第3033回 皮の毒



 大好きな食材の一つにジャガイモがあり、炒め物や煮物、味噌汁、サラダとかなりの頻度で食べています。学生の頃、夏休みのアルバイトで5kgほど痩せてしまったのですが、辞めたその日に大きな袋入りの業務用のポテトフライをいただいてそれを毎日食べ、一週間で体重が元に戻ってしまうという事があったほど好きな食べ物となっています。

 比較的日持ちが良いというか、冷蔵庫の野菜室でしばらく寝かせた方が旨味が増す事から欠かさないように常備しているのですが、たまに発芽して食べられなくなってしまう事もあります。

 ジャガイモの芽にはソラニンという毒があり、発芽してしまうとソラニンが増えてしまう事から食中毒を起こしてしまう事は広く知られていて、野菜の皮を?くピーラーにジャガイモの芽の部分を取り除く事に適した工夫が施されている事からも、ジャガイモの芽の危険性は一般的に認識されている事が窺えます。

 ソラニンの毒性は体重50kgの成人の場合、50mgで食中毒の症状が出るとされ、150mgから300mg程度の摂取で死に至る可能性があるとされるほどの危険性を持つとされ、身近な野菜とはいえ侮る事ができない強い毒素であると思えてきます。

 そのためジャガイモを調理する際は発芽していなくても芽の部分を取り除いてソラニンを摂取してしまわないようにするのですが、ソラニンは芽だけに限って含まれているのではなくジャガイモ全体に含まれています。

 特に芽以外では皮の部分に多く、いつも食べている白い可食部の1gあたりの含有量が0.026mg程度である事に対し、皮の部分には0.560mgと約22倍もの量が含まれています。また、土から掘り起こした後、ジャガイモを日光に当ててしまうと光合成を開始して全体が緑色に変色するのですが、その状態ではソラニンに加えてチャコニンというソラニンとほぼ同程度の毒性を持つ成分も増えて、ジャガイモによる食中毒の危険性が高まってしまいます。

 ジャガイモはビタミンCが多い食材として知られていますが、ビタミンCは皮に近い部分に多いとされる事から皮付きのまま調理される事も多く見られます。家庭菜園などで収穫される小さなジャガイモの中には未成熟でソラニンやチャコニンを多く含むものがあるので、芽だけではなく皮にも充分な注意が必要と思えてきます。


 

第3032回 か細き君に(3)



 種子に水分を与え、光を遮断しておくと発芽してもやしができます。そのため人類ともやしの関りは農耕を始めた時期か、それよりも早い時期と考える事ができ、もやしと人との関わりの古さを窺わせてくれます。

 日本におけるもやしの歴史というと、どのようにもやしを食べるようになったのか、またはどこから伝えられたのかという事は謎のままとなっているのですが、文献上は平安時代に書かれた「本草和名」に「毛也之(もやし)」として記載されており、薬用として栽培されていた事が残されています。

 南北朝時代には楠木正成が籠城戦の際、豆を発芽させて兵たちに食べさせ、飢えを凌ぎながら健康を守った話が伝えられていて、重要な食糧であったと見る事がでいます。

 江戸時代に入ると、「和漢三才図会」に黒豆を発芽させたもやしについての記載があり、15cm程度の長さに成長したところで乾燥させ、よく煎ってから服用すると痺れや膝の痛み、筋のひきつりなどに効くという効能まで記されています。

 それだけ根付いていたように見えるもやしですが、別なルートでの普及も見られていて、1850年代に長崎に漂着した異人がもやしの作り方を伝え、地域にもやし作りが広まり、長崎のもやし職人が江戸に上って天下の珍味として将軍にもやしを献上したともいわれます。

 古くから親しまれてきたもやしですが、大幅に食材としての普及が進むのは昭和11年(1936年)まで陸軍の主計少将を務めた丸本彰造によるところが大きいともいえます。

 丸本は日露戦争の際、ロシア兵に多くの壊血病が発生した原因はビタミンCの不足にあると考え、大正7年(1918年)のシベリア出兵の際は将兵のビタミンC不足はもやしで補うとして兵食にもやしを加える事に尽力しています。

 市民に対するもやしの普及にも力を入れ、大正9年(1920年)はもやしを紹介するパンフレットを作成し、もやしの生産者団体の座談会の理事を務めるなど精力的にもやしの普及を図っています。

 その際、もやしの普及を目指して多くのキャッチコピーが作られ、そうした中には「栄養豊富、ビタミンCの供給源」「調理簡単、応用範囲、多種多様」「燃料節約手間要らず、無駄がない」といったものがあったのですが、「価が安く、何時でも得られる」という今日のもやし生産者が抱える廉売問題の原点ともいえるものが含まれており、その当時からもやしの価格破壊は予言されていたようで、根の深さを感じてしまいます。

 以前は最初から根が除いてあったり、こだわった栽培方法が行われて割高というもやしに出会えていたのですが、気が付くと安価なものばかりになってしまっているようにも思えます。

 最近では燃焼系アミノ酸が豊富である事からダイエット系の人気も高まってきているようですが、何らかの付加価値の高まりによって悪循環に陥っている問題から脱してほしいと願ってしまいます。


 

第3031回 か細き君に(2)



 インターネットで節約料理のレシピを探すと、その多くにもやしが使われていたりします。安価な食材の代名詞的存在という事を感じる事ができ、天候不順で野菜が高騰しても安定的な安値で入手する事ができるとてもありがたい存在ともいえます。

 養鶏技術の進歩や安価な輸入飼料の確保などによって、総合的な物価は上昇しているにも関わらす販売価格がそれほど上昇していない卵が物価の優等生といういい方をされる事がありますが、もやしはそれを上回る存在となっていて、現在のもやしの平均的な販売価格は40年前の価格を下回っています。

