FC2ブログ

第2673回 蕎麦の粋(2)



 つゆがはられたそばの丼に揚げたての天ぷらを入れると、高温で調理された衣の香ばしい風味と油のコクが加わり、淡白なつゆにアクセントが加わって美味しさが引き立てられます。天ぷらとそばは優れた取り合わせだと思えるのですが、いつ頃から天ぷらそばが食べられるようになったのか、明確なところは不明なままとなっています。

 江戸時代がはじまる少し前、そばを細く麺に切り分ける「そば切り」は誕生しています。しかし、それからしばらくしょうゆは高級品という時代が続く事から、そばを食べる調味料には味噌を3倍量の水で溶いて袋で濾した「たれ味噌」が使われ、今日のそばとは趣が大きく異なるものが食べられていました。

 関西で造られたしょうゆが「上り醤油」として江戸に送られていたものが、江戸時代の中期頃には常陸、下総、上総、相模などで盛んにしょうゆが造られるようになり、「地回り醤油」として江戸庶民の間に普及するとそばは今日のようなスタイルになっていったと考える事ができ、天ぷらそばもそれ以降の事と思えてきます。

 江戸時代、長らく天ぷらは屋内での調理が禁止されていました。油の精製技術が低かった事から、調理に伴って油煙が生じて室内に籠ってしまう事や、火加減が細かくできない竈による火災の発生を懸念しての事ですが、そのため天ぷらは屋外の屋台で供される事が多くなっていました。そばの屋台も多く見られていた事から、自然発生的に天ぷらと結び付いて天ぷらそばが発生したと考える事ができます。

 屋台のそば屋では事前にそばは打って用意されていた事から、客が注文をしてからそばが出されるまではそれほど時間は掛からず、そばが出てくる間に酒を飲んで待つという余裕はないように考えられ、天ぷらを肴に酒を飲みながらそばのできを待つという江戸の粋は、注文を受けてからそばを打ち始める正式なそば屋で誕生したように思えます。

 そうしたそば屋では、油煙を上げながら店の裏手で天ぷらを揚げるよりも近くの屋台で揚げられたものを購入しておき、すぐに出す事ができる肴として用意していた事が考えられ、酒の肴であった天ぷらが遅れて出てきたそばのつゆに浸して食べられ、天ぷらそばとなっていったように思えてきます。

 そば屋に長居をしない事を良しとする事についても、そばの普及に屋台が大きく関わっている影響が大きいように思えて、天ぷら、そばと当初はファストフード的な存在であったものが、後に専門性を高めて固定店舗となっていく中、文化的に成熟する事で粋となっていったように考えてしまいます。


スポンサーサイト



コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

kcolumnist

Author:kcolumnist
にんにく卵黄本舗の健康コラムです。
食と健康をキーワードに最新の医療情報から科学技術、食文化や献立まで毎日更新で幅広くお届けします。是非ご覧ください。

リンク
最新記事
最新コメント
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
検索フォーム
RSSリンクの表示
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード
QR