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第2559回 食を育む(1)



 食育という言葉が使われ始めた頃、食育に関する記事を書いたところ思いの外、反響が大きく、関心の高さを感じたという事がありました。その後、一般的な事として定着していく中、漠然として曖昧だった食育という言葉の中身は整備され、洗練されていくのかと期待していたのですが、どうも漠然としていたが故に形骸化してしまったようにも思えて、少し残念なものを感じています。

 文字通り体を育む「体育」は判りやすく、食育では何をどのように育めば良いのか判らないという意見も聞かされるのですが、あまり難しく考えず、食に関する事を自然に伝えていけば良いのではないかと思えるのですが、それも今となっては難しいという事がさまざまな事例から感じられます。

 最近、特に感じる事は食事の際のご飯の位置についてで、このままでは遠くない将来、伝統的に受け継がれてきた食への想いは消えてしまうと思っています。

 スーパーの総菜や弁当が売られているコーナーへ行くと、見るからに合理的に作られたトレ―にご飯やおかずが乗せられた弁当が売られています。非発泡ポリスチレンなどの素材で作られたトレ―は強度を確保するために凹凸が付けられ、それを仕切りとして利用する形で上手に盛り付けが行われています。

 持ち運びや見た目の安定感から横に長い長方形のトレ―は基本的に対角線で仕切られ、手前にご飯、奥におかずとなるのですが、ほとんどの弁当で右手前にご飯が、左奥におかずという配置が採られています。

 店売りの弁当に限らずレストランなどでも四角いトレ―の上は左手前におかずが置かれ、ご飯は右手前、ご飯の奥に味噌汁などの汁物、左奥にはサラダや漬物などが配置されて供されています。

 ドラマの中でも家庭の食卓の場面でその状態が見られ、驚いた事に時代考証を行うはずの時代劇においてもご飯の左のおかず、奥に味噌汁という配置が見られています。

 米を大切に考えてきた日本人は、より上位である左側にご飯を配置し、その横に汁物、汁物の奥におかずという配膳を正しい事として受け継いできました。仏教の影響も受けている事から、右にご飯を置く配膳は仏様のものとして、生きている人が食べるものではないとまで考えてきました。

 ご飯よりも単価が高いおかずの方が上位と考えられるようになったのか、あえて違和感がある置き方にしておかずの存在感を引き立たせているのか、利き腕に近い方に主食があった方が便利と考えられたのか、いろんな理由に思いを巡らせながら、和食が世界遺産となる中、基本的な事はきちんと伝えてほしいと思ってしまいます。


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