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第2595回 平たい麺の秘密(2)



 名古屋名物の薄く平たいうどん、きしめん。きしめんを漢字で表記すると「碁子麺」となります。文献上、碁子麺の記載が見られるようになるのは、南北朝時代の後期頃の「庭訓往来」に素麺と共に禅寺で食べられる軽食の点心として紹介されています。

 残念な事に「庭訓往来」には碁子麺がどのようなものであったのかに関する記載はないのですが、江戸時代に入って天保14年(1843年)に刊行された「貞丈雑記」には小麦粉を水で練って薄く伸ばし、竹筒を使って型抜きして茹でた物という解説があり、黄粉を塗して食べていた事が書かれています。

 竹筒で型抜きされている事から碁子麺は、文字通り碁石のような丸い形のおやつであり、雉肉を使ったうどんとは遠くかけ離れた物であるように思えてきます。

 碁子麺を作る際、竹筒を使って型抜きをすると、今日の金属製の生地の型抜き器と比べて歩留りが悪く、何度も生地を捏ねて平たく伸ばしては型を抜くという作業を繰り返さないと多くの生地が無駄になってしまいます。

 そうした手間を考えた場合、竹筒で抜いて成型するより切り分けた方が早く、無駄を出さずに一度の調理で全ての生地を使う事ができます。実際、麺の本場、中国にも碁子麺と呼ばれる麺が存在した事があり、四角く切り分けられた麺だったと伝えられています。

 切り分けた碁子麺は餅と同じように汎用性が高い食材である事から、黄粉で味付けして食べる以外にも汁物に入れられた事が考えられ、茹でられると麺特有の艶と弾力によって箸では食べにくい物となる事も想像できます。

 そのため当初は、碁石をイメージして小さく切り分けられていた碁子麺も食べやすさを考慮して少し長さを持たせるようにして、箸への持ちやすさを考慮した形になり、細い平打ち麺の芋川うどんと同化していったような事も考えられてきます。

 いまだにきしめんの成立には諸説があって明確な答えが見付かっておらず、碁子麺と今日のきしめん、ひもかわとの関連付けも謎のままとなっていますが、竹筒で型を抜く事をやめて切り分けるようになり、芋川うどんの雉麺と接近していったところに答えがあるように思えます。


 
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