 栽培方法に大きな技術革新があったという訳でもなく、人件費や原材料となる緑豆の価格も上昇しています。それでももやしの販売価格が上昇していない理由は、過剰な価格競争があるといわれます。

 季節を問わず年間を通して安定して生産され、天候の影響も受けないもやしは安売りの目玉商品とされる事も多く、もやしを安く売る事でスーパー自体の安売り店としてのイメージ作りができる事から、仕入れ価格よりも安価に販売される事ももやしの廉売を助長しています。

 緑豆のほとんどは中国から輸入されていますが、10年前と比べても価格は3倍にも上昇しているとされ、もやしの生産では利益が出にくい状況となっているいいます。

 そんな状況下、緑豆の産地での天候不順による不作や価格高騰、品質の低下からくる発芽不良といった歩留まりの悪さが生産者を直撃し、このままでは生産者数は半減するとも危惧されています。

 このままではもやしが身近な存在ではなくなるというのも遠い日の事ではないと心配になりながら、もやしの生産者を応援するためにもやしを購入すると不当に廉売されている現状を肯定しているようであり、買わない事はもやしの流通自体をダメにしてしまうようで、どうしたものかと悩んでしまいます。


 

第3030回 か細き君に(1)



 以前、行き付けのスーパーで納豆が非常に安価に売られていたので何となく購入してみたのですが、どうしても食べたいと思って購入したのではないため、また今度と思っているうちに時が過ぎて捨ててしまう事になるという残念な結果に終わってしまい、その事について話をした事があります。

 非常に安価だったので賞味期限切れによって廃棄してしまったとしても経済的な損失はそれほどでもないのかもしれませんが、食べ物を無駄にしてしまったという自己嫌悪は残ります。価格的に販売していたスーパーにも利益はないと想像され、おそらく赤字分を広告費と考えて集客だけを目的とした安売りではなかったのかと思えます。

 集客企画とはいっても安売りの納豆だけのために出掛けるとも思いにくく、それほど販売促進には繋がってはいないのではと疑問に思いながら、店側の損失を少なくするために納入しているメーカーにも協力要請があった事を想像してしまいます。

 主要な卸売り先であるスーパーの申し出を無下に断る事も出来ず、メーカーでは値引きの要求に応えた納入が行われた事が考えられ、そうした要求が普段から想定される事から利幅を確保するために原価率の抑制が図られていて、それは原材料の供給元である大豆農家へも向かった事が考えられます。

 安値での買い上げを提示される大豆農家では、コスト高となる有機栽培や手間暇かけた育成ができなくなり、原材料となる大豆も不幸な育ち方をしてしまう事になります。

 充分な利益を確保できない栽培農家、メーカー、スーパーも幸せを享受できたとは思えず、購入者である私も結局は自己嫌悪しか残らず、過剰に安価な納豆は誰も幸せにする事なく商品としての生涯を終えた事になります。

 消費者としては商品が安く買えるという事はありがたい限りなのですが、過剰な安さの結果は誰も幸せにはならないという残念なものだと思えてきます。同じような事は身近な食材である「もやし」でも起こっていて、もやしの供給に深刻な影を落としているともいわれるようになってきています。

 このままでは関わる人すべてが不幸になるというだけでなく、もやしの生産者が激減してしまうとまでいわれる事態に危機感を募らせています。


 

第3029回 傘の歴史(3)



 東洋における傘の歴史は、古代の中国において始まります。当初は高貴な人に差し掛ける魔除けとして使われ、朝鮮半島を経由して日本へも伝えられています。

 日本に伝えられた傘は、平安時代には発達した製紙技術や竹細工の技術を取り込みながら独自の発展を見せ、室町時代には和紙に油を塗布する事で防水性が高められ、骨を支える「ろくろ」と呼ばれる部品の発明によって開閉性も確立されています。

 傘を専門に制作する職人も登場し、江戸時代に入る頃には各作業の分業化が進み、大量生産が可能となっています。よく時代劇に傘を貼る内職をしている「傘貼り浪人」が登場しますが、実際に多くの浪人たちを養うほどに傘を貼る仕事は存在していたといいます。

 日本は雨が多い事や和傘が紙で作られていて、布製の傘に比べて耐久性に劣るという事もあるのですが、江戸時代の絵画にも傘は多く登場していて、その当時から日常的な生活必需品として普及していた事が高い需要となっていたと見る事ができます。

 そうした高い需要を支えていたのは、竹製の頑丈な骨の再利用で、早くから和傘はリサイクルのシステム化が確立されていました。

 破損した傘は下取りされて貼られた紙が剥がされ、骨の状態によって新しく綺麗な「上物」、平均的な使用感の「中物」、傷んできている「廉価物」に分けられて傘貼りの内職へと渡されていました。

 また、広げられた傘が多くの人の目に触れる事に着目し、店の屋号が描かれた傘を無料で貸し出す事で宣伝効果を得る事も行われていて、傘は安価に利用できる身近なものという意識が早くから定着していきます。

 その後、明治維新を迎えて鎖国が解かれると、洋傘が導入されて和傘は急速に廃れていきます。世界に類を見ない傘のリサイクルシステムも同時に失われてしまうのですが、合理的な分業による大量生産とリサイクルの伝統は日本人に傘を安価な日用品という意識を根付かせ、やがてビニール傘という独自の発展を見せる事となります。日本における傘は独特な文化を持ち、ヨーロッパとは明らかに異なる価値観を持つものと思えてしまいます。


 
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にんにく卵黄本舗の健康コラムです。
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