしまいます。

 その後、日本へも作り方が伝えられ、貴重な砂糖を使った国産金平糖も作られています。よくいわれる事ですが、金平糖はポルトガル語のお菓子を意味する「コンフェイト」が語源となったとされます。伝えられた当時の金平糖は、今日のポルトガルに残るお菓子の様子から、それほど角が立っいない丸みを帯びた形状だったと考えられ、角は日本において発展したという事ができます。

 結晶を作る際には核となる物が必要となる事があり、信長が食べた金平糖の核にはゴマが使われていたとされます。その後、核の部分にはケシの実が使われるようになり、子供の頃、金平糖を食べると最後に味がしない変な食感の小さな粒が残ると思っていた物がそれに当たります。

 最近では核の部分にザラメやグラニュー糖などの結晶質を使った製品も見られるようになり、もともとが砂糖の塊である事から、コーヒーシュガーの代わりに使って、彩を添えるというお洒落な使い方もされるようになったといわれます。

 金平糖の角は核の回りにできた砂糖の層が傾けられた鍋の傾斜を跳ねながら滑り落ちる際に、熱せられた鍋に触れた部分の水分が飛んで硬くなり、飛び出した部分が繰り返し鍋に触れる事で角が成長するとされます。

 角の出現に関する法則や発生する確率などに関しては、多くの数学者が研究を行ったにもかかわらず、いまだに解明されてはいません。事前に濃く煮詰めた蜜を使い、傾けた大鍋を回転させながらこてを追加って拡販し、何度も密を掛けながら半月以上物時間を掛けて仕上げられています。

 よくうなぎの職人に関して「串打ち3年、割き8年、焼きは一生」という修行の厳しさをいいますが、金平糖の世界では「こて10年、蜜かけ10年」ともいわれ、その日の温度や湿度によって蜜の濃度や鍋の温度、傾きも違ってくる事から、レシピが存在しないお菓子、一子相伝の職人技ともいわれています。

 そうした難しい製法によって作られていたためか、坂本竜馬は金平糖の作り方を誤解していたとされ、よく女性をからかう際に「金平糖のような(でこぼこの)肌を白粉で塗り固めた」という表現を使っています。その際、金平糖のでこぼこができる理由を鋳型といっている事から、竜馬は金平糖を型を使って作っていると思い込んでいた事が伺えます。

 正しい作り方や今日の数学者でもでこぼこの理論を見付けられない事を知ったら、竜馬はどのような顔をするのか。グラニュー糖を核にした透明感の高い金平糖を溶かしたコーヒーを飲ませたり、厳密には金平糖とは呼べませんが、中にお酒が入った金平糖を食べさせたらどのようにいうのか、とても興味が湧いてしまいます。


 
